金戒光明寺の七不思議
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今日は金戒光明寺の七不思議を紹介します。「金戒光明寺」は山号を紫雲山という浄土宗大本山で、比叡山を下りた法然上人が初めて草庵を結んだ地とされ、「くろ谷」の名で親しまれています。
幕末の京都守護職、会津藩主・松平容保が本陣を構えた寺で、新選組誕生の地ともいわれます。TOPの高麗門(西門)には右に「大本山金戒光明寺」、左に「京都守護職本陣 旧跡」という看板がかかっています。 
「山門」は江戸時代の万延元年(1860)に完成、楼上内には十六羅鑑像が安置され、正面に後小松天皇宸翰「浄土真宗最初門」の勅額があります。山門から正面に本堂にあたる御影堂が見えます。
「御影堂(大殿)」 内陣正面に宗祖法然上人75歳の御影(座像)を安置しています。また、獅子に騎乗する文殊菩薩様や1200余年前に吉備真備が中国から持ち帰った栴檀(せんだん)を用いて刻んだ吉備観音なども安置されています。
七不思議1「一枚起請文」 法然上人が亡くなる二日前の建暦2年(1212)1月23日に身の回りの世話をしていた弟子の勢観房源智上人の求めに応じて書かれたものです。毎年4月23日御忌法要で一般内拝ができます。
わずか380字ほどの短い文章に、念仏の教えとその実践の要点がまとめられています。下は知恩院所蔵の『法然上人行状絵図』巻三十七段五 入滅する法然上人のもとに三尊仏が来迎しています。
「阿弥陀堂」 江戸時代の慶長10年(1605)豊臣秀頼によって再建された寺内で最も古い建物です。本尊として恵心僧都源信の最終作と伝えられている阿弥陀仏が祀られています。

七不思議2「のみ納めの如来」 恵心僧都が仏像彫刻に必要な「のみ」胎内に納めて仏像彫刻を止められたことがこの名称の由来で、「お止めの如来」とも呼ばれています。
一ノ谷の戦いで、16歳の平敦盛(清盛の弟)を討ち取った武将・熊谷次郎直実が、殺生の無常を悟り、黒谷の法然上人を訪れます。こんな人間でも往生できるでしょうかと問うと、上人は念仏さえ唱えれば救われると答えました。
七不思議3「熊谷直実鎧掛けの松」 直実はその言葉を聞いて救われた気持ちになり、清めた鎧(かぶと)を松に掛け、出家して法名を蓮生(れんしょう)と名のりました。下は平成26年(2014)に植えられた3代目の松です。
直実がこれほどまでに無常を感じたのには理由があります。直実は一ノ谷の戦いに参陣、源義経の奇襲部隊に属して鵯越を逆落としに下ります。息子・直家と郎党一人で平家の陣に一番乗りで突入するも平家の武者に囲まれ、3人は討死しかけました。
その後、直実は遠浅の海に馬を乗り入れた武将と格闘して組敷いて首級をあげようと見ると、息子の直家と同年輩の美少年でした。息子の直家はその日の未明、敵の矢に傷つき「この矢を抜いてくれ」と苦しんでいました。蓮池と極楽橋
直家の手当もできず敵陣で奮闘していた直実は、親心の切なさを思い起こし助けようと名を尋ねます。しかし「名乗らずともすみやかに首を取って人に尋ねよ」というので、涙ながらに首を切ったといわれます。
熊谷直実は51歳のとき家督をすべて直家に譲り、この地に草庵を結びました。法然上人のもとで念仏三昧の生活を送り、承元2年(1208)この世を去ります。享年68歳。下は近代(1943年)に再建された「熊谷堂」で、石段の上に法然廟があります。
七不思議4「熊谷直実・平敦盛の供養塔」 法然廟(左)の前に二つの五輪塔があり、左は熊谷直実、右手前が平敦盛の供養塔です。
比叡山を下りて都へ向かう法然上人は、丘の上に突き出た岩に腰を掛けて念仏を唱え始めました。すると、空に紫色の雲が広がり、その合間から幾つもの光が射し込むという神秘的な体験をします。法然上人はこの石を
七不思議5「紫雲石」と名付け、その場所に草庵を結んだのが金戒光明寺の起こりです。上の「西雲院」は、江戸時代初めの元和2年(1616)、宗厳が金戒光明寺住職から「紫雲石」を賜り、この地に塔頭を開いたのが始まりです。
宗厳は滝川雄利の娘の使用人で、娘は僅か17歳で死去。その死に無常を感じた宗厳は許しを得て出家、11年間諸国で修行の後黒谷に帰り、娘の墓前で一心に念仏を唱え続けていました。その姿をみて感動した時の住職が紫雲石を宗厳に託したのです。
七不思議6「会津藩殉難者墓地」 会津藩が京都守護職に任ぜられた間に亡くなった藩士や、鳥羽伏見の戦いの戦死者が眠っています。15代将軍・徳川慶喜が大政奉還をすると、京都守護職も廃止され会津藩は朝廷に敵対する賊軍の汚名をきせられました。
鳥羽伏見の戦いで戦死した会津藩士の遺体は野ざらしにされました。京都の侠客・会津小鉄は容保に雇われた恩義に報い、子分を動員してこの墓地に手厚く葬りました。また遺品を新政府軍が包囲する会津若松の遺族に命がけで届けました。下は殉職者の「慰霊碑」。
金戒光明寺の北門をくぐって境内に行く途中に塔頭の「栄摂院(えいしょういん)」があります。安土桃山時代の天正17年(1589)、戦国武将の木俣守勝が松誉琴察上人を開山として創建、紅葉の名所として知られています。
七不思議7「明星井」 本堂の奥に廻ると黒谷明星水という名水が湧く井戸があります。明星水とは、井戸水に空から明星が落ち、そこから菩薩が現れたという伝承が由来とか。当時の皇族や公家の方々がこ水を使ってお茶を楽しんだといわれています。
最後の写真は本堂前の斜面、釈迦如来坐像が鎮座しています。励みになりますので、ブログランキングの応援のクリック↓をして下さると嬉しいです。
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コメント
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投稿: ゆーしょー | 2026年1月15日 (木) 02:37