聖護院 雅な門跡と山岳修行の寺
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先日積善院準提堂を訪れたあと、境内の通路を通って隣の聖護院門跡に来ました。撮影は2月2日ですが、既に節分を過ぎていますので今日は聖護院門跡の歴史を振り返りながら境内を見て回ります。「宸殿」
当院は、平安時代の寛治4年(1090)、白河上皇の熊野御幸に先達を務めた増誉(ぞうよ)大僧正が寺院を賜り、「聖体を護持した」という功績から「聖護院」と称したことに始まります。
後に戦乱・火災によって京都を転々としましたが、延宝4年(1676)、創建の地でもある現在の場所に再建されました。翌日(2月3日)に行われる「採燈大護摩供」の護摩壇が用意されていました。
その当初から皇室と深い結びつきがあり、出家した皇族や摂家の方がたびたび住職を務めました。このような寺は門跡寺院と呼ばれ、格式高い寺院とされています。現在では門跡制度は廃止されていますが、門跡寺院を名乗ることは許されています。
特に聖護院は江戸時代、天明の大火を逃れて来られた光格天皇が3年間ほど御在所とされたことから、「仮皇居」の史跡指定を受ける唯一の寺院です。「本堂(不動堂)」には役行者と前鬼後鬼・大峰八大童子を祀ります。
「宸殿」 法親王が居住する門跡寺院の正殿で、大玄関、孔雀、太公望、波の間など、内部の部屋は15を超え、狩野永納、益信筆による障壁画が130面あります。
宸殿には、鎌倉、室町、江戸時代作の三体の不動明王、孔雀明王、蔵王権現、三宝荒神、役行者の像を祀っています。弘前のねぷたが奉納されていました。題材は水滸伝「九紋龍史進 奮闘図」だと思います。
こうした雅な側面の一方で、聖護院は野山に分け入って修行する修験道を実践する、本山修験宗の総本山でもあります。「修験道」は、飛鳥時代に役小角(えんのおづぬ、役行者)が創始したとされ、建物や境内のあちこちに絵や像が飾られています。
修験道の修行の場は、大峰山(奈良県)や白山(石川県)などの「霊山」とされた山々でした。中でも、熊野三山への信仰は平安時代の中期から後期にかけて、天皇をはじめとする多くの貴族や庶民の参詣を得て隆盛を極めました。宸殿の横に白梅が咲いていました。
鎌倉時代後期から南北朝時代には修験道は独自の立場を確立。江戸幕府は慶長18年(1613)「修験道法度」を定め、天台宗系の本山派と真言宗系の当山派のどちらかに属さねばならないこととして、両派に分けて統括しました。
本山派は天台宗寺門派の園城寺末の聖護院を本山とし、当山派は真言宗総本山醍醐寺塔頭の三宝院を本山とするように定め、いずれも仏教教団の傘下での活動を求められました。
明治時代になると修験道は受難の時代となりました。明治元年(1868)の神仏分離令に続き、明治5年には修験禁止令が出されて修験道は禁止され、里山伏(末端の修験者)は強制的に還俗させられました。
ただし、山岳信仰(修験道)が庶民の宗教観や日常習慣に与えてきた影響は大きく、山岳信仰にもとづいた様々な祈祷やお守りに救いを求めることや、高い山を霊山として崇める心情もそのうちです。
戦後になって修験道が本格的に復興すると、地域の発展にも大きな役割を果たします。「鎮守社」 宇賀弁財天、山王権現、稲荷大明神を祀ります。
白山国立公園は、富山県、石川県、福井県、岐阜県の4県にまたがり、その中心は山岳信仰の対象であった白山連峰です。また、修験道の道「熊野古道」は世界遺産に認定され、和歌山だけでなく日本が誇る文化遺産・観光資源になっています。
さらに、富士山や日本アルプスを始めとする高山の多くは山岳信仰の対象、修験道の道場でもあり、頂上には祠や神社が祀られ開発が規制されています。
ところで、以前の記事で、聖護院の前で建設中のマンション計画は景観法に違反しているとして、門主ら周辺住民12人が民間検査機関「日本ERI」や市建築審査会に対し、建築確認の取り消しなどを求めて京都地裁に提訴したことを紹介しました。
1月29日に第一回裁判が開かれているはずですがまだ情報はありません。上は宸殿の前からで、マンションの建物(5階建)の建設は進んでいるようです。下は以前の採燈大護摩供。
市の条例でこのあたり一帯は「山並み背景型美観地区」に指定され、「周辺への圧迫感の低減」を図らなければならないとされています。北春日通の住民からはマンションによって大文字が見えなくなったという声があります。「長屋門」
原告の一人の宮城門主は、護摩供をはじめ聖護院で営まれる宗教行事がマンションの住民らに見下ろされる事態は「宗教活動の弊害になる」と心配しています。「聖護院御殿」
一方で、京都市は就職世代・子育て世代を中心に全国有数の人口減少が続いています。その主な原因はインバウンド増加によるホテルの建設ラッシュで、地価上昇による住宅コストの高騰だといわれています。
建設中の「ザ・パークハウス 京都聖護院」は2LDK~3LDKで販売価格が6,000万円台~13,700万円台、借地の月賃料と解体準備金が月額2万円前後、管理費と修繕積立金が月額2万~3万5千円程度必要です。
このままでは糺の森のマンションのように、若い世代には手に届かず、富裕層がたまに使う別荘や投機の対象として所有するケースが多くなることが心配です。最後の写真は山門で、左に「史跡聖護院旧仮皇居」という石碑があります。
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投稿: ゆーしょー | 2026年2月 8日 (日) 00:31