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2025年7月16日 (水)

祇園祭2025 前祭宵々山(前半)

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日は祇園祭の宵々山に行ってきました。地下鉄 四条烏丸駅から地下道を東に歩いて地上に出ると、四条通は既に歩行者天国になっていました(TOP)。

「長刀鉾」 「くじとらず」として、常に山鉾巡行の先頭を受け持ちます。鉾の名は、かって鉾のてっぺんを飾った三条小鍛冶宗近作の大長刀で、宗近が娘の病気平癒を祈願して八坂神社に奉納したものです。

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稚児が乗る唯一の鉾です。山鉾巡行は江戸時代中期以降女人禁制が続いてきましたが、最近では緩和され、宵山(宵々山、宵々々山)ではほとんどの山鉾に女性が搭乗できますが、長刀鉾は伝統を守って女人禁制です。

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7月15日、16日は下図の山鉾(赤と朱)がある道は歩行者天国になっていて、いつかの区間は一方通行です。すぐ向うに見える山鉾も一方通行のため随分回り道をしないとたどり着けない場合があります。

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四条烏丸の交差点から、西の方には山鉾が並んでいます。

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烏丸通を渡ったところに「函谷鉾(かんこほこ)」 鉾の名は中国古代の孟嘗君の故事に由来します。戦国時代、斉の孟嘗君は秦の昭王に招かれ宰相に重用されました。しかし讒言によって咸陽を脱出することになり、函谷関まで逃げます

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関の門は鶏が鳴かねば開きません。配下が鶏の鳴き声をまねたところ、あたりの鶏が一緒になって鳴いて時を告げたので見事通り抜けたといいます。

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「月鉾」 夜を司る月の神・月読尊(つきよみのみこと)を天主座に祀ることにちなんだ鉾です。太陽を象徴する天照大御神の弟神だそうですが、神話では記述が少なくちょっと謎の神です。

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かっては、かつら男鉾などと呼ばれていましたが、月読尊を祀ることや鉾頭に新月(三日月)の飾りを付けていることなどから月鉾と呼ばれるようになったそうです。

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四条通から室町通の北を見ると「菊水鉾」が見えます。町内に古くからあった「菊水の井」から名付けられたといわれます。ここは北向一方通行で、道の片側には屋台が並んでいます。かなりの混雑です。

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この井戸の名は謡曲「菊慈童」で「菊の葉の露を飲んで不老長生になった」という故事にちなんでいます。この鉾に限り「菊水」と篆刻された額がつき、鉾頭を始めあちこちに菊の印が見られます。

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鉾の北に「菊水の井跡・大黒菴武野紹鴎邸址」があります。室町時代にこの地に夷を祀る社があり、茶道の先駆者で千利休が師事した武野紹鴎は菊水の井をこよなく愛し、この地に茶亭を設け「大黒菴」と称しました。

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「占出山」 鮎釣山ともいい、神功皇后が肥前国松浦で鮎を釣って戦勝の兆としたという説話によります。

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占出山の前懸は日本三景の宮島が描かれた綴織で(下の写真)、右側の胴懸が日本三景の天橋立、左側の胴懸が日本三景の松島が描かれた綴織です。写真の上は三十六歌仙図の刺繍水引幕の復元品です。

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現品は歌仙図にならい天保2年(1831)に全面を金糸で地詰め、三十六人の歌人を切付繍い、背景には流麗な歌文字が刺繍されています。復元は東大路を歩くの記事で紹介した龍村美術織物です。会所には神功皇后にちなんで安産のお守りもあります。

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「孟宗山」 昔、中国に孟宗という人物が、病気の母が欲しがる筍を真冬の雪の中で探し回り、ついに掘り当てて母を喜ばせたという話に因んでいます。烏丸通にある唯一の山鉾です。

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別名を筍山ともいい、御神木の松や粽には、雪を模した綿が付けられます。ご神体は唐人衣裳に笠をつけ右手に雪をかぶった筍、左手には鍬を肩にかついで立っています。会所では、授与品の粽・手拭・扇子などが売られています。

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平成21年(2009)に新調された平山郁夫筆の胴懸「砂漠らくだ行(月)」、初めて間近でみました。

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「山伏山」 昔、八坂の塔が傾いたとき法力によってそれをなおしたという呪術僧・浄蔵貴所(じょうじょうきしょ)の大峯入りの姿をあらわしています。

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ご神体が山伏の姿をしていることから山伏山と呼ばれます。会所の2階に飾られていて外から見えます。

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「霰天神山」 かって京都が大火に遭った時、急に霰が降り火の勢いが収まったそうです。その時に降りてきた天神像を祀ったのが霰天神山の始まりとされています

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実際に、その後一度も火災にあっておらず、「火除け天神」とも呼ばれています。授与品には、除災招福・雷除火除のお守りがあります。

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「放下(ほうか)鉾」 真木のなかほどの「天王座」に放下僧の像を祀るのが由来です。放下(ほうげ)とは禅の言葉で、全てを放り投げて無我の境地に入ることだそうです。放下僧は、街頭で芸をしながら仏法を説いたといわれます。

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「ふくろうのおみくじ」があります。淡い色味と素朴な表情がとても可愛いふくろうの入れ物が人気です。

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四条通に出ると、西に「郭巨山」があります。郭巨は中国の史話に出てくる二十四孝の一人で、貧困に苦しんだ郭巨が子を捨てようとしたところ土中から黄金がでてきた、という話にちなんだ山です。

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御神体の郭巨は金の釜を発見した驚きの表情で鍬を持ち、童子は右手に唐団扇、左手に紅白の大輪の牡丹を持っているそうです。

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この山では本格的?なおみくじが授与されます。

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四条通の一番西に「四条傘鉾 」があります。織物の垂りなどをつけた傘と棒ふりばやしが巡行する古い鉾の形態である傘鉾の一つで、応仁の乱以前に起源をもち、傘の上には御幣と若松を飾ります。

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「子供棒振り踊り」(無形民族文化財)が行われていました。踊りとはやしは、室町時代に京都から広まった風流踊で、今も滋賀県の滝樹神社に伝わる「ケンケト踊」を参考に復元したものだそうです。 このあと、西洞院通にある蟷螂山に向かいました。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
今日のNHKのテレビでも
放送してました。
大勢の人が来てますね。
暑い中撮影お疲れ様です。

投稿: ゆーしょー | 2025年7月16日 (水) 22:56

ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2025年7月17日 (木) 00:10

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