清水寺 仁王門から舞台へ
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
昨日は清水寺方面に行ってきました。清水寺は最後に訪れたのですが、最新の紅葉情報を兼ねてその前半(舞台まで)を記事にしました。今日は建物の説明は省略して、清水寺の歴史を紹介します。TOPは「仁王門」
「清水寺」は山号を音羽山という北法相宗の本山で、その創建は奈良時代の宝亀9年(778)、現代から遡ること約1250年前です。「善光寺堂」
清水寺の始まりを記した『清水寺縁起』(「続群書類従」所収)によると、奈良で修行を積んだ僧、賢心(けんしん)が、夢で「南の地を去れ」とお告げを受けたことが清水寺の始まりです。「首ふり地蔵」
賢心は観音菩薩を本尊とする子島寺(奈良)で修行を積み、山岳仏教の修練に励み、後に延鎮(えんちん)と改名しました。(仁王門をくぐります。)
賢心は霊夢に従って北へと歩き、やがて京都の音羽山で清らかな水が湧出する瀧を見つけます。そして、この瀧のほとりで草庵をむすび修行をする老仙人、行叡居士(ぎょうえいこじ)と出会いました。「鐘楼」(重文)
行叡居士は賢心に観音を造立するにふさわしい霊木を授け「あなたが来るのを待ち続けていた。私は東国に修行に行く。どうかこの霊木で観音像を彫刻し、この霊地にお堂を建ててくれ」と言い残して姿を消したといいます。「西門」(重文)と「三重塔」(重文)。
賢心はすぐに「すばらしい霊地」と悟り、以後、音羽山の草庵と観音霊地を守りました。賢心が見つけた清泉は、その後「音羽の瀧」と呼ばれ、現在も清らかな水が湧き続けています。(以下、しばらく本堂の北を歩きます。)「中興堂」
それから2年が経ったある日、鹿狩りに音羽山を訪れた武人、坂上田村麻呂が音羽の瀧で賢心と出会います。坂上田村麻呂は賢心に尋常ならぬ聖賢を感じ、大師と仰いで寺院建立の願いに協力を申し出ました。鎮守社の「春日社」
そして、妻の三善高子とともに十一面千手観世音菩薩を本尊として寺院を建立し、音羽の瀧の清らかさにちなんで清水寺と名付けたのです。塔頭の「成就院」
平安時代中期からは真言宗をも兼宗していましたが、興福寺と延暦寺のいわゆる「南都北嶺」の争いにもたびたび巻き込まれ、永万元年(1165)には延暦寺の僧兵の乱入によって焼亡しました。応仁の乱の兵火(1469)によっても焼失し、
その再建のために時宗の願阿弥が迎え入れられました。願阿弥は清水寺入寺以前に橋や寺堂の再建、救済などの事業に従事しており、その際に率いていた勧進集団や要人との人脈をもって再興事業に臨みました(上述の成就院は願阿弥の住房でした)。「弁財天社」
清水寺は豊臣秀吉によって130石の寺領が安堵され、江戸時代になってもこの寺領は継承されています。本堂がある高台に上がり、「西門」から西の方
清水寺は創建以来10度を超える大火災にあいそのたびに堂塔を焼失しました。現在の伽藍のほとんどが江戸時代前期の寛永10年(1633)徳川家光の寄進によってに再建されたものです。「経堂」(重文)
清水寺の宗旨は北法相宗です。開創以来、奈良仏教の法相宗を宗旨とし、中世・近世においては法相宗大本山、興福寺(奈良)の末寺でした。(右は「景清の爪彫観音」。)
昭和40年(1965)当時の清水寺貫主大西良慶和上は、急速に変化する社会情勢に対応し、これからの時代に社会から必要とされる仏教を模索し続けて北法相宗を立宗、その本山として独立しました。「随求堂」
「北」法相宗という名称には、南都と呼ばれた奈良に対して、北に位置する京都で法灯を掲げるという意味が込められています。「田村堂」(重文) 、坂上田村麻呂と妻の三善高子の像を祀っています。
大西良慶和上は、生涯を通じて「仏教の社会的活動」を掲げて観音菩薩の教えを実践しました。老人福祉施設や児童養護施設の開設や運営、災害時の慰霊や復興ボランティアなど、公益のために尽力することが自身と仏教が担う使命だと考えていました。
大西良慶和上は戦争の時代に生きた仏教者として平和を説き、社会的弱者に優しいまなざしを向け続け、109歳で没しました。そして、清水寺の中興の祖と崇められ、前述の中興堂に祀られています。拝観入口の「轟門」(重文)
清水寺は、京都の東の音羽山の中腹に広がる13万平方メートルの境内には、国宝と重要文化財を含む30以上の堂塔伽藍が建ち並びます。「出世大黒天」
平成6年(1994)にはユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」のひとつとして登録されました。「本堂」(国宝)の舞台では修学旅行生が記念撮影をしていました。
本堂最奥の内々陣の厨子内に、本尊の十一面(四十二臂)千手観音と、脇侍の勝軍地蔵菩薩、毘沙門天を祀っています(その前に御前立があります)。
現在では、京都で最も多くの人が訪れる神社は伏見稲荷大社、寺院では清水寺といわれています。下は子安塔から音羽の瀧までの道、茶店が並んでいます。紅葉が色づき始めていました。
このあと、向うの奥の院から子安の搭(最後の写真)に向かいました。
励みにしていますので、ブログランキングの応援のクリック↓をして下さると嬉しいです。
★こちらを是非よろしく→
ブログ村→
-------------------------------------------------------------------
| 固定リンク








































コメント
こんばんは。ゆーしょーです。
一昨年に八坂神社へ初詣に行った時、
清水寺か迷ったのですが、結局八坂
神社へ行くことにしました。
八坂神社へ行っておいて良かったです。
清水寺へもう一度行きたいのですが、
とても行けないでしょう。
ポチ♪2
投稿: ゆーしょー | 2025年11月12日 (水) 00:10
★ゆーしょーさん こんばんは♪
お返事が滞りすみませんでした。今では八坂神社も清水寺も正月のような混雑です。
投稿: りせ | 2025年11月20日 (木) 00:56