竹林の小径から小倉池へ 2025秋
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
先日、天龍寺を訪れたあと北門から出て「竹林の小径」を歩きました。北門から右手を行くと野宮神社がありますが、左にある大河内山荘の方に向かいます。
最初は緩やかな上りで、振りかえると天龍寺の紅葉が見えます。坂を上ったところで、竹に刻まれた落書きを発見しました。
10月13日の日テレニュースで「名所で落書き相次ぐ 嵐山の竹林に350本以上」と報じられました。京都市によると、竹は一度傷つけられると細胞は再生せず、傷が原因で枯れてしまうことがあるので、ひどい竹は伐採を検討しているそうです。
竹林は高い柵で囲まれ、私が見たところ落書きがあるのは柵の外に生えている竹のようです。イニシャルやハートマークが多く、竹林を訪れた記念のつもりかも知れませんが、やめてほしいと思います。
この場所にライブカメラがあります。再生ボタンを押すと現在の竹林の小径が見えます。
平安時代にこのあたりは貴族の別荘地でした。竹が唐が原産のモウソウチクであることから平安時代には竹林があったという説がありますが、確かではありません。
江戸時代には竹林があったことは確かで、その竹を用いた造園や竹細工などの技術が栄えました。竹林の小径は「大河内山荘」の敷地に突き当たってT字路になっています(写真は今来た方向を振り返って)
T字路から左(南)にいくと嵐山公園になりますが、こちらに行く人は多くありません
嵐山公園(亀山地区)はここでは傾斜した斜面になっていて、下の石畳の園路は保津川下りの船着き場に至ります。ここから、右の道を更に上ります。
向うは亀山の稜線で展望台があります。
ここから、保津川の渓谷と正面の山腹に大悲閣が見えます。正式には「大悲閣千光寺」という禅寺で、慶長19年(1614)豪商の角倉了以が二尊院の僧、道空了椿(どうくうりょうちん)を招いて建立しました。
保津峡を開削して整備した了以は、晩年はここに隠棲しました。大悲閣に以前に上ったことがあり、保津川やこちらの亀山、京都市内まで見渡せました。
大悲閣の下には「星のや京都」があります。渡月小橋からやってきた送迎船が停泊しています。星のや京都へは大堰川(保津川)右岸の散策路を歩いても来ることもできます。
コンビニ船が保津川下りの船を迎えに来ました。右にあるのは貸切の屋形船です。
T字路に戻り、左に大河内山荘の拝観受付があります。大河内山荘の紅葉やそこからの眺めも素晴らしいのですが、この日は二尊院まで行きたいので、立ち寄らず右の坂道を下りました。
坂道を下ったところに、嵯峨野観光鉄道(嵯峨野トロッコ列車)の嵐山駅があります。JR嵯峨嵐山駅の隣の嵯峨駅から嵐山駅、保津峡駅を通って亀岡駅に至る約25分の行程です。
トロッコの駅に向かって左は、野宮児童公園を通って落柿舎の方や渡月橋が通る長辻通に行けます。こちらも紅葉が美しいようです。また、最近京都市が整備した「竹林の散策路」にも行けます(まだ訪れたことはありません)。
駅に向かって右に歩くと直ぐに「小倉池」があります。小倉池は数年前から水質改善と水中生態系の保全を目的に整備工事が行われ、現在は一面に蓮の葉が広がっています。
散策路は小倉池の東を通り、対岸の「御髪神社」は、日本で唯一の髪の毛や理容・美容(化粧品・洗髪剤・育毛剤・カツラ等)にたずさわる業界の守護神を祀る神社です。
祭神として、藤原鎌足の末孫、藤原采女亮政之(うねめのすけまさゆき)を祀ります。最近では小倉池は蓮の花が美しい観光名所になっているそうです。
池の北はライフスタイルコンサルタント森孝之氏が整備した庭園「庭宇宙アイトワ」です。森氏は荒地に1,000本の木を植え、生ゴミや屎尿を還元する菜園を作り、省エネ、自然エネルギーを利用して、半自給的なエコライフを実現しています。
ここから北に向かう散策路は紅葉のトンネル(春は桜のトンネル)となります。最後の写真は森孝之氏の奥さんで人形作家の森小夜子さんが経営するカフェとスタジオ・ギャラリー「アイトワ」です。
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コメント
こんばんは。ゆーしょーです。
竹林の小径は嵯峨野へ行くたびに歩きます。
この日は割と静かだったのですね。
一度誰もいない竹林の小径を歩きたいです。
ポチ♪2
投稿: ゆーしょー | 2025年12月14日 (日) 02:07