妙心寺の七不思議
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
先日訪れた妙心寺には七不思議があります。妙心寺は応仁の乱(1467-1477)で伽藍を焼失、雪江宗深(せっこうそうしん)により復興しました。雪江宗深は妙心寺の住持の期間を3年と定め、4人の法嗣が交代で住持を務めることとしました。
すなわち、景川宗隆、悟渓宗頓、特芳禅傑、東陽英朝が妙心寺住持を務め、それぞれ龍泉派、東海派、霊雲派及び聖澤派の祖となりました。下は境内図で、中央下に主要伽藍が並び、周辺には46の塔頭が点在しています。
七不思議1「四派の松」 三門と仏殿の間に竹垣に囲まれた4本の松が植えられ、上の四派(しは)を象徴しています。松は何度も植え替えられていますが、いずれも根元から2本の幹が伸びている松が植えられるそうです。「三門」
ちなみに、4人は雪江宗深が「禅は景川、徳は悟渓、寿は特芳、才は東陽」と評するほど優れた禅僧で、その後の妙心寺の発展に寄与しました。「仏殿」
七不思議2「鏡天井の雲龍図」 禅宗寺院では法堂の天井に龍が描かれることが多くあります。龍は仏法を守護するとされ、水を司る神であることから法の雨を降らし、建物を火災から護るという意味があります。「法堂」
妙心寺の法堂に描かれている「雲龍図」は江戸時代の絵師・狩野探幽の明暦3年(1657)の作で、鏡天井(平らな天井)に描かれています。直径が12mの雲の中で1匹の龍がとぐろを巻き、どの位置に立って見ても、常に龍に睨まれているように見えます。
この雲龍図には逸話があります。探幽が最後に龍の眼に筆を入れた瞬間、にわかに暗雲が空を覆い、雷鳴が轟いて嵐になったと伝えられています。
七不思議3「黄鐘調の鐘」 日本最古の銘(698年)があり、音色が雅楽に合うことから黄鐘調(おうじきちょう)として知られています。『徒然草』にもこの鐘のことが書かれているそうです。法堂の隅に保管してあり、CDに保存した鐘の音が聴けます。
以前は法堂の北西にある鐘楼につるされていましたが、目に見えないひびが入ったので現在は複製した鐘に代わっています。上の写真はパンフレットからの転載です。
七不思議4「明智風呂」 「浴室」(重文)は天正15年(1587)に建立、明暦2年(1656)再建されました。明智光秀の叔父、密宗和尚が光秀の追善菩提のために建立したとされ、「明智風呂」と呼ばれます。当初は光秀の法要の時にだけ使用されたといいます。
光秀は本能寺で信長を討った後、妙心寺を訪れて辞世の句を詠み自決しようとしましたが、密宗和尚に止められたという話が寺に伝わっているそうです。下の浴室内部の写真はパンフレットからの転載です。
七不思議5「牛石」 建武4年(1337)花園法皇が離宮を禅寺に改めたのが妙心寺の始まりです。翌年法皇は開山として関山慧玄(かんざんえげん、夢想大師)を迎え、日常の住まいとする禅宮御殿「玉鳳院」を建立しました。
法皇と慧玄はここで問答を行い禅の教えを深めたといいます。法皇が亡くなると玉鳳院は慧玄の塔所となりました。玉鳳院は山内最古の塔頭寺院で、妙心寺では最も神聖な場所とされています。
向こうは「鐘楼」、手前の「牛石」には逸話があります。開山の慧玄が伊深(美濃加茂市)にいたとき、田畑を耕す際に慣れ親しんだ牛がいました。慧玄が法王に招聘されて伊深を離れる時に、牛は涙を流して後を追ったといいます。
この逸話にもとづいて、昭和34年(1959)に滋賀県安土町で見つかったという「牛石」が奉納されてここに置かれています。
七不思議6「開山国師洗脚石」 妙心寺の境内の西に、江戸時代の大名・中村忠一(ただかず)が亡き父・中村一氏(かずうじ)の7回忌に創建した塔頭・大龍院があります。開山禅師は教えを乞うために、天龍寺の夢窓疎石のもとをよく訪れていました。
その途中の有栖川で必ず足を洗い清めてから、天龍寺に向かいました。それを目にした天龍寺の僧侶は、禅師が足を洗うのが少しでも楽になればと、腰掛けられる大きさの石を川の岸辺に置いたそうです。
その石は天龍寺の塔頭・南芳院に保管され、明治時代に妙心寺派管長の今川貞山(ていざん)によって大龍院に移されて、庭園に置かれています。
七不思議7「南蛮渡来の鐘」 妙心寺の北総門からの道の途中にある春光院は、豊臣秀吉の家来で後に松江城主となった堀尾吉晴が、小田原の戦いで戦死した長男・金助の菩提を弔うため天正18年(1590)に建立しました。
春光院には京都で最初に設立された「サンタ・マリア御昇天の教会」、通称「南蛮寺」に伝わる銅製の鐘が保存されています。西洋風の鐘で、その表面には1577の西暦とIHS(イエズス会の紋章)が陽鋳されています。写真は春光院のHPからの転載です。
ポルトガルの宣教師フランシスコ・ザビエルの遺志を継いで、ガスパル・ヴィレラは将軍・足利義輝に会い、永禄3年(1560)に京都での布教の許可を得、織田信長の時代の天正4年(1576)に蛸薬師通室町に上の教会を設立しました。「方文西庭」
しかし、豊臣秀吉の時代になるとキリスト教は禁止され、南蛮寺は取り壊され、鐘も仙台の龍宝寺というお寺に移されたとされています。その後も各所を転々とし、安政元年(1854)仁和寺から春光院に移されました。門前に英語で書かれた説明版があります。
第2次世界大戦末期にこの鐘を供出するように求められましたが、当時の住職は地中に隠し、寺にあった別の鐘を差し出して鐘を護ったそうです。
春光院・住職の川上全龍氏はアリゾナ州立大学を卒業後、宮城県瑞巌寺で修行、2007年に春光院・副住職、2022年に住職に就任。現在、国内外で禅を中心とした講演や講義を行い、春光院でも様々な体験講座を開催しています。
最後の写真は映画の撮影風景、妙心寺の境内は10万坪もあり、時代劇のロケによく使われます。励みにしていますので、ブログランキングの応援のクリック↓をして下さると嬉しいです。
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コメント
こんばんは。ゆーしょーです。
素晴らし釣鐘ですね。
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投稿: ゆーしょー | 2026年3月 3日 (火) 00:55