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2025年10月17日 (金)

今宮神社の七不思議

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

今日は久しぶりに七不思議を紹介します。今宮神社は今年の7月に訪れたばかりですが、神社が七不思議として境内の見どころをあげていることを始めて知りました。TOPは境内から見た楼門。

楼門を入った右に「宗像社」があります。江戸時代中期の元禄年間の建立で 素盞鳴尊の十握剣(とつかのつるぎ)から生まれた宗像三女神を祀ります。 元来は海上交通の守り神ですが、今では交通安全の神とされています。

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七不思議1 「宗像社の神様の使い」 祠の台石の側面に鯰(なまず)の彫り物があります。昔の石工さんのいたずらかも知れませんが、宗像社の祭神は俗に「弁天さん」とも呼ばれ、鯰はその使いとして彫られたともいわれています。

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遷都によって平安京が栄える一方で、都人はうち続く疫病や災厄に悩まされました。人々はこのような災難はすべて、不慮の死を遂げた者の怨霊(御霊)の所業と考え、それらを鎮める儀式「御霊会」が行われました(手水舎も元禄時代の建立)。

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一条天皇の時代の正暦5年(994)6月に、当地に祀られていた疫神を二基の神輿に乗せて船岡山に安置して、それらを慰め奉って悪疫退散を祈りました。これが紫野御霊会です。「力石」

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紫野御霊会では、都中の老若男女はこぞって神輿の供をして船岡山に登り、綾傘に風流を施し囃子に合わせて唱い踊り、病魔のよれる人形を難波江(大阪湾)に流したといわれます。これが「やすらい祭」の起源です。(拝殿)

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七不思議2 「狛犬の邪鬼」 拝殿前の狛犬の台座に天邪鬼がいます。それぞれの台座の四方を支えているように見えますが、実は神の使いの狛犬が邪鬼を抑えつけているそうです。

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本殿の中御座には大己貴命(おおなむちのみこと)、東御座に事代主命(ことしろぬしのみこと)、西御座に奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)を祀っています。奇稲田姫命は、素戔嗚尊が八岐大蛇を退治して妻にした女神で、子孫繁栄・五穀豊穣の神です。

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平安時代中頃の長保3年(1001)、霊夢によって疫神は船岡山から再び現在の当社地に遷され、新たに設けられた神殿三宇ともども今宮社と名づけられました。これが今宮神社の起源です。

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七不思議3 「社殿が二つ。その理由は?」 古来からこの地にあった疫神は、本殿左横の摂社「疫社」に祀られています。疫神は祇園精舎の守護神・牛頭天王(ごずてんのう)といわれ、素戔嗚尊と同一視されてきました。

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七不思議4 「織姫神社」 祭神の栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)は織物の祖神で、七夕伝説の織女に機織を教えたとされます。機織などの技芸上達だけでなく、最近では七夕伝説にちなんで縁結びの神としても信仰されています。 

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七不思議5 「八社」 織姫社の左に、大国、蛭子、八幡、熱田、住吉、香取、鏡作、諏訪社を一棟に祀っています。このように全国の有名な社が祀られているのは、参拝者の便宜を図ったと考えられています。

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七不思議6 「阿呆賢さん」 最初に持ち上げてから、軽くなでながら願いをします。その後で持ち上げたときに軽く感じたら願いが叶うといわれています。最近ではこのような霊石があちこちの神社にありますが、こちらはその元祖ともいうべき存在です。

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七不思議7 「玉の輿発祥の地」 桂昌院(お玉)は西陣の八百屋の次女に生まれ、後に春日の局に認められて家光の側室となり、五代将軍綱吉の生母となりました。神仏を深く敬い、今宮社とやすらい祭りの復興に尽力、「玉の輿」の語源になりました。

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父が亡くなると、お玉は野菜を納めていた下級武士・本庄家の養女になります。本庄家の養女となったお玉は、公家出身の尼僧の侍女として奉公にでました。本殿前の燈籠は桂昌院(お玉)の寄進で、本庄家の家紋が掘られています。

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この尼僧が住職を務める寺は伊勢の慶光院という格式の高い寺院で、公家の姫が剃髪して修行し住職になる習わしでした。寛永16年(1639)尼僧は将軍家に挨拶をするために、江戸城の将軍・徳川家光を訪ねました。「桂昌院のレリーフ」

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しかし、思いがけないことが起こります。家光が尼僧に一目ぼれをして、尼僧はそのまま家光の側室として大奥に入り、後にお万の方として大奥を取り仕切ることになります。付き添っていたお玉も成人すると家光に見初められて側室になりました。

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これらのことは、女性に興味がなかった家光に何とか世継を残したいという春日局の奔走の結果でもありました。上述の手水舎と台石は桂昌院の寄進で、井戸は玉の井と呼ばれます。東門の前の橋の擬宝珠も桂昌院の寄進です。上はやすらい祭りの絵馬。

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七不思議8 「東門が正門」 下の古地図『山城國愛宕郡紫野今宮神社之図』は、明治期に境内の記録を役所に届け出るために描かれ、江戸末期から明治初頭の今宮神社の姿をとどめています。現在の楼門やその前の今宮門前通はありません。

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東門の外、 表参道に二つの茶店があります。右の「かざりや」は 江戸時代の創業400年。左の「一文字屋和輔」は平安時代の長保2年(1000)創業、一条天皇の子が疫病を患った時に厄除けの願いを込めてあぶり餅を供えたのがはじまりだとか。

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最後の写真は一文字屋のあぶり餅。今日もご覧いただきありがとうございます。お帰りの際に、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
3枚目はナマズなのですね。
上手に彫ってますね。

投稿: ゆーしょー | 2025年10月17日 (金) 23:45

★ゆーしょーさん こんばんは♪
私は石工の職人さんの遊び心だと思っていましたが、あえて神の使いの鯰を彫ったという方もいます。

投稿: りせ | 2025年10月24日 (金) 00:09

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