桜散歩 吉田神社本宮から大元宮へ
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
昨日に続いて吉田神社の歴史をたどりながら、山上にある大元宮に向かいます。吉田家9代当主・吉田兼見(1535-1610)が、親交があった信長の力で昇殿が許される堂上家の身分になり、従三位、公卿に列席したところまでを紹介しました。
摂社「神楽岡社」 大雷神(おおいかづちのかみ)、大山祇神、高龗神(たかおかみのかみ)を祀ります。水を司り、雷除け、神楽岡地主の神として信仰されてきました。延喜式にも記され、吉田神社本宮創建の頃には既に鎮座していました。
摂社「若宮社」 天忍雲根命(あめのおしくもねのみこと)を祀ります。本宮に祀られている天之子八根命と比売神の子の水徳の神です。もともと本宮に無社殿で祀られていましたが、慶安元年(1648)にこの場所に遷座して、後に吉田神社摂社に定められました。
天正10年(1582)6月2日の本能寺の変の後、兼見は朝廷の使者として光秀に京都の治安維持を一任するという命を伝えたと考えられています。日記『兼見卿記』には「今度の謀反の存分を相談」とあり、天下人となった光秀から様々な相談をされたようです。
しかし、ほどなく山崎の戦いで明智光秀が敗死すると、光秀と親しかった兼見の立場が危うくなります。兼見は『兼見卿記』を書き換えて難を逃れたといわれています。上は「さざれ石」。
「神鹿像」吉田神社の創建時に、藤原氏の祖神で、祭神の健御賀豆知命が白鹿に乗って春日大社から吉田山西麓に鎮座したという伝承にちなんで建立。昭和32年の吉田神社御鎮座千百年記念事業として、しばらくの間生きた鹿が飼われていました。
一方、従兄弟の細川幽斎は、子の忠興の妻が光秀の三女・ガラシャでしたが、本能寺の変のあと光秀には従いませんでした。(石段を上った左に末社「神龍社」があり、吉田神道を創始した従二位・吉田兼倶が祀られています。)
「龍澤池」 吉田山はかっては神楽岡といい、平安京造営以前から雷神を祀る霊地だったそうです。ここに奈良の猿沢の池を模した池をつくったところ、どんな日照りでも水が枯れず、村人たちは池の周りで雨乞いの儀式をしたと伝わっています。
吉田兼見は豊臣秀吉とも良好な関係を築きました。慶長3年(1598)8月秀吉が死去すると、秀頼は秀吉を祀る豊国神社の社務に兼見を、弟の神竜院梵舜を社僧に、孫の萩原兼従(かねより)を神主に任命しました。
「菓祖神社」果物の祖と言われる橘を日本に持ち帰った田道間守命(たぢまもりのみこと)と日本で初めて饅頭をつくった林浄因命(はやしじょういんのみこと)を祀ります。京都菓子業界により昭和32年(1957)創建。
鈴鹿野風呂の句碑「神丘に 啼く鶯の 﨟たけて」 野風呂(1887-1971)は明治生まれで、大正・昭和に活躍した俳人です。高浜虚子に師事し「ホトトギス」の同人となり、「京鹿子」を創刊・主宰しました。
「山蔭神社」 平安時代に吉田神社を創建した藤原山蔭と恵比須神を祀ります。昭和32年(1957)の吉田神社御鎮座1100年大祭を記念して、昭和34年に全国料理関係者が創建した神社です。
平井乙麿の歌碑「枝うつり ほがらに呼ばふ 小鳥らと 詣でに来つれ 神います丘」 平井乙麿(1851-1899)は京都市立堀川高校の校長を務め、歌人でもあり、短歌結社「水甕」の幹部で選者、昭和のモダニズム短歌を提唱しました。
安土桃山時代から江戸時代にかけて、宮中の神祇官八神殿が吉田神社大元宮に遷され、神祇官作法は大元宮で行うこととなり、吉田家は全国の神職に許状を発行する立場になりました。「三社社」、南参道と表参道の合流地点にあります。
神祇官とは、律令制で太政官と並ぶ最高官庁で、朝廷の祭祀をつかさどり、諸国の官社を総轄しました。「大元宮」
また、明治まで宮中の神事を取り仕切っていたことから、吉田神社の節分祭が、宮中に伝わる追儺式をもっともよく現在に伝えているといわれています。
大元宮は、かって室町にあった社を吉田兼倶が文明16年(1484)に当地に造営、吉田神道の根元殿堂です。右は一重彼岸枝垂桜の「幽斎桜」
吉田神道では大元宮は宇宙軸を現し、始まりの神(虚無大元尊神)を中心に祀り、そこから生まれ来る八百万の神々を祀ることで、全国の神々の様々な御神徳を授かることができるとされます。
正月3日間と節分祭、および毎月1日に限り、大元宮の本殿や東西諸神社などの特別参拝があります。
従兄弟の細川藤孝(幽斎)は公家との交流も多く、天正8年から慶長4年(1580-1599)公家の中院通勝が丹後に左遷された折、吉田山より桜を丹後へ移植して慰めました。その桜は今も舞鶴市瑠璃寺にあり、名所となっているそうです。
平成16年(2004)吉田氏子講社設立50周年記念に、舞鶴から桜の苗木をいただき400年ぶりに里帰りが実現しました。令和元年(2019)昨日の記事の開運桜と幽斎桜の若木が京都市動物園に寄贈されました。
下は舞鶴市瑠璃寺の「吉田のしだれ桜」、樹齢400年ともいわれる古木と、樹齢100年の若木が枝を広げ、地に着かんばかり咲き誇る姿はあでやかで、舞鶴市指定文化財・舞鶴市指定天然記念物となっています。
満開の頃はライトアップされるそうで、上と下の写真は舞鶴観光ネットからの転載です。最後の写真は、参道の桜のトンネルで知られる竹中稲荷神社の鳥居です。
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コメント
こんばんは。ゆーしょーです。
しだれ桜がものすごくきれいですね。
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投稿: ゆーしょー | 2026年4月 5日 (日) 00:08