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2025年7月 9日 (水)

東大路通を歩く 五葉ノ辻町から九条跨線橋

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

今日は東大路通の南の橋まで歩きます。この辺りは京都市東山区泉涌寺五葉ノ辻町、昨日の記事の最後は泉涌寺雀ケ森町で、ともに幕末まで泉涌寺領でした。TOPは京都第一赤十字病院。

下は「東山消防署泉涌寺消防出張所」。以前の記事で東山区は寺社や木造家屋が多く、東山消防署は各団体と連携して防災活動をしていると紹介しました。こちらは東山消防署の唯一の出張所で、近くに多くの寺院があるからだと思われます。

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脇道の先に「平田整骨院・鍼灸院」、長年の様々な経験をもとに、患者にとって安全で効果的なケアをする最良の方法を選択。個人の体質を理解し、健康状態や症状の根本的解決、免疫システムを蘇らせるそうです。

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「京都第一赤十字病院」 昭和9年(1934)日本赤十字社京都支部病院が診療開始、太平洋戦争中は京都陸軍病院、舞鶴海軍病院となりましたが、昭和20年(1945)進駐軍の兵站病院として接収。昭和30年接収解除となり現在の第一日赤になりました。

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「アイン薬局 第一日赤病院前店」 ここから調剤薬局が続きますのでそれぞれの説明は省略し、大病院の周辺に調剤薬局が多い理由を説明します。

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病院と薬局がそれぞれ独立して業務を行う「医薬分業」は、病院が薬を調合すればするほど儲かるという弊害を避けるために、先進国では以前から制度化されていました。「ファーマシー薬局東山」

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「カメラのソノ」 カメラの販売、証明写真、デジタル写真のプリント、フジカラーのフィルム現像・プリントを行っています。

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「アイピー化粧品 京都第2販社」 アイピー化粧品(IVY COSMETICS)の販売店です。アイピー化粧品はネットでの販売を行っておらず全て対面販売で、全国361店舗、京都府に22店舗あります。

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日本が太平洋戦争に敗北すると、GHQは医薬分業に乗り出し、日本医師会は厚生省を巻き込んで抵抗しましたが、最終的には昭和26年(1951)総司令部指令により薬事法が改正されました(医薬分業法)。「双葉薬局」

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「伊藤経営労務管理事務所」 社会保険・労働保険の手続きは種類も多く複雑で制度も頻繁に変更されます。そのため、多くの企業で社会保険労務士がいる事務所へのアウトソーシング(外注)によってコスト削減を行っています。

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「ウエルシア ダックス東山本町店」 ウエルシアダックスはシミズ薬品・調剤薬局を併設したドラッグストア・ウエルシア薬局とフランチャイズ店・ダックスを展開する企業です。京都府に73店舗、内51店舗に調剤薬局を併設しています。

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京都府の大病院は、京都大学医学部附属病院(病床数1,066)、京都府立医科大学附属病院(720)、京都第二赤十字病院(667)、京都第一赤十字病院(600)、京都医療センター(600)、京都市立病院(528)です。バス停「東福寺」

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「中村升一写真場」 創業昭和11年(1936)の写真館で、七五三・成人式・結婚式などの記念写真、お見合い写真、宣材写真、学校アルバム、ビデオ撮影を行ってきました。スタジオ撮影だけでなく出張撮影もしています。

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「天川(あまかわ)花店」 花束・フラワーアレンジメント・ブーケ・ウエディングブーケ、コサージュ・鉢物・観葉植物などを取り扱い、開店花・お祝い花・お見舞い花 法要生花などそれぞれに合ったお花をデザインします。

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石標の「京都第一赤十字 看護専門学校」は、昭和9年(1934) 日本赤十字社京都支部救護看護婦養成所として開校。昭和51年京都第一赤十字看護専門学校と改称、学校教育法に基づく医療専門課程を設置する専修学校となりました。

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「九条跨線橋」 橋の下はJR奈良線が通っていて、その先には鴨川があります。橋の上は九条通なのでここが東大路通の最南端です。

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東大路通は知らない間に北東から南西への斜めの通りとなっていて、東西の通りの九条通と滑らかにつながっています。左上はJR奈良線の東福寺駅、下には東福寺の塔頭が点在しています。

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「萬寿禅寺」 京都五山第五位、永長2年(1097)白河天皇の皇女である郁芳門院(媞子内親王)の菩提のために六条御堂を建てたことが始まりで、所在地は万寿寺通高倉あたりでした。「鐘楼」(重文)

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鎌倉時代の正嘉年間(1257-1259)東福寺に帰依して臨済宗寺院となり、寺号も萬寿禅寺と改めました。室町時代には京都五山の第五位に数えられるも、火災後衰微。安土桃山時代の天正年間(1573-1592)に現在地にあった三聖寺の隣りに移転。

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三聖寺は鎌倉時代には大寺院でしたが次第に衰微し明治6年(1873)に萬寿寺に合併され、明治19年には萬寿寺が東福寺の塔頭となり現在に至ります。現在の東福寺の本尊釈迦三尊像、愛染堂と仁王門(各重文)はもともとは三聖寺のものでした。

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昭和10年(1935)には京都市電と東山通、九条通の開通により境内が分断され、萬寿寺は東福寺の飛び地のような位置になりました。向いに石標「大本山東福寺」があります(最後の写真)。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
JR奈良線は少しの区間
乗ったことがあるのですが
この九条跨線橋のある区間は
乗ったことがないのです。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2025年7月10日 (木) 00:03

★ゆーしょーさん こんばんは♪
私が奈良に出かけたのはいつか思い出せないくらいです。それも近鉄だったと思いますので、JR奈良線には乗っていない気がします。

投稿: りせ | 2025年7月13日 (日) 02:10

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