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2026年3月 3日 (火)

ひな祭りとその歴史

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

今日の雛祭り(桃の節句)にちなんで、その歴史をだどってみます。かっては写真のように、男雛と女雛は向かって右と左に置かれていましたが、昭和になってからその逆の地域が多くなりました。

題名が「雛祭り」ではなく「ひな祭り」になっているのは、最近の傾向に従っています(Yahooで検索すると3倍以上のヒット数の差があります)。最初の何枚かの写真は下鴨神社の「流し雛」です。

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3月3日の「上巳(じょうし)の節句」(桃の節句)は、三国時代の頃の中国から伝わったといわれています。古代の中国では季節の変わり目の節日(せきにち、奇数月と同じ数の日)にお祓いをする風習がありました。

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上巳の節句(現在では4月)は水もぬるみ、川で身を浄める禊がおこなわれました。やがて人形(ひとがた)に罪・汚れを託して川に流す風習となり日本にも伝来しました。桃が咲く時期で、桃が魔よけの力があると信じられていて、桃の節句とも呼ばれました。

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一方、雛祭りの起源には諸説あり、平安時代には貴族の子女が雅な「人形あそび」をしていたという記録があるそうです。その頃から小さな御所風の御殿が飾られたと考えられています。有職故実などが体系化され、日本風の文化が生まれた時期です。

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江戸時代には、人形あそびが武家階級から商人・庶民の家庭へと伝わりました。そして、次第に3月3日の桃の節句と結びつき、女の子の健やかな成長を願う儀式として、桃の花とともに人形を飾り、お祝い事をする雛祭りが定着していきました。

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下鴨神社の流し雛は、古い桃の節句の形を残しているといえます(最後の写真も)。

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この日、下鴨神社の橋殿に雛飾りが置かれていました。平安時代の宮中を表わしているとされ、段飾りの一段目には親王「男雛」、親王妃「女雛」、二段目は三人官女、三段目は五人囃、四段目は右大臣と左大臣の随身が並んでいます。

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市比賣神社の「ひいなまつり」では、大きなひな壇を作りその前で十二単の着付けを実演、「ひと雛」が勢ぞろいします。五人囃子の雅楽に合わせ、三人官女の舞が披露されます。貝合わせや投扇興など平安貴族の優雅な遊びも披露されます。

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市比賣神社の「姫みくじ」  茶の湯都七名水のひとつ 「天之真名井」の上にお供えします。

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伏見稲荷大社の奥の院を越え、さらに上って山道から逸れたところに「神宝神社」があります。ここは珍しい狛龍(天龍と地龍)が社殿を護っています。

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この神社には「叶雛(かなえびな)」があります。叶雛は埴輪に起源を発し、守護の象徴として奉製されました。後に紙で作られるようになって大祓の人形、流し雛となり、人形に願いを託す風習が始まりました。

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こちらの神社の叶雛は、流し雛の古い形を今に残しています。ただし、現在では川に流すのではなく、宮司さんがお祓いをして、託された願いを祈祷するようです。

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霊鑑寺の特別公開で見た雛人形、「内裏雛」ともいわれ皇族用の繧繝縁(うんげんべり)の厚畳に男雛が左、女雛が右に座っています(雛人形から見て)。宮中では左が上位なので、かっての雛人形は常にこの配置でした(京都では現在も続いています)。

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明治の文明開化によって西洋文明に触れる機会が増え、皇室の対外行事も西洋化されていきました。大正天皇の即位式から天皇は右に立つようになりました。仁和寺の御殿に飾ってあった雛人形。

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そして、昭和天皇即位式を機に東京の人形業界団体が男雛と女雛の配置をそれに合わせました。現在ではほとんどの地域でその配置にならうようになりました。「料亭・ちもと」の雛飾りは、皇室が所蔵されているのと同じものといわれています。

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右にある小さな雛飾りは五段飾りで、多くの人形や道具を飾るために関東では段飾りが流行し、七段飾りも生まれました。

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一方、中央は「御殿飾り」とよばれ、江戸時代後期から始まり明治時代には絢爛豪華な飾りが生まれ、宮中での生活を再現するためのドールハウスともいえるものでした。

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一番上の段に紫宸殿があり、左手前に随身、その後ろに三人官女、その奥に御簾に隠れぎみの内裏雛、右の間に五人囃がいます。人形だけでなく、建物が本物と見分けがつかないほど精巧で感動しました。左近の桜、右近の橘もあります。

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御殿飾りももっと簡単なものもあり、明治大正時代には関西の家庭で多く見られました。しかし、昭和40年頃までに姿を消し、関東で流行っていた段飾りが全国的に普及しました。場所をとることや製造できる職人がいなくなったことが原因といわれています。

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こちらの御殿飾りはコンパクトに納められそうです。それでも、外側に蒔絵が施されていて、一般家庭にあったものとは違うかも知れません。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
今日は3月3日嬉しいひな祭りの日ですね。
今年はお内裏さんだけ飾りました。
僕も今では男びなを向かって右に
飾りますが、50年の昔は左に
飾っていたようです。

投稿: ゆーしょー | 2026年3月 3日 (火) 21:38

こんばんは
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2026年3月 4日 (水) 00:43

★ゆーしょーさん こんばんは♪
お返事が滞りすみませんでした。うちでは雛人形をかざりませんが、奈良一刀彫の浦弘園さん作の「月こよみ」という人形をかざってあります。それぞれの月の豆粒ほどの小物を人形に持たせます。

投稿: りせ | 2026年3月 8日 (日) 01:10

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