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2025年12月10日 (水)

天龍寺 2025秋

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日、宝厳院を訪れたあと天龍寺の表参道まできました。「天龍寺」は山号を霊亀山(れいきさん)、正式名称を天龍資聖禅寺(ししょうぜんじ)という臨済宗天龍寺派の大本山です。

飛雲観音」 全世界の航空安全祈願、戦没搭乗員と航空殉難者の慰霊供養のために建立。国籍や宗教の区別なく回向するために、手には十字架を持っています。石板には「とつくにの空を旅するもろ人を飛雲に乗りて守る観音」。

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平安時代初期、この地には嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子(786-850)が開いた檀林寺がありました。下は天龍寺の鎮守社の「八幡社」。

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その後の鎌倉時代中期、荒廃した檀林寺の跡地に後嵯峨天皇(1220-1272)とその皇子・亀山天皇(1249-1305)が離宮を営み「亀山殿」と称しました。正面の庫裡は建物への拝観入口、左に庭園だけの拝観入口があります。

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鎌倉時代には天皇家が、後深草天皇の血統(持明院統)と亀山天皇の血統(大覚寺統)とに分かれ、交代で皇位についた時期がありました。両統迭立(ていりつ)です。「僧堂南門」 右に「後嵯峨天皇嵯峨南陵、亀山天皇亀山稜」という石標があります。

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亀山殿は後醍醐天皇(1288-1339)の時代まで大覚寺統の離宮(別荘)として利用されてきました。門の向こうに後嵯峨天皇と亀山天皇の陵(みささぎ)が見えます。宮内庁管理です。

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1333年、後醍醐天皇は武家政権の鎌倉幕府を打倒し、天皇による親政(建武の新政)を開始しました。(庭園への拝観入口を入ると、右に「大方丈」があります。)

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1336年、後醍醐天皇と対立した足利尊氏が持明院統(北朝)の光明天皇を擁立して幕府を開き、建武の新政は3年で終了しました。(大方丈を通して後ろにある庭園を見ることができ、ちょっぴり御殿からの眺めが体感できます。)

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尊氏は1338年征夷大将軍となり、この年を室町幕府の始まりとする説もあります。一方、吉野に逃れた後醍醐天皇は南朝政権を樹立して、南北朝の内乱が勃発しました。 

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大方丈の裏(西)にある「曹源池庭園」、約700年前の夢窓国師作庭当時の面影をとどめ、わが国最初の史跡・特別名勝に指定されました。

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1338年、後醍醐天皇は吉野で崩御しました。翌年、足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、大覚寺統の離宮であった亀山殿を寺に改めて建造を開始したのが天龍寺です。 

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正面の2枚の巨岩を立てた「龍門の滝」は、中国の登龍門の故事になぞらえたものです。通常の鯉魚石は滝の下に置かれますが、ここでは滝の流れの横に置かれ、龍と化す途中の姿を現す珍しい姿をしているそうです。

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南北朝の対立の中(南北朝の合一は後の1392年)、足利尊氏に南朝の後醍醐天皇を弔う天龍寺の創建を強く進言したのは、当時武家からも尊崇を受けていた禅僧・夢窓疎石でした。右の建物は「小方丈」左の山は借景の亀山。

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無窓疎石は、建武の新政を開始した後醍醐天皇に招かれて1335年に臨川寺を開山、後醍醐天皇から「夢窓国師」の国師号を授けられました。この時の勅使役が足利尊氏で、以後尊氏も疎石を師と仰ぎました。

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池の南は嵐山が借景となっています。その間には大堰川が流れていますが、間近に山が見えます。

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一方で、夢窓疎石は室町幕府の重臣・中原親秀に請われて西芳寺を中興。尊氏は、天龍寺を創建するとともに、内乱による死者の鎮魂・追善や国家安全を目的として全国に安国寺を建立し利生塔を設置しました。 

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天龍寺の建設資金を調達するため疎石は天龍寺船の派遣を尊氏に献策、1345年後醍醐天皇七回忌にあわせて天龍寺の落慶供養が行われました。小方丈から渡り廊下を通って上の多宝殿に行けます。向うに見える内庭は嵐山の景観を表しています。

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「多宝殿」には後醍醐天皇の尊像が祀られています。現在の建物は昭和初期の建立ですが、後醍醐天皇の吉野行宮(あんぐう)時代の紫宸殿の様式を伝えています。手前で曽根造園の職人さんが作業をしています。

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曽根造園は京都の寺社の庭園管理を行い、9月には北野天満宮の御土居で行方不明の高齢女性を発見・救助してニュースとなりました。曹源池の背後(下の写真)を通って大方丈に戻れますが、展望台に上る方をオススメします。

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無窓疎石は1351年に死去し臨川寺に葬られました。臨川寺は亀山上皇の離宮の別殿「川端殿」に建てられ、現在は天龍寺派の寺院になっています(非公開)。

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展望台は「望京の丘」と呼ばれ、天龍寺の伽藍越しに市内中央部や比叡山から東山三十六峰が見渡せます。中央は大文字山です。

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展望台から先ほど通った多宝殿が見下ろせ、春は枝垂れ桜が綺麗なところで、ちょっとした王朝絵巻の雰囲気が味わえます。

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展望台は山腹を北に向かい、ここから北の庭園「百花苑」に下ります。向うには嵯峨野の竹林が見えています。一方、展望台には上らずに多宝殿の左から百花苑に行くこともできます。

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「平和観音」夢想国師は、母親が観音菩薩の夢を見て国師を生んだことから観音菩薩を信仰していたそうです。そして、夢想国師が南北両朝の和平に尽力したことにちなみ、この像を平和観音とよぶようになったとか。観音像の前は「愛の泉」。

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無窓疎石は禅庭・枯山水の作庭家としても名高く、天龍寺と西芳寺(苔寺)の庭園は国の特別名勝に指定、世界遺産にも登録され、永保寺、瑞泉寺、恵林寺の庭園は国の名勝に指定されています。下は北門近くの休憩所から。

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このあと、北門から出て竹林の小径を歩きました。励みになりますので、ブログランキングの応援のクリック↓をして下さると嬉しいです。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
天龍寺の表参道の紅葉が見事ですね。
また、塔頭の紅葉も素晴らしいです。
庭園へはいられたのですね。
僕も池の裏の小山の道を歩きました。
懐かしいです。 ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2025年12月11日 (木) 00:05

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