走る馬! 新年おめでとうございます
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
明けましておめでとうございます。今日の記事は今年の干支にちなんで馬が登場する四つの神事を紹介します。最初は5月3日に行われる「下鴨神社の流鏑馬神事」、葵祭が平穏無事に行われるように沿道を祓い清める神事です。
馬場元(南)から公家装束の3名の射手が登場し、約400mの馬場に100m間隔に設けられた3つの的を馬上から鏑矢で狙います。公家装束で騎乗して的を射ることを「騎射」というそうです。
そのあと武家の狩装束の2名が続きます。小笠原流や奉仕の人々による奉納行事です。下は女性の方で、後には大学生、高校生の射手も登場しました。
騎射の射手は馬場の中間で長官代(近衛府大将)から神禄 (たすき)を賜り、手を触れず鞭をつかって肩にかけます。神禄を頂いた騎射の射手は、馬上拝舞(はいぶ)を行って喜びを表します。
5月5日の「上賀茂神社の賀茂競馬(くらべうま)」は、かっては宮中の武徳殿で催され、天下泰平・五穀豊穣の祈願をする儀式でした。平安時代後期に儀式が上賀茂神社に移され、その費用として20箇所の荘園が寄進されたことが賀茂競馬の始まりです。
最初に、出発地にある「馬出しの桜」から先馬(さきうま)が走り、その一馬身後に追馬(おいうま)が出ます。第一の番は左方が先馬と決まっています。乗尻(騎手)は賀茂県主(あがたぬし)同族会、すなわち、神社を創建した賀茂氏の子孫の皆さんです。
「見返りの桐」で先馬の乗尻が後ろを振り返り、着いてこれるか!という仕草をします。勝敗はこの一馬身差が「勝負の楓」を通過した時点で広がったか狭まったかで決めます。
対して、追馬の乗尻が、待てー!という仕草をします。第一の番は左方が必ず勝つようになっています。その理由は、京都所司代が奉納した馬が走ったとき、その馬に勝つわけにはいかなかったという逸話からとか。第二の番からは真剣勝負です。
同じ5月5日に行われる「藤森神社の駆馬神事」は、早良親王が天応元年(781)に陸奥の反乱に対し、征討将軍の勅を受けて藤森神社に祈誓出陣された際の意気込みを表したものとされます。「一字書き」は前線より後方へ情報を送りながら駈ける技。
室町時代には衛門府出仕武官により、江戸時代には伏見奉行所の衛士警護の武士や、各藩の馬術指南役、町衆らが技を競いあいました。「藤下がり」、敵矢に当たったと見せて駈ける技です。
「逆乗り」(地藏) 敵の動静を見ながら駈ける技です。この他に、敵に姿を隠す「横乗り」、 敵をあざけりながら駈ける「逆立ち」、敵矢を打払いながら駈ける「矢払い」、敵矢の降りしきる中を駈ける「手綱潜り」などの技があります。
5月15日の葵祭の最後の日に下鴨神社、上賀茂神社で「走馬の儀」が行われます。欽明天皇(在位539-571)の頃、風雨がはげしく五穀が実らなかったので、賀茂社の崇敬者であった卜部の伊吉若日子(いきわかひこ)に占わせました。
すると、賀茂の神の祟りであることがわかり、4月の吉日に葵を飾り馬に鈴をつけて走らせ、人は猪頭(いのがしら)を被り、五穀豊穣を祈ったことが始まりとされています。写真は上賀茂神社で、宮内庁の掌典職が勅使として派遣されます。
最初に神馬の2頭が走り、乗尻は競馬と同様に賀茂県主同族会の若者です。神馬の2頭が走ったあと、勅使は退席します。
流鏑馬や競馬、下鴨神社の社頭の儀と違い、上賀茂神社の社頭の儀では一の鳥居と二の鳥居の間の参道を走ります。
下が硬い参道で、四つの神事の中では一番スピードがでて迫力があります。賀茂県主同族会の皆さんは幼いころから乗馬の訓練をしているそうです。 
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コメント
あけましておめでとうございます。
ポチ♪2
投稿: ゆーしょー | 2026年1月 1日 (木) 00:14
こんばんは。ゆーしょーです。
京都には色んな行事がありますが
これ何か素晴らしい行事です。ポチ♪2
投稿: ゆーしょー | 2026年1月 2日 (金) 00:46
★ゆーしょーさん おはようございます♪
ずいぶん遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
投稿: りせ | 2026年1月 9日 (金) 10:32