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2026年3月 9日 (月)

安楽寿院と白河・鳥羽・近衛天皇

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事につづいて、北向山不動院の東の門を出てしばらく歩くと安楽寿院の西門があります(TOPの写真)。

西門を入った右手に「白河法皇・鳥羽法皇 院政跡地」の石碑があります。このあたりは、白河上皇(法皇)が造営を始め、鳥羽上皇が完成させた鳥羽離宮内の御所・東殿の中心地です。

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鳥羽天皇(1103- 1156)は父・堀河天皇の死後わずか5歳で即位し、実際の政務は祖父の白河法皇が行いました。20歳の時に崇徳天皇に譲位し上皇となりますが、白河法皇の院政は続きます。「白河天皇成菩提院陵」。

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下は現在地あたりの「鳥羽離宮 復元イメージ図」で、京都の南部に存在した広大な「巨椋(おぐら)池」の一部が描かれています。白河法皇は大治4年(1129)77歳で崩御、ここに来る途中で訪れた上の「白河天皇成菩提院陵」に葬られています。

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「成菩提院(じょうぼだいいん)」は鳥羽上皇が鳥羽離宮の泉殿に創建した御堂で、下の現在の地図に白河天皇稜と成菩提院跡、安楽寿院が記されています。

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白河法皇没後、鳥羽上皇は大治4年(1129)から院政を開始します。永治元年(1141)崇徳天皇を譲位させ、皇后・藤原得子(美福門院)との間に生まれた近衛天皇を3歳で即位させます。翌・康治元年(1142)に東大寺戒壇院で受戒し法皇となりました。

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上の「冠石」は安楽寿院内で出土し、鳥羽上皇が法皇となったときに冠を埋めたといわれています。父・堀河天皇と並ぶ笛の名人として知られ、催馬楽や朗詠にも優れていたそうです。東殿で崩御して北にある「鳥羽天皇安楽寿院稜」に葬られました。

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鳥羽天皇稜の向かいに「(財)京都市埋蔵文化財研究所 鳥羽離宮跡事務所」があります。今でも時々行われる発掘調査の拠点で、このあたりで出土した膨大な遺物が保管されています。上の二つの地図は同研究所の作成です。

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更に北に行くと、大きな「石造五輪塔」(重文)があります。鎌倉時代の弘安10年(1287)の年号が刻まれています。高さが3mもあり鎌倉時代の典型的な五輪塔とされます。微かに読める字から、阿弥陀信仰によって建立されたと推定されています。

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もう一度西門の前まで戻り、そこから境内に入ります。左手の鉄柵で囲まれた敷地に宝物庫(収蔵庫)があります。鳥羽上皇の念持仏と伝えられる「阿弥陀如来坐像」(重文)が安置され、現在は非公開です。

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鳥羽離宮内には南殿、北殿、泉殿、東殿 田中殿の御所や、それぞれに証金剛院、勝光明院、成菩提院、安楽寿院、金剛心院などの御堂が建立されました。これらの発掘調査によって出土した景石が庭石として置かれています。

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「三宝荒神社」 当院は何度も火災にあい、特に天文17年(1548)の火災では伽藍の大部分を失いました。慶長11年(1606)の復興のとき、もう火災に遭わないようにと荒神様が勧請され、以後400年以上一度も火災にあっていないそうです。

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「三如来石仏」 平安時代の作で釈迦、弥陀、薬師の三尊の石仏が江戸時代に出土したと伝えられ、弥陀三尊像は京都国立博物館に寄託。凝灰岩でできており、昔は石仏を削って水で練り子供の顔に塗ると疱瘡が直るとされたため傷んでいます。

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創建された安楽寿院は、極楽浄土を希求するため阿弥陀三尊を本尊とし、その後、本御塔、九躰阿弥陀堂、閻魔堂、不動堂、新御塔(しんみとう)が次々落慶しました。しかし、慶長元年(1596)山城・伏見に大地震が起き、新御塔が倒壊しました

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そのとき一時しのぎに、とりあえず仏様を安置できるように建てたお堂が下の「大師堂」です。弘法大師像を本尊とし、その他に大日如来、薬師如来、聖観音、十一面観音、千手観音、地蔵菩薩、不動明王、歓喜天など旧塔頭の仏像を祀っています。

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安楽寿院には日本各地から膨大な荘園が寄進され、最盛期には32ヶ国63ヶ荘にも及びました。これらは安楽寿院領(後に娘の八条院暲子に引き継がれて八条院領)として、皇室(大覚寺統)の経済的基盤となりました。

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「鐘楼・梵鐘」 鐘楼は慶長11年(1606)に豊臣秀頼により当院が大修復されたときに建立された建物ですが、現在は柱、梁に当時の材を残すのみです。梵鐘は元禄5年(1692)に鋳造されたもので、除夜の鐘のときだけ撞くそうです。

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奥の「阿弥陀堂」は台風の被害がもとで倒壊した本御塔の後身のお堂の代わりに、昭和34年(1959)本尊を祀るために建立されました。当院の本尊「阿弥陀如来像」(重文)を祀っています。

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山門の中に「書院・庫裏」があります。書院と庫裏は同じ建物で寛政7年(1795)の建立、内部で便宜上分けられています。この建物は元々「前松院」という塔頭寺院だったものだそうです。

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安楽寿院は鳥羽伏見の戦い(1868年)では官軍(薩摩軍)の本営になりましたが兵火は免れました。石標は「明治天皇御小休所」。明治天皇は明治5年(1872)5月、伊勢・大阪を経て入京。6月4日この地で休憩したあと、中国・九州・四国の巡幸に向かいました。

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ところで、3歳で即位した近衛天皇は久寿2年(1155)17歳で早世してしまいました。当初、ここには鳥羽上皇の皇后・美福門院の寿塔(生前に造る墓)と予定されていた新御塔がありました。

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ところが、美福門院(1160年没)は遺言により高野山に葬られることになり、新御塔には近衛天皇が葬られました。豊臣秀頼により慶長11年(1606)多宝塔形式で再建、多宝塔の天皇の陵墓は稀有な例だそうです。「近衛天皇安楽寿院南陵」

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美福門院の意向に沿って二条天皇(守仁親王)までの中継ぎとして即位した後白河天皇は、保元・平治の乱、平家の台頭、源平の戦い、鎌倉幕府の樹立と激動の時代に34年に渡って院政をしき、その中心は法住寺殿に移りました。

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