妙顕寺の七不思議
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今日は上京区の寺之内通にある妙顕寺の七不思議です。「妙顕寺(みょうけんじ)」は、山号を貝足山、院号を龍華院という日蓮宗の大本山の一つです。京都の日蓮宗最初の寺院で布教の中心となりました。
「総門」 建武元年(1334)に建立されましたがたびたび焼失、現在の門は江戸時代の再建です。「門下唯一勅願寺」の看板がかかっています。
鎌倉時代の中頃、日蓮宗の開祖・日蓮聖人の遺命を受け、孫弟子の日像上人(龍華樹院)は京都で弘通(ぐつう、布教)を始めました。それは容易ではなく、何度も追放や迫害を受けたといわれています。総門の正面に大本堂があります。
現在の「大本堂」(京都市有形文化財)は天保元年(1830)上棟、天保10年(1839)再建、桁行7間、梁間7間の大きな建物です。昭和50年(1975)に大修理が行われました。
七不思議1「巨大なかなまる」 金丸(かなまる)は仏具のお輪(おりん)の大きなものです。ある観光寺院(清水寺?)で金丸の前に行列ができていたのをまねて、倉庫にあったものを本堂において「でかなままる」と名付けたそうです。
七不思議2「天井の家紋」 大本堂の天井には狩野派による2体の龍図が描かれていましたが、老朽化によって天井が崩れてしまいました。昭和50年の大修理では、寄進をしていただいた方の家紋を天井に配置しています。
日像上人は40年近くの布教活動の末、元亨元年(1321)ついに後醍醐天皇より弘通の勅許を得て、御溝傍今小路に京都で最初の日蓮宗道場(法華堂 )が創建されたのが妙顕寺の始まりです。本堂に安置されている「日像上人像」
七不思議3「妙顕寺のご利益」 開山の日像上人の不屈の布教活動によって創建された寺であることから、昔から諸願成就のご利益があるとして信仰されてきました。
七不思議4「二つの妙顕寺型灯篭」 大本堂の前の背の高い燈籠の横に、2基の「妙顕寺型灯篭(燈籠)」があります。本堂の屋根が崩れたとき、2基の燈籠が受け止めて上部が破損しています。
七不思議5「鬼子母神堂」 尊神堂ともよばれ、祀られている鬼子母神(きしもじん)は、もともと悪女神で子供をさらって食べるという恐ろしい存在でした。釈迦の教えを受けて改心して仏教の守護神となりました。安産や子供の安全祈願の信仰があります。
七不思議6「龍神池」 境内の東に「龍神池」があります。干ばつの際、桂川で当時の住職・大覚上人が雨乞いをすると、八大龍王の使者八房龍神が示現、雨が降ったといわれます。この龍王は日像菩薩の守護神で、八本の角と尾を持っているとされます。
龍神はいまなお妙顕寺にとどまり、寺を守護していると伝えられています。このあたりの紅葉が綺麗でした(最後の写真)。
七不思議7「勅使門」 大本堂と客殿の間に皇族の方を迎え入れる勅使門があります。重厚な造りの中に菊の御紋の装飾が施され、土塀には格式ある寺院の中で最上位を示す5本の定規筋が引かれています。
七不思議8「四海唱導の庭」 客殿の前庭は「龍華飛翔(りゅうげひしょう)の庭」とも呼ばれる枯山水式庭園です。正面は勅使門で延壇(石敷)が庭を横切って敷かれているのは珍しいそうです。
向うの本堂の屋根が借景となっています。東南は苔地になっていて、石組みによって滝から流れる水が白砂の大海に流れ込む景色を表しています。
七不思議9「光琳曲水の庭」 画家の尾形光琳の家は妙顕寺の檀家で、光琳の叔父が住職を務めていました。かって光琳が作庭した庭が妙顕寺にありましたが、天明の大火で失われてしまいました。
現在の庭は、寺の宝物庫に残されている光琳の「松竹梅図」の掛け軸をもとに造られたものです。中央には樹齢400年の赤松、手前には樹齢200年の黒松が植えられ、下の枯れた流れを曲水として表現しています。
客殿と本堂の渡り廊下の横に竹林の坪庭があり、こちらも光琳の松林梅園になぞらえて造られたと考えられるそうです。この庭はネスカフェのCMの背景に使われました。毎年竹が生え変わるので、違った景色になるそうです。
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投稿: ゆーしょー | 2026年3月13日 (金) 01:02