桜散歩 哲学の道・南部
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
昨日の記事の大豊神社をあとに、哲学の道を南に歩きました。今日は哲学の道の最後で、このあたりから先にお店はほとんどありません。初めて気が付きましたが、下は疏水分線の水を利用するための取水設備ではないかと思っています。
新しい木の枠は、落葉や花びらなどの浮遊物が取水口に入らないようにしているようです。
「歴史的風土特別保存地区」の石標がありました。「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」に基づいて、歴史的風土保存区域の中でも特に重要な地域として都市計画で指定され、原則として現状変更行為が禁止される区域です。
高野素十の句碑「大いなる 春といふもの 来るべし」 高野素十は、山口誓子、阿波野青畝、水原秋桜子とともに『ホトトギス』の四Sと称された俳人です。
このあたりから、右手(西)には家がなく視界が開けてきます。
南西方向の山の中腹に「ウェスティン都ホテル京都」 が見えます。手前は「哲学の道 看月亭」、一棟貸切の宿泊施設で「町家 葵 KYOTO STAY」の経営です。
山側に「宗諄(そうじゅん)女王墓」があります。宗諄女王(1817-1890)は江戸時代の皇族・伏見宮貞敬親王の王女で光格上皇の養女となり、出家して霊鑑寺の門跡となりました。霊鑑寺の最後の皇女の門跡です。
桜の木の左に「殉職碑」があります。昭和41年(1066)8月30日夜、この付近をパトロールしていた警察官が、不審者に襲われて殉職しました。川端警察署では毎年命日に合わせて殉職者慰霊祭を行っているそうです。
手前は「Aoi Philosophers Path Villa」、こちらも町家 葵の一棟貸し施設です。その向うの屋根は「光雲寺」、東福門院の菩提寺で、現在は南禅寺禅センターになっています。
「昭子内親王の墓」 昭子内親王(1629-1675)は、後水尾天皇と徳川家康の孫娘・和子(東福門院)の間に生まれた第3皇女です。生涯独身で出家はしませんでしたが仏道へ傾倒し、異母姉の文智女王とも親しく交流していたようです。
寛永年間(1624-1644)に内親王のために岩倉に山荘が築かれ、岩倉御所と称されました。両親に先立ち死去、戒名は妙荘厳院、墓所は光雲寺の敷地にあります。このあたりから、西(崖)側にも歩道が造られています。
「京都茶室棟」 和菓子屋さんの「叶匠寿庵」が経営するで茶室です。テーブルと椅子を使って行う茶道点前で、少人数なら予約なしでお
茶を頂けるそうです。
哲学の道の南端近くになると、崖側の歩道が公園のようになってきます。
人だかりがあり、近くに寄っていませんがこのあたりでいつも絵を描いている方かも知れません。
今回、久しぶりに哲学の道のお店を見て回りました。清水や嵐山ほどではありませんが、ここ2,3年で少しずつお店が変化していることを感じました。下2枚は「若王子橋」で、このあと熊野若王子神社を訪れました。
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コメント
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投稿: ゆーしょー | 2026年4月17日 (金) 01:01