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2025年8月23日 (土)

泉涌寺の七不思議

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

今日は泉涌寺の七不思議を紹介します。「泉涌寺(せんにゅうじ)」は山号を泉山(せんざん)という真言宗泉涌寺派の総本山で、皇室との関連が深く御寺(みてら)とも呼ばれます。(以下の写真は1月下旬です。)

斉衡2年(855)左大臣藤原緒嗣が僧・神修のために山荘を与え、仙遊寺と称したのが始まりです。上の「大門」(重文)は慶長年間(1596-1615)に造営された内裏門(南門)を移築した本瓦葺の四脚門です。

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鎌倉時代の建保6年(1218)月輪大師・俊芿(しゅんじょう)が宇都宮信房からこの地を寄進され、宋の法式を取り入れた大伽藍を造営しました(山門を入った左の楊貴妃観音堂に立ち寄ります。)

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造営中、敷地の一角から清水が湧き出たことから「泉涌寺」と改称されました。観音堂には聖観音像(重文)が安置されています。聖観音像は、月輪大師の弟子・湛海律師が寛喜2年(1230)中国・南宋から持ち帰り泉涌寺に秘蔵していたものです。 

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七不思議1「楊貴妃観音」 聖観音像はその像容の美しさから、玄宗皇帝が亡き楊貴妃の冥福を祈って造仏したとの伝承を生み、江戸時代はじめころから楊貴妃観音と呼ばれ信仰されてきました。

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口もとや目もとの曲線は、えもいえぬ尊容を漂わせています。観音の慈悲と楊貴妃の美貌が渾然一体となり、太秦広隆寺の弥勒菩薩の美しさと並ぶ美貌の仏像とされています。

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七不思議2「下り参道」 大門から伽藍への参道が下り坂になっています。月輪大師がこの地を与えられたとき、窪地にお堂を建てるという条件があったそうです。

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「仏殿」(重文)は、江戸時代の1668年に将軍・徳川家綱により再建され、現存する唐様建築、禅宗様仏殿の中では最大規模です。

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七不思議3「仏殿の鬼瓦」 仏殿の鬼瓦は全て目が開いていて、仏殿に向かって歩くと目が光り、睨みつけられているようです。鬼瓦には魔除け・厄除けの役割があります。

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七不思議4「応仁の乱の焼け跡」 室町時代の応仁の乱(1467-1477)では泉涌寺の伽藍も焼失、仏殿の周りの石畳にその焼け跡が残っています。*近くで撮った写真がないので分からないかも知れません。

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七不思議5「三世三尊仏」 仏殿には左から本尊の阿弥陀如来、釈迦如来、弥勒如来の三尊が祀られています。それぞれ、現在、過去(先祖)、未来(子孫)を護ってくれるとされています。

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「舎利殿」(京都府指定文化財)は慶長年間(1596-1615)、京都御所の建物を移築・改装、仏殿と同時代に現在の場所へ移されました。

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七不思議6「仏牙舎利」 釈迦の歯の骨・仏牙(ぶつげ)舎利寛喜2年(1230)に湛海律師により持ち帰られ、内陣にある舎利塔の中に納められ、韋駄天像・月蓋長者像(共に重文)とともに安置されています。他の2本はスリランカとネパールにあるそうです。

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七不思議7「日本一の鳴龍」 舎利殿の天丼には狩野雪筆の「雲龍図」が描かれ、堂内で手を打つとその反響音が天から降る龍の鳴き声のように聞こえることから、「鳴き龍」として知られています。赤く彩色された巨大な龍です。

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あと三つの七不思議が境内東(山側)の本坊にあります。下は本坊の「表門」。

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下は境内図(東部のみ)で上が東です。本坊と御座所、海会堂、霊明殿の建物がつながり、その前の築地塀で境内から区切られていることが分かります。

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「本坊」への玄関、右には「真言宗泉涌寺派宗務所」と「総本山 御寺 泉涌寺寺務所」という看板がかかっています。ここから中は特別拝観料が必要で、舎利殿などの御朱印もいただけます。

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拝観受付から右の「御座所」に入ります。明治15年(1882)霊明殿の炎上とともに、庫裡や書院も焼失しました。明治天皇は霊明殿の再建と併行して、京都御所内にある皇后宮の御里御殿を移して、御座所としました。

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元の御里御殿は文化15年(1818)に造営されたもので、御座所の西に御車寄があります。下は御車寄の内側からで、正面は勅使門。御車寄に続く一棟は六室に別れていて、南側は西から侍従の間、勅使の間、玉座の間です。

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七不思議8「明治天皇のお部屋」 こちらは北側の部屋の廊下で、手前から「皇族の間」、「門跡の間」、「女官の間」が並んでいます。このうち、皇族の間は江戸時代に皇后の出産のために造られた部屋で、明治天皇が幼少の頃に過ごした部屋でもあります。

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下は「女官の間」の『四季耕作図』 農村の移り変わる季節の平和な風景が細やかに描かれています。左手(東)が春で、田での代掻きが行われています。皇族の間の写真はありません。

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七不思議9「玉座の間」 玉座の間は一段高くなっており天皇の居室です。特徴の違う棚が備えられ、障壁の瑞鳥花弁図は土佐派の宮廷絵師の筆です。極楽浄土にしか咲かない宝相華という花が描かれています。

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七不思議10「霊明殿」 明治15年(1882)に炎上、同17年明治天皇によって再建された尊牌殿で、入母屋造り桧皮葺き、外観は宸殿風の建物です。内陣に四条天皇像(木像)と御尊牌(位牌)をはじめ、

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明治から昭和の天皇・皇后の御真影、御尊牌が安置され、それ以前の天皇家の御尊牌は左右の御扉内に安置されて、毎日回向が行われているそうです。最後の写真は秋の「御座所庭園」です。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
鬼瓦にも色んな種類がありますが、
仏殿の鬼瓦のような鬼瓦を見るのは
初めてです。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2025年8月24日 (日) 02:52

★ゆーしょーさん こんばんは♪
鬼瓦の目に穴が開いていて空が見えるのすが、気が付くとビックリしますね。お寺の要望か瓦職人の遊び心か、分かりませんが。

投稿: りせ | 2025年8月28日 (木) 00:52

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