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2026年4月15日 (水)

桜散歩 大豊神社と藤原淑子

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日に続いて、哲学の道にある大豊神社を訪れました。TOPは「大豊橋」、下は手前(西)の坂を少し下ったところにある「一の鳥居」。

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「大豊神社」は、平安時代前期の仁和3年(887)宇多天皇の病気平癒祈願のために、藤原淑子(しゅくし)が勅命を受けて椿ヶ峰に祠を建てて少彦名命(すくなひこなのみこと)を奉祀したのが始まりとされます。橋の横の大絵馬は昨日紹介した桜鹿荘の奉納です。

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椿ヶ峰は東山三十六峰の一つで景勝地とされ、藤原淑子の山荘がありました。また、少彦名命は、穀霊、酒造りの神、医薬の神、温泉の神として信仰されてきました。椿ヶ峰は写真の背後にある山です

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その後、平安時代中期の寛仁年間(1017-1021)に椿ヶ峰の祠は麓のこの地に移され、鹿ヶ谷の産土神として信仰されてきました。椿ヶ峰からの湧水が二の鳥居の前にある手水舎に流れています。

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藤原淑子は、平安時代前期の承和5年(838)藤原長良の娘として生まれ、右大臣藤原氏宗の後妻となり宮廷に女官として出仕していました。貞観14年(872)夫の氏宗が亡くなった後も宮廷に留まり、正三位まで昇りました。「二の鳥居」と「拝殿」

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淑子は時康親王(後の光孝天皇)の第七王子・定省親王(後の宇多天皇)を猶子(養子)としました。元慶8年(884)光孝天皇が即位すると、淑子は尚侍(ないしのかみ)に任じられました。尚侍とは天皇の側に仕える秘書のような役職です。

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光孝天皇は、16歳で元服して親王となってから、親王が就任する慣例となっている官職のほぼすべてを歴任しました。そして、親王の筆頭となったときには53歳、即位したのは遅く57歳でした。「社務所・授与所」

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藤原氏の摂関政治が始まった時代で、淑子の兄・藤原基経は関白となり史上初めて4代の天皇に渡って朝廷の実権を握りました。皇位継承も藤原氏の意向に従って決められた時代です。(本殿の左は枝垂桜、右の枝垂梅は既に散っています。)

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光孝天皇は、基経が陽成天皇の弟で甥でもある貞保親王にいつか天皇を継がすであろうと考え、即位と同時に自らの子女すべてを臣籍降下させ、子孫に皇位を伝えない意向を表明しました。(右の末社の方からお参りします。)

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しかし、基経はもう一人の妹の高子と仲が悪く、その子・貞保親王を避けていたために次代の天皇の候補者が確定していないうちに、光孝天皇は重病となってしまいました。「大国社」は大国主命を祀っています。

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狛ねずみは、大国主命が火攻めに遭遇した際に、ねずみが洞窟に導いて助けたという(古事記にもある)伝承に由来します。右側の阿形の狛ねずみが抱え持っているのは巻物で、学問を意味しています。

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左側の吽形の狛ねずみが抱えているものは水玉で、長寿を表しています。椿の花を飾っているのは参拝客ではなく神社の方です。

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右に句碑があります。常樹「山賀良(がら)の声澄む峰能(の)松乃(の)彩」、山雀の清朗な声が松の新緑鮮やかな峰に澄み渡るという意味で、大国社建立時の情景を詠んで神徳を称えた句だそうです。作者の常樹は分かりません。

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重篤となった光孝天皇は仁和3年(887)8月25日に源定省を親王にもどし、翌8月26日に立太子(皇位継承の第一位)させ、同日58歳で崩御しました。「稲荷社」は商売繁盛の神、稲荷神を祀っています。

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その日、淑子の猶子・定省親王が皇位を継ぎ宇多天皇となりました。光孝天皇と宇多天皇の即位は淑子の力によるところが大きく、基経を説得したといわれています。向うは拝殿(最後の写真も)。

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その年、淑子は従一位に昇りました。女性に与えられる最高位でした。仁和5年(889)亡夫氏宗の菩提を弔うため、椿ヶ峰の西麓に円成寺を建立しました。「福縁石」 石をさすりながら祈願すると、良縁や福を身につけることができるそうです。

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円成寺はこの近くにあり、大豊神社はその鎮守社でした。「本殿」には少彦名命、および後に応神天皇(勝運の神)と菅原道真(学問の神)が祀られています。

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「狛巳」 2012年に翌年の干支にちなんで置かれた狛へびで、座禅を組んで黙想にふけるようにとぐろを巻いています。作者は彫刻家・粟津謙吾氏、奉納は伏見の菊桜庵です。

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横には、治病・健康長寿(若返り)・金運恵授と書いてあります。右の新しい狛巳は情報がありません。もしかしたら阿吽の対にするために神社が安置したのかも知れません。

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藤原淑子は延喜6年(906)に享年69歳で亡くなり、その後正一位を贈られました。杉本苑子の小説『山河寂寥 ある女官の生涯』は淑子の生涯を描いたものです。末社の「愛宕社」と「日吉社」

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宇多天皇は基経の嫡子・時平を官僚のトップ・左大臣に任用するとともに、菅原道真も右大臣として重用したことで知られています。(日吉社は延暦寺の守護神を祀り、山を守る猿にちなんで「狛猿」が祠を護ります。)

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愛宕社は火難除の神を祀り、「狛鳶」は愛宕山を空から守る鳶にちなんでいます。藤原淑子は朝廷の中枢で影響力を振るったので、後世では女傑と見なされています。しかし、当時は天皇、官僚のトップ、それらを動かした摂政関白もみな淑子の親族でした。

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コメント

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投稿: ゆーしょー | 2026年4月16日 (木) 00:29

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