金閣寺の七不思議
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今日は金閣寺の七不思議を紹介します。「金閣寺」は正式名称を「鹿苑寺」、山号を北山という臨済宗相国寺の境外塔頭です。
鎌倉時代の公卿・西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、北山殿(北山弟)を造ったのが始まりとされています。下は鞍馬口通の西端にある表門。
北山殿には、北御所、夫人・日野康子の南御所、叔母・祟賢門院の御所などが建てられました。祟賢門院(広橋仲子)は後円融天皇の生母で、姉妹の紀良子が足利義詮の側室、足利義満の生母です。「鐘楼」
応永5年(1398)に舎利殿(金閣)が建立されました。当初は三層のみに金箔が貼られていたといいます。正面は「唐門」、左に拝観受付があります。
七不思議1「呪術憎・浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)の墓」浄蔵は平安時代の天台密教僧で、加持、祈祷にすぐれ、神通力で八坂の塔の傾きを直したといわれています。お参りすると浄蔵の不思議な力によって願い事がかなうといわれます。
金閣寺の庭園は92,400㎡(2万8千坪)あり、鹿苑寺庭園として特別史跡及び特別名勝指定地となっています。池泉回遊式庭園の中心となる「鏡湖池(きょうこち)」は約6,600㎡(約2千坪)あります。
七不思議2「鏡湖池の名石」 鏡湖池には大小の島々とともに、畠山石、赤松石、細川石、九山八海石などの奇岩・名石が配されています。
左奥に「細川石」があり、義満時代の官僚・細川頼之が寄進した名石です。2枚下の写真で金閣の手前にあるのが九山八海石で、義満が遣明船で中国・明の太湖から運ばせたといわれています。
七不思議3「金箔張りの金閣(舎利殿)」一層は寝殿造の法水(ほっすい)院、二層は武家造の潮音洞(ちょうおんどう)、三層は中国風の禅宗仏殿造の究竟頂(くっきょうちょう)とよばれています。
三つの様式を見事に調和させた室町時代の代表的な建物といわれています。応永15年(1408)に義満が亡くなると、翌年子の4代将軍・義持は三条坊門殿に移り、北山殿は日野康子の居所になりました。金閣の真横の広場に来ました。
金閣の屋根は椹(さわら)の薄い板を何枚も重ねた柿葺(こけらぶき)で、上には中国の想像上の動物で、永遠の命を持ち権力の象徴、火の鳥とされる鳳凰が輝いています。この鳳凰は金銅製で昭和62年(1987)に修復された4代目だそうです。
応永26年(1419)に康子が亡くなると北山殿は破却され、翌年義持によって諸堂は様々な寺院に移築されました。下は「陸舟(りくしゅう)の松」、義満遺愛の五葉松の盆栽を帆掛け船の形に植え替えたと伝わっています。
このとき、舎利殿、護摩堂、法水院は残されたといいます。残された舎利殿は、臨済宗の僧・夢窓疎石を開山(開基は義満)として、北山鹿苑寺という禅寺になりました。下は一層内部の写真。
鹿苑寺の寺号は、義満の法号「鹿苑院殿」にちなんでいます。鏡湖池は舟遊式庭園でもあり、金閣の西に突き出た「漱清(そうせい)」に舟を着けます。8代将軍・足利義政はここで手水を使い金閣に上がったといわれています。
応仁の乱(1467年)では西軍の陣地が置かれ、建物や庭園は破壊や焼失しましたが、金閣だけは焼失を免れました。しかし、昭和25年(1950)に放火により焼失、5年後に創建当初の姿に復元されました。
庭園は昭和31年(1956)に特別史跡・特別名勝に指定され、平成6年(1994)金閣寺は世界文化遺産「古都京都の文化財」の構成要素の一つとして登録されました。池から離れ北の斜面の方に向かいます。
七不思議4「銀河泉(ぎんがせん)」 鹿苑寺の前身の北山殿を開いた足利義満は茶を好み、この水を用いたといわれています。
「巌下水(がんかすい)」 義満が手水に用いたとされます。
「龍門滝」と「鯉魚石(りぎょせき)」 中国の「登龍門」の故事にちなみ、義満の北山殿以前の西園寺家の遺構といわれます。この日は水がの勢いが凄かったです。
一段高い場所にある「安民澤」は、日照りの際にも水が涸れず、現在でも鏡湖池の水源地となっています。池の東の坂道を上がり散策路では一番の高台に向かいます。
七不思議5「白蛇の塚」 多宝石塔は白蛇の塚とされ、基部に四面仏が彫られています。西園寺家は鎮守として弁財天を祀っていたようで、白蛇はその使いとされます。
七不思議6「夕佳亭の南天の床柱」 この茶室は延宝8年(1680)後水尾天皇の逝去にともない金森宗和が建立、床柱に南天を用いています。幕末の慶応4年(1868)に焼失、明治7年(1874)に再建。
夕佳とは夕日に映える金閣が素晴らしいという意味です。下は「富士型の手水鉢」 足利義政の遺愛といわれています。義満の没後、義政はしばしば鹿苑寺に参り、東山殿(後の銀閣寺)造営の参考にしたといわれています。
夕佳亭から拝観路は下りになり、途中の台地に「不動堂」があります。当初は西園寺家の別荘に造られ、鹿苑寺の時代にも存続、安土桃山時代の天正年間(1573-1592)に中納言・宇喜多秀家によって再建されました。
七不思議7「弘法大師・空海作の石不動」 本尊の不動明王立像(重文)は弘法大師作とされる秘仏で、「石(いわ)不動」、「北山不動」ともいわれ、節分と8月16日に御開帳されます。
脇壇には木造の「不動明王像」が安置され、どちらかの不動明王が西園寺家の時代の本尊だったと考えられています。不動堂の横に外国語のおみくじの授与機があります。ここから石段を下って表門に向かいます。
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コメント
こんばんは。ゆーしょーです。
金閣寺にも七不思議があるのですね。
七不思議6の南天の床柱とは素晴らしいですね。
あの細い南天から柱を作ろうと思えば
樹齢何百年もの南天を使っているのでしょう。
一度見たいものです。
ポチ♪2
投稿: ゆーしょー | 2025年9月 6日 (土) 00:02