光清寺 京の冬の旅で初公開
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
昨日は京都市・京都市観光協会が主催する「京の冬の旅」で特別公開されている三つの寺院に出かけてきました。最初に訪れたのは、出水通七本松東入るにある光清寺です。
「光清寺」は山号を心和山という臨済宗建仁寺派の寺院です。寛文9年(1669)伏見宮貞致(さだゆき)親王が生母・慈眼院殿心和光清尼の菩提のため杲山義洋(こうざんぎよう)和尚を開山として創立しました。
創立当初は天台・真言・華厳・禅の四宗兼学で声実庵と称しましたが、宝永3年(1706)堂宇を焼失して伏見宮邦永親王により再建されました。この時伏見宮の生母の法名を寺号とし、心和山光清寺と改められました。
なお宮家の縁故により無本寺格として準宮門跡に列せられました。無本寺とは本山がない寺院のことです。明治初年に臨済宗建仁寺派に属しました。(庫裏の前には小さいながら重森三玲晩年作の「心月の庭」があります。)
元は大きなクロマツが植えられていましたが、その木が枯死した跡に、州浜形に縁どられた白砂台を設け、石組みを配した庭です。
「鐘楼堂」は昭和42年(1967)に総ケヤキ造で建立され、鐘は黄鐘調(おうじきちょう)という音色だそうです。
左に見える中門は年代不明ですが当寺で最古の建物で、扉に開基の伏見宮家の家紋(十四裏菊)の透かし彫りがあります(最後の写真)。中央の玄関が拝観入口です。
本堂には、平安時代の慈覚大師(円仁)作と伝わる聖観世音菩薩立像が安置されています。部屋の内部は撮影禁止で、下は京の冬の旅のしおりからの転載です。
本堂の前に広がるのは「心和(しんわ)の庭」。光清寺の山号にちなみ、12の石と苔で「心」の字が形作られています。池に中の島で心の字を描く例はありますが、枯山水では他に例がないそうです。
庭園はスマホか携帯でのみ撮影可能でした。下はしおりからの俯瞰図です。
神仙世界にあるという「蓬莱」「方丈」「瀛洲(えいしゅう)」「壺梁(こりょう)」の四島に見立てて、広がる白砂が大海を表した枯山水庭園となっています。
庭の南は竹垣で区切られていて、斜めの竹が心の字を表すデザインになっています。
本堂には出水の七不思議に数えられる「浮かれ猫の絵馬」と呼ばれる、猫と牡丹と蝶が描かれた絵馬が展示してありました。以前は山門脇の弁天堂にありましたが、痛みを防ぐために複製と置き換えたそうです。
江戸時代の終わり頃、光清寺の近くにある五番町遊郭から夕暮れになると三味線のいい音色が聞こえてきます。その音に誘われるように弁天堂の絵馬から猫が浮かれ出し、女性の姿に化けて踊るようになりました。
それを見た人たちは大騒ぎになり、騒ぎを知った光清寺の住職は法力で浮かれ出した猫を絵馬に封じ込めました。すると、その日の夜遅く住職の枕元に正装をした武士が現れました。
武士は「私は絵馬の猫の化身だが不自由をしている。これからは世間を騒がせないので、どうか許してもらいたい」と懇願、哀れに思った住職は戒めを解きました。それからは、浮かれ猫の姿を見たものは誰もいないといわれます。
弁天堂は大正7年(1918) の再建。中央に弁財天、両脇に稲荷大明神と愛宕大権現が祀られています。弁財天は仏教と学芸の守護神で、光清寺の鎮守です。墓地には臨済宗の檀信徒の永代供養墓があります。
光清寺は「乾三十三所第六番」の札所でした。乾(戌亥)は北西の方角を意味し、この霊場は洛中の北西部(現在の上京区西部と北区南西部)にあり、智恵光院や椿寺、だるま寺も入っていました。最後の写真は中門からの心和の庭。
励みになりますので、ブログランキングの応援のクリック↓をして下さると嬉しいです。
★こちらを是非よろしく→
ブログ村→
-------------------------------------------------------------------
| 固定リンク





































コメント
こんばんは。ゆーしょーです。
今日の応援です。
投稿: ゆーしょー | 2026年1月16日 (金) 00:38