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2026年5月14日 (木)

等持院 池泉回遊式庭園

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事に続いて、等持院の書院から庭に下りました。この庭は広大な方丈北庭の西部になります。書院の北の高台に茶室の清漣亭(せいれんてい)があり、その下に池に水が流れ込む石組があります。

かっては衣笠山から水を引いていましたが、現在は井戸水をくみ上げて循環させています。藻の繁茂を防ぐため、貯水槽を設けて水をろ過するなど、維持にはいろいろと苦労されているそうです。

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こちらの西池は「芙蓉池(ふようち)」とよばれ、池全体の形が蓮形の形をしています。現在は花が咲いていませんが池の周囲には芙蓉が植えられています。中の島には二つの石橋が設けられています。

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「清漣亭」 成立の年代は明確ではありませんが、現在の庵は江戸時代初期の再建。「都林泉名勝図会」(1799刊行)に記載されており、かつては背後に衣笠山を望むことができたそうです。明治29年(1896)に新たに左の西席が付け加えられました。

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「司馬温公形手水鉢」 司馬温公は中国北宋代の儒学者、歴史家、政治家の司馬光(1019-1086)のことです。温公形手水鉢とは、縁がでこぼこし、凹凸が激しい石に水穴をあけたものだそうです。

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中の島は「蓬莱島」。中国の神仙思想では東方海中にある仙人の住む山が蓬莱山で、これを池の中の島に見立てた場合に蓬莱島と呼ぶそうです。この庭は開山の夢窓疎石が作庭したともいわれていますが、詳細は不明です。

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慶長年間(1596~1615年)に現在の姿に修復されたことは確かなようです。中の島に飛石が据えられ、茶事の際には飛石伝いに中の島を通って清漣亭に向うことができます。

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「有楽椿」(侘助椿) 豊臣秀吉の命による秀頼の再建時に植えられたとされます。樹齢400年以上で、幹が三又になっていて現存する有楽椿のうち最大だそうです。毎年早春から4月まで薄紅色の花を付け、落花も風情があるとか。

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芙蓉池は文化5年(1805年)の火災以後は荒廃しましたが、昭和10年代前半に池の浚渫(しゅんせつ)や護岸の整備によって昔の姿に復元されました。散策路は東の池の方に向かいます。

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「中興天龍牧翁和尚大禅師」 臨済宗天龍寺派管長の関牧翁(せきぼくおう、1903-1991)は方丈南庭や達磨図などの作者です。天龍寺規則・宗制の改正を断行して、自由奔放で多才な禅者として知られ、多くの著名な弟子を輩出しました。

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俳画家・青山柳為の句碑 「芙蓉池に風あるやなし 落花舞ふ」。青山柳為は後で登場する俳画家・赤松柳史の高弟で、柳史俳画八鴻会を主宰、弟子に高橋柳鶴(千鶴子)がいます。

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十三重塔は「足利十五代供養塔」。

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俳画家・赤松柳史の句碑 「煩悩はたえず 南瓜を両断す」。赤松柳史(1901-1974)は香川県小豆島に生れ、昭和23年(1948)俳誌「砂丘」創刊主宰、天才俳画家と評され京都で没しました。

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方丈北庭の東部にある大きな池には蓬莱島と二つの亀島があり、その形から「心字池(しんじいけ)」と呼ばれています。心字池には芙蓉池からの水が流れ込みます。

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心字池の蓬莱島にも橋が架かっていて、参拝者が渡ることができます。島の周囲や蓬莱島には礎石が残されています。

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かっの蓬莱島にあった楼閣・妙音閣が昭和25年(1950)のジェーン台風によって倒壊した跡だそうです。

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こちらの庭は、池底の状況などが室町時代の作庭をうかがわせ、開山の夢窓疎石が作庭したという説が有力だそうです。蓬莱島は妙音閣をを支えるためにしっかりした石垣が積まれています。

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詳しく見ると、池の岸に据えられている石は少なく、近年に改修されたとも考えられます。曲線的な形の自然な造形で、池の周囲にはサツキ、サルスベリ、カエデなどが植えられ、閑静な回遊路となっています。

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足利尊氏百年忌の長禄元年(1457)に等持院が復興された際には、園内には茶室の掬月亭が建っていたといわれています。この日は黄菖蒲が咲いていました。

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ところで、Wikipediaには全国12の心字池を有する庭園が代表例として記載され、そのうち京都では桂離宮と西芳寺(苔寺)ととも等持院があげられています。霊光殿が見えてきました。

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下の写真の上はGoogleMapの等持院の庭園で左が芙蓉池、右が心字池です(航空写真では水面が木で覆われて形がはっきりしません)。写真の下は「心」の草書体で、池面が「心」の字になっていることが分かります。

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実際には、心字形でなくとも池の中に中の島を置いて、岸辺のどこから眺めても全形が見えないような複雑な形の池を心字池ということもあるそうです。

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心字池と芙蓉池の間に、足利尊氏(1305-1358)の墓と伝えられている宝筐印塔があります。台座の四面に立派な格挟間があり、宝瓶に蓮華を挿した紋様があって室町時代の形を示しています。台座の正面に延文三年(1358)四月の文字がみられます。

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霊光殿(左)と方丈(右)の間に古木があります。最後の写真は方丈の北西角にある手水鉢で、バイカウツギ(梅花空木)が咲いていました。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
黄菖蒲が咲く季節となったのですね。
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投稿: ゆーしょー | 2026年5月15日 (金) 00:54

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