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2025年10月25日 (土)

喜運寺 特別公開

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日、「京都浄土宗寺院 特別大公開」で公開されている渋谷通の隆彦寺(りゅうげんじ)と小松谷正林寺を訪れたとき、同じく公開されている喜運寺(きうんじ)も拝観しました。TOPは正林寺の境内入口。

下の写真で、正林寺の境内に面して山門がありますが、喜運寺は正林寺の塔頭ではなく、山号を紫雲山という浄土宗の寺院です。

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喜運寺の開山・開基は不明ですが、江戸時代前期の寛永年間(1624-1645)に創建され、当初は五条坂にあったそうです。この場合の五条坂は五条通の東部を指し、喜運寺は川端通と東大路通の中間にあったようです。左は「本堂」。

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当時の境内に「延命大弁財天」(白蛇弁財天)が祀られ、宮川町の芸舞妓をはじめ地域の人々に信仰されていました。 また、毎月2日、15日には縁日が出て賑わったそうです。

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昭和20年(1945)3月、第二次世界大戦末期の強制疎開によって喜運寺は現在地に移転しました。以前の五条通は幅6mほどの狭い通りで、空襲による火災延焼を防ぐため、南側の建物が移転させられて道幅が広げられました。

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喜運寺は通常非公開ですが、過去何回か京都浄土宗寺院特別大公開に参加して、本堂が公開されてきました。本尊の両側に「十法法界 念仏衆生」という書があります。

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本堂には本尊の阿弥陀如来立像、地蔵菩薩像、仁王像などが安置されています。写真撮影はOKでした。

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本堂の公開にあわせて、いくつかの寺宝も展示されていました。下は蟹江廣吉作の「墨象だるま般若心経屏風」。般若心経の最初の部分「仏説摩訶 般若波羅蜜 多心経 観自在菩薩・・・」が六曲一双の屏風に書かれ、

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それぞれの漢字をつかって達磨が描かれています。下は次の「想行識亦復 如是舎利子 是諸法空相・・・触法無眼界 乃至無意識」の部分です。展示していませんが、最後の1枚の屏風もあるそうです。

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下は白字三尊で、黒っぽい背景は浄土三部経を細字33万字で書いたもので、空白で阿弥陀三尊の文字が浮かび上がっています。

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「如来来迎図」 臨終の際に、阿弥陀如来が諸菩薩とともに雲に乗って現れ、死者を極楽浄土へ導く様子を描いた絵画です。中心には阿弥陀如来、周りには観音菩薩や勢至菩薩など二十五菩薩が従い、如来は来迎印とよばれる印を結んでいます。

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「釈迦牟尼仏」 右に薬上菩薩、左に薬王菩薩が描かれています。釈迦三尊は文殊菩薩と普賢菩薩を従えることが多いそうですが、こちらは古い形だそうです。両菩薩は兄弟で、ともに良薬を人々に与え、心と体の病気を治したといわれます。

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境内の東に墓地が見えます。幾松(木戸松子)の妹、京都相撲力士・頭取(親方)・松ヶ枝政右衛門、人間国宝の組紐師・深見重助(1885-1974)らの墓があります。幾松は三本木の芸妓で維新の志士・桂小五郎(木戸孝允)をかくまい、後に結婚しました。

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現在の大相撲の前身は、かって京都、大阪、江戸の寺社の修繕費を集めるために境内で行われた「勧進相撲」で、かっては京都相撲がもっとも盛んでした。

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特別大公開では、松ヶ枝政右衛門所蔵の「六道図」や「地獄絵」も公開されることがありました。

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平成15年(2003)に弁財天堂が完成して、それまで仮安置していた弁財天が祀られました。

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弁財天坐像は江戸時代前期作の一面八臂で、頭の後ろに宇賀神がいます。

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音楽などの技能、財福や智慧のご利益があるとされます。。毎年正月三が日に御開帳され、今回の特別大公開でも開帳されました。

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頂いた御朱印には弁財天の元の場所・五条坂辨天社御供所が書いてありました。このあと、渋谷通から女坂の方に向かいました。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
京都や奈良は戦災に遭いませんでしたが
一応警戒していたのですね。
その点和歌山市は国宝の和歌山城が
焼かれ、旧市街の大部分が焦土と
化しました。憎いB29です。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2025年10月26日 (日) 00:06

★ゆーしょーさん こんばんは♪
京都は空襲に遭わなかったというのは間違いです。市内には少なくとも5回の空襲があり、100名近くの死者が出ています。それでも大都市として空襲が少なかったのは、原爆投下目標にあがっていて、その効果を際立たせるためだということが近年わかっています。

投稿: りせ | 2025年10月31日 (金) 23:54

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