熊野神社と八ッ橋事情
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
昨日の記事の聖護院門跡を後に、熊野神社に来ました。訪れたのは節分祭の2月2日ですが、既に日にちがたっていますので、このあたりの聖護院に何軒もお店がある「八ッ橋」の実情もあわせて紹介します。
「京都熊野神社」は平安時代の初め弘仁2年(811)に、修験道の日円上人が国家護持のために紀州熊野大神を勧請したのに始まります。小さな境内ですが、いくつもテントが出ていて近所の方で賑わっていました。
寛治4年(1090)白河上皇の勅願により創建された聖護院門跡には別当職が置かれ、熊野神社はその守護神となりました。平安末期には後白河法皇がしばしば熊野詣を行い、当社にも厚く信仰をよせたといわれています。「社務所」
室町時代の応仁の乱(1468)によって社殿は焼失し、その後荒廃しました。江戸時代になり寛文6年(1666)聖護院宮道寛法親王が再興し、当時の社地は鴨川まで達するほど広大なものだったそうです。
その後、天保6年(1835)にも大修造が行わました。現在の本殿は、この時に下鴨神社の本殿を移築した代表的な流れ造りです。「流れ造り」とは、切妻造りの屋根の前面が長く延びて向拝を成している典型的な神社本殿様式だそうです。
熊野三山の祭神を祀る本殿には、代表的な京銘菓や漬物屋さんからの奉納品が並んでいます。
本殿にお詣りしたあと、境内の北東のテントの方にいきました。テントの前(写真の右奥)には「八ッ橋」に関する石碑と銅像があります。
聖護院村の八ツ橋屋に生まれた西尾為治(1879-1962)は、元禄からの古法に改良を重ねて製造会社を設立、八ツ橋中興の祖と呼ばれました。左に西尾為治の銅像、右はに八ツ橋発祥の聖護院森跡を示す石標が建っています。
西尾為治は1900年開催の仏パリ万博に八ッ橋を出品して銀賞を受賞、大正4年(1915)京都で大正天皇の即位式が行われた際には、京都駅で八ッ橋を販売して爆発的な人気を得たといわれています。「手水鉢」
しかし、その後西尾為治の会社は経営危機に陥り昭和5年(1930)に破産が確定、代わって同社の専務だった鈴鹿太郎氏が経営権を得ました。(テントでみたらし団子をいただくと、生八ッ橋がついていました。)
戦後の昭和22年(1947)西尾為治の長男・為一氏が八ッ橋の製造販売を開始、5年後に「本家八ッ橋聖護院西尾」を設立しました。同時期に次男の為忠氏は「八ッ橋西尾為忠商店」、三男の源太郎氏(西村姓)は「本家八ッ橋」を創業しています。
実は八ッ橋のルーツには二つの説があります。八橋検校の箏に似せたせんべい状の焼き菓子と、『伊勢物語』第9段かきつばたの舞台・三河の国の八橋にかけて、8枚の橋板を模したせんべい状の焼き菓子です。「聖護院八ッ橋総本店」
現在、京都の八ッ橋業者の「京都八ッ橋商工業協同組合」には14社が加盟、「検校の箏説」は聖護院八ッ橋と「井筒八ッ橋」を含めて全6社、本家八ッ橋西尾など西尾為治の子息の会社らが「三河の橋説」を唱えています。
2017年、聖護院八ッ橋以外の「検校の箏説」の5社が「証拠はないのに創業を元禄2年とし、八ッ橋を最初に創作し、販売し始めたのが聖護院八ッ橋であるかのような表示をしている」として、当該表示をやめるよう民事調停の申し立てをしました。
聖護院側は申し立ての内容が民事調停の対象に該当しないと調停打ち切りを主張。調停は不成立となりました。翌年、井筒八ッ橋は聖護院側に対して創業元禄2年は事実と異なり、不正競争防止法に違反しているなどと民事訴訟を起こしました。
2020年、京都地裁は創業年の真偽には立ち入らず、「歴史の古さが消費者の行動を左右する事情とはいえない」として原告の損害賠償の訴えを退けました。上は「八ッ橋西尾為忠商店」、下は川端四条上るにある「井筒八ツ橋本舗」、建物は井筒ビル。
井筒八ッ橋は文化2年(1805)初代津田佐兵衞が祇園の茶店で八橋検校をしのんだ琴姿の堅焼きせんべいを売ったの始まりで、元禄より100年以上後の創業としています。
単独での提訴に踏み切った西尾八ッ橋の当主は当時94歳の6代目・津田佐兵衛氏。かねてから聖護院の行動を問題視して、業界の長老として見過ごせなかったのだと思われます。
井筒は同じ元禄2年創業としている西尾為治の子息の会社を訴えておらず、それより後の創業を認めている自社の利益のためでないことは明らかです。下は八橋検校の菩提寺の金戒光明寺塔頭「常光院」、2枚下は聖護院が法要を行っている「法然院」。
聖護院八ッ橋の鈴鹿可奈子社長は京都大学経済学部卒、留学したカリフォルニア大学サンディエゴ校でPre-MBAを取得。新しい商品やショップを次々と開発、マスコミにも度々登場して、八ツ橋業界に新風をもたらしたといえます。
最近の京都では次々と新しいお店ができ、京ばあむを始めとして抹茶やチョコレートの新しいお菓子が開発されています。その一方で、老舗の和菓子が根強い人気を保っています。
西尾八ッ橋のHPには、西尾為治の会社の創業や歴史を伝える数々の資料があります。この間の事情を知ると、聖護院八ッ橋は業界全体がプラスとなるように調停に応じるべきだったと思います。最後の写真は向かいの「聖護院八ッ橋総本店 熊野店」。
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投稿: ゆーしょー | 2026年2月 9日 (月) 00:15