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2025年9月 7日 (日)

永観堂の七不思議

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

今日は紅葉の名所・永観堂の七不思議を紹介します。最初に拝観領域のお堂の中に入ります。「永観堂」は正式名称を禅林寺という浄土宗西山禅林寺派の総本山です。

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平安時代の嘉永6年(853)空海の弟子・真紹(しんじょう)が藤原関雄(せきお)の東山山荘を譲り受け、尊像を安置して真言宗の道場としたのが始まりとされます。(向こうは拝観受付がある中門。)

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平安時代の承暦年間(1077-81)に第7世として永観(ようかん)が入寺し、浄土念仏道場としました。鎌倉時代中期の建長5年(1253)浄土宗西山派開祖・證空の弟子・17世浄音が入寺して、浄土宗西山禅林寺派の本山となり、現在に至っています。

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「大玄関」からお堂に上がります。下は玄関の正面にある庭園、この庭の周囲を、左の古方丈、正面の瑞紫殿、右の釈迦堂(方丈)の順に回ります。建物の内部は撮影できません。

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七不思議1「抜け雀」 古方丈は寛文6年(1666)に建立され書院として使用されました。狩野元信や原在明の襖絵があります。下の孔雀の間の左右の欄間にはそれぞれ5羽の雀が描かれたといわれますが、右の欄間の雀が1羽足りません。

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雀があまりに見事に描かれていたので、1羽が飛び去ってしまったといわれています。下は古方丈から内庭。

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七不思議2「火除けの阿弥陀如来」 応仁の乱で永観堂も伽藍の大半が焼失してしまいました。ところが、この「瑞紫殿」に安置されていた阿弥陀如来坐像だけは右手が焦げただけで、焼け残ったそうです。

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弘法大師が火除けの願を掛けて彫刻したとされ、今でも火除けの信仰を集めています。下は「方丈(釈迦堂)の前庭」 方丈は本堂に次いで古いとされる建物で、釈迦三尊像を安置したところから、釈迦堂とも呼ばれます。中央の勅使門は江戸時代後期の建立。

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七不思議3「悲田梅(ひでんばい)」 永観(1033-1111)は境内に「薬王院」という施療院を建て、窮乏の人達を救済しました。山内に梅林を育てて悲田梅と名づけ、窮乏の人達の薬食の一助にと果実を施しました。

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上の写真の悲田の梅はその名残りだそうです。また、病人の浴室・「温室(うんしつ)」を設け、阿弥陀像を安置して末期の人々を見送りました。(主要な建物はすべて回廊で結ばれ、拝観順路はより高い場所のお堂に向かいます。)

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永観は、東大寺に学び幼少より秀才と認められ、三論宗の学匠として名声を得て将来を嘱望されましたが、禅林寺に隠遁する道を選びました。18歳から日課として一万遍の念仏を称え、後には六万遍もの念仏を称え、自ら「念仏宗永観」と名のったそうです。

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衰微していた禅林寺は再び興隆し、永観堂(えいかんどう)と呼ばれるようになりました。下の「御影堂(大殿)」は大正元年(1912)の建立。宗祖・法然と唐代浄土宗大成者の善導大師立像を祀っています。

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御影堂の南の外縁から、紅葉の間から一段高い場所にある阿弥陀堂が見えます。この斜面に中国原産の白皮松という1本の大きな松の木がある
そうです(写真ではどれか分かりません)。

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七不思議4「三鈷の松」 この松の葉は3本(普通は2本)、葉の長さが30cm近くもある珍しい松です。名前は三鈷杵(さんこしょ)と呼ばれる仏具に例え、真心・智慧・慈悲の3つの福を授かるとされ、

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財布に入れておくとお金が貯まり、タンスに入れておくと服が増えるともいわれています。この日は自由に持ち帰ることができました。正面に水琴窟がある三叉路。右には阿弥陀堂(本堂)があり、左は開山堂へのらせん階段があります。

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七不思議5「臥龍廊(がりゅうろう)」 室町時代の文亀4年/永正元年(1504)に造られたらせん階段でかなり急です。ここを上るとお堂の中で一番高いところにある開山堂に行けます。危険とのことで最近は通行できないようです。

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七不思議6「木魚蛙」 毎年4月下旬から5月にかけて、三鈷の松の周辺に棲む蛙が鳴き出すそうです。その鳴き声はまるで木魚を叩いたような音ですが、まだ誰もその蛙を見た人はいないといわれます。

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さらに上に上ると「阿弥陀堂」(本堂)があります。江戸時代初めの慶長12年(1607)に豊臣秀頼が大坂の四天王寺の曼荼羅堂を移築したもので、京都府指定文化財です。

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阿弥陀堂には本尊の「阿弥陀如来立像」(重文、下の写真)が祀られています。「見返り阿弥陀」とも呼ばれ、鎌倉時代初期の作といわれています。脇壇には、十一面観音菩薩像、地蔵菩薩像、永観律師像を安置しています。

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この阿弥陀如来がいつものようにお経を読みながら歩く永観につきあいました。しかし、その速度が遅いので「永観遅し!」といって見返ったままこの姿になったとも伝えられています。阿弥陀堂から外に出て多宝塔に向かいます。

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七不思議7「岩垣もみじ」 永観堂では裏山の急峻な斜面にも紅葉の木が生えています。前述の藤原関雄は、高級官僚でしたが文人でもあり、病気で退官して山荘に隠棲したときの暮らしを、(下は「開山堂」)。

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「おく山の 岩がき紅葉ちりぬべし 照る日の光 見る時なくて」(古今集)と詠んでいます。当時からこの地は紅葉の名所だったようです。下は多宝塔からの眺め。多宝塔(祖廟)は、昭和3年(1928)に建立された上部が円形の二重塔です。

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正面の手前は放生池の周囲の庭園。多宝塔は近すぎて写真が撮れないので、下から見た最後の写真を見てください。ここから西の眺望が開け、市内中央部から西山まで見渡せます。

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永観堂では秋に寺宝展とライトアップが行われます。「寺宝展」は禅林寺に遺る密教の秘宝「もう一つの永観堂」と題し、令和7年11月11日(火) ~ 12月10日(水)、受付は午前9時 ~ 午後4時(午後5時閉門)、拝観料は大人1000円、小中高生400円です。「放生池」

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寺宝展では、金銅蓮華紋馨(国宝)、薬師如来像(重文)、両界曼荼羅、密観宝珠舎利容器等が公開されます。「ライトアップ」は11月15日(土) ~ 12月10日(水)、受付は午後5時30分 ~ 午後8時30分(午後9時閉門)、拝観料は中学生以上700円です。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
永観堂へは行ったような気がするのですが
何しろ50年も昔のことで記憶は定かでないのです。
今夜のダーウィンが来た!京都生き物ワールド」を
見ました。京都が出てきて良かったです。

投稿: ゆーしょー | 2025年9月 7日 (日) 22:13

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