« 北大路通を歩く 堀川通一筋西から猪熊通 | トップページ | 上高地 大正池からアルペンホテルへ »

2025年8月 3日 (日)

萬福寺 隠元禅師と七不思議

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

Anl_0825a
※写真は全てクリックで拡大します。

最近、萬福寺にも七不思議があることを知りました。江戸時代の寛文元年(1661)中国からの渡来僧・隠元隆琦(いんげんりゅうき)は、幕府から領地を得て黄檗山・萬福寺を開創しました。

TOPは「総門」(重文)、屋根の中央が高く二段になっているのは中国風で、上に乗っているのは摩伽羅(まから)という想像上の生物、額「第一義」(重文)は5代・高泉の書です。今日は七不思議とともに、昨年国宝に指定された建物も紹介します。

Anl_0828a

「三門」(重文) 延宝6年(1678)建立の三間三戸の二重門です。京都市内から萬福寺を訪れるには、京阪宇治線の「黄檗」で降りるのが便利ですが、

Anl_0859a

七不思議1「黄檗という地名はない」 黄檗はもとは隠元禅師の出身の中国福建省福州府福清県にある黄檗山萬福寺が由来です。中国では寺は山にあることが多く、それにならって日本では平地にあっても寺号を付け、寺内のことを山内といいます。

Anl_0861a

萬福寺は中央の一直線上に主要な伽藍が並び、それらは両側から回廊で結ばれています。国宝の建物は中央に並び、その内部や周辺に七不思議があります。

Anl_0879a

「天王殿」 国宝に指定された建物の一つで 、寛文8年(1668)に建立され、本堂の手前にあり日本では珍しい中国式の伽藍配置です。×型の組子を入れたたすき匂欄も日本で珍しく、中国で使用されているデザインだそうです。

Anl_0887a

七不思議2「ほていさんは実在した」 天王殿の中央に片膝を立てた布袋座像が祀られています。布袋は中国の伝説の僧で、常に布袋(ぬのぶくろ)をもって町中をあるき、袋の中の物を施したそうです。布袋は弥勒菩薩の化身とされます。

Anl_0893a

布袋の周囲を四天王が囲んでいます。四天王は仏土守護の神像で、東西南北の方位に配置されます。「広目天」、西方を護り、筆と巻物、戟(げき、ほこ)と槍を持っています。

Anl_0894b

「多聞天」 北方を護り、宝塔と三叉の戟を持っています。萬福寺の四天王は明風ではあるも、明風を学んだ日本人仏師の作と見られているそうです。布袋像の後ろに韋駄天像があります。

Anl_0895b

七不思議3「韋駄天(いだてん)のひみつ」 韋駄天は増長天の八将の一神で、伽藍を守る護法神とされ、中国の禅寺では四天王、布袋とともに山門や本堂前に祀られます。韋駄天(下の写真)は足が速いとされます。

Anl_0902a

釈迦が入滅したとき悪い鬼がその骨(あるいは歯)を盗んだそうですが、韋駄天が走って捕まえて取り戻しました。「増長天」 南方を護り、刀・剣・戟 金剛杵を持っています。

Anl_0898b

また、釈迦が殺生を禁じていたので韋駄天は朝早く畑を走り回り、落ちている米や野菜を拾って朝食を作ったそうです。韋駄天は馳走ともよばれ、豪華な食事をご馳走というのはこのためです。「持国天」東方を護り、刀・槍・戟 金剛杵を持っています。

Anl_0900a

「大雄宝殿(だいゆうほうでん)」 寛文8年(1668)に建立された本尊を祀る建物で 日本の寺院の「本堂」や「金堂」にあたります。こちらも国宝に指定されました。上層の額「大雄寶殿」は隠元書、大雄は釈尊のことです。

Ajmz_5576a

中央は本尊の釈迦三尊像。脇侍は阿難(左)と迦葉(右)で、釈迦が亡くなったあと、長老の彼らが教えを受け継いだとされます。三尊像は中国の仏師・范道生(はんどうせい)の指導のもと、京の大仏師兵部が1669年に制作したものです。

Anl_0973a

七不思議4「隠元禅師が伝えたもの」 隠元は様々なものを日本に伝えました。その名の通りインゲン豆を始め、スイカ、竹の子、レンコン、明朝体を日本にもたらし、椅子とテーブルを一般人に広めたのも隠元禅師といわれます。

Amq_0856b

本尊両側には十八羅漢像を安置しています。釈迦の命によって、教えを説き民を導く悟りを開いた弟子たち(十六羅漢)に、慶友と賓頭廬(びんずる)を加えたものです。片側に九体ずつあります。

Anl_0976a

この羅鑑像は隠元が中国から連れてきた范道生作で 彫りの深い顔立ちに、いきいきとした表情、緻密な模様が刻まれた衣裳は日本の仏像に見られないものです。范道生は1週間で彫りあげたといわれています。

Anl_0994a

七不思議5「白砂のスペース」 創建時には本堂前に白砂が敷き詰められていました。法要は夕方から夜に行われることが多く、月明かりを反射させて本堂内を照らしたといわれます。現在でも本堂前のスペースを「月台」というそうです。

Jmt_1949b

七不思議6「中国式の作法」 萬福寺では立ってお経をあげてお勤めします。この円座はお釈迦様に挨拶するときにだけ使い、膝と肘と額をつけ、手のひらを上に向けて跪(ひざまず)きます。般若心経を(唐時代の)中国語で唱えるそうです。

Amq_0984a

「法堂」 大雄宝殿の後にあり、寛文2年(1662)に建立されました。禅寺における主要伽藍のひとつで説法を行う場所で、内部には須弥壇のみを置きます。上堂や住持の晋山式などに使われます。こちらも国宝に指定されました。

Anl_0987a

法堂正面の勾欄は、卍及び卍くずしの文様になっています。これらはすでに奈良時代の法隆寺などの南都寺院に使われていますが、江戸時代初期にあらためて黄檗を通じてもたらされたものです。

Anl_1008a

七不思議7「開梛(かいぱん)」 儀式の時を知らせるために礼棒で叩きます。目を閉じない魚は不眠不休の修行を意味し、口から煩悩を表す泡を吐き出しています。木魚の原型とされます。

Anl_0932a

もし棒で叩いて割れたら、煩悩をすべて吐き出したということでその日のお勤めはお休みとなるそうです、しかし、今まで一度も割れたことがありません。最後の写真は隠元禅師がもたらした「普茶料理」、上の写真の右にある「黄龍閣」で頂けます。

Dsc17940a

更新する励みにしていますので、一日一回ブログランキングの応援のクリック↓をして下さると嬉しいです。

★こちらを是非よろしく→   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

Amq_0916a

|

« 北大路通を歩く 堀川通一筋西から猪熊通 | トップページ | 上高地 大正池からアルペンホテルへ »

コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
このお寺にも7不思議があるのですね。
インゲン豆が隠元禅師から来たとは
知りませんでした。
最後のお料理、めちゃめちゃ美味しそうです。

投稿: ゆーしょー | 2025年8月 3日 (日) 22:16

ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2025年8月 4日 (月) 00:23

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 北大路通を歩く 堀川通一筋西から猪熊通 | トップページ | 上高地 大正池からアルペンホテルへ »