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2025年7月24日 (木)

祇園祭後祭 山鉾巡行・花傘行列・還幸祭のみどころ

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

今日は祇園祭後祭の山鉾巡行、花傘巡行、還幸祭が行われます。猛暑(38℃)で熱中症警戒アラートが出ているので、出かける代わりにそれぞれの見どころを紹介します。山鉾巡行は9時30分に烏丸御池を出発、河原町御池を通って四条烏丸に向かいます。

巡行の先頭は古来から舁山(かきやま)の中で唯一「くじ取らず」の「橋弁慶山」です。謡曲「橋弁慶」より、弁慶と牛若丸が五条の大橋で戦う姿をあらわしています。(写真は河原町御池の交差点北東から見ています。)

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「北観音山」(くじ取らず) 破風下の木彫雲鶴は片岡友輔の作。天水引は観音唐草(隔年)、下水引の関帝祭の図は中島来章の下絵。前後懸は19世紀のペルシャ絨毯、胴懸東面はトルキスタン絨毯、西面はインド絨毯「斜め格子草花文様」の復元品です。

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「役行者山」 伝説の修行者・役行者(中央)、一言主神(左)と葛城神(右)の三体を安置し、役行者が一言主神を使って葛城と大峰の間に、橋をかけたという伝承を表しています。

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「浄妙山」 平家物語の宇治川の合戦の一場面を表しています。治承4年(1180)宇治川の合戦に三井寺の僧兵筒井浄妙が橋桁を渡り一番乗りをしようとすると、一来法師が「悪しゅう候、御免あれ」と頭上を飛び越えて先陣をとってしまったという話です。

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「鯉山」 中国黄河の難所である龍門の滝を登った鯉は龍になるという故事・登龍門に由来しています。山を飾る前懸、胴懸(2枚)、水引(2枚)、見送は16世紀にベルギー・ブラッセルで製作された1枚の毛綴を裁断して用いたもので重要文化財です。

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「北観音山」(くじ取らず)山の上には楊柳観音像と韋駄天立像を祀っています。破風下の木彫雲鶴は片岡友輔の作。天水引は観音唐草を使用、下水引の関帝祭の図は中島来章の下絵。前後懸はペルシャ絨毯、胴懸はトルキスタンとインド絨毯の復元品。

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「八幡山」 町内に祀られていた八幡宮を勧請したことに由来しています。八幡山の鳥居には夫婦円満を象徴する雌雄の鳩が向かい合って止まっています。水引は十長生図の刺繍で、「十長生」とは不老長寿のことだそうです。

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「黒主山」 謡曲「志賀」にちなんで、大伴黒主が桜の花を仰ぎ眺めている姿をあらわします。ご神体は寛政元年(1789)辻又七郎狛元澄作の銘があります。山に飾る桜の造花はちまきと同様に戸口に挿すと悪事が入ってこないといわれています。

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「鷹山」(くじ取らず) 応仁の乱以前から巡行していた由緒ある山鉾で大きな曳山です。御神体は鷹匠・犬飼・樽負の御三方で、中納言在原行平様が光孝天皇の御幸で鷹狩りをする場面です。

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「大船鉾」 後祭山鉾巡行の殿(しんがり)を務めるくじ取らずです。神功皇后が新羅に出兵し、朝鮮半島の広い地域を服属下においたとされる「三韓征伐」を題材にしています。昨年新調した新しい車輪です。

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先日紹介したように、花傘巡行は、後祭がなくなっていた期間に代わりに始まり、神輿の先触れの役割を守ってきました。(後祭が復活したあとも行われてきましたが、子供や着物姿の女性の行列なので、猛暑のため急きょ中止となる場合があります。)

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上は行列の先頭の「開智童心太鼓」、後に続く神輿の音頭をとります。子供神輿や剣鉾も巡行します。剣鉾は京都の古い祭りの形態で、現在でも周辺地域の神社の祭りで巡行しています。

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「神饌花車」 八坂神社の祭神へのお供えもので、この行列の中では重要なものです。(巡行のコースも変更となることがあり、最近は9時30分に下京中学校成徳学舎を出発、高辻通、烏丸通、四条御旅所、八坂神社です。河原町御池は通らないようです。)

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「金獅子」と「銀獅子」の獅子舞が交差点で暴れます。

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「祇園太鼓」 八坂神社に戻ってから、祭神に演奏を奉納します。太鼓は女の子が目立ちました。

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行列の名称でもある「花傘」、花傘は芸能的色彩が濃く、山鉾の原始的な形といわれ、現在の綾傘鉾や四条傘鉾にもその名残があります。

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「馬長(うまおさ)」が続きます。馬長は、祇園祭の前身の祇園御霊会で神事に騎乗して社頭の馬場を練り歩いた者で、小舎人童(こどねりわらわ)などを美しく着飾らせていた名残といわれています。

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「久世六斎保存会」 久世駒形稚児社参は祇園祭の重要な神事ですが、同じ地区で発祥した久世六歳念仏も八坂神社と特別な関係にあったようです。

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「花傘娘」 「京都きものの女王ビューティーページェント」で「京都プリンセス」に選出された女性が、花傘娘の称号が与えられて参列します。 ちなみに、花傘娘は八坂神社の宮司さんの命名だそうです。

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この後上七軒を除く4花街の「芸舞妓さんの曳き車」が続き、午後に八坂神社で舞の奉納をします。毎年4花街の順番が変わります。下は「祇園東」の芸舞妓さんで小町踊を奉納します。

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「鷺踊」 しばらく途絶えていましたが、江戸時代後期の寛政年間に八坂神社より津和野潘に伝習されていた鷺舞をもとに復興しました。現在では鷺舞の代りに、子供が行う小鷺踊となりました。

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花傘行列の最後は「祇園囃子」、弥栄雅楽会の皆さんです。

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夕方、四条御旅所を出発した3基の神輿がそれぞれ異なるコースを経て八坂神社に戻ります。先導は「神宝奉持列」、かっては神様が巡行する際に、ご神体が身に着ける装束やお宝も一緒に持って歩いたのです。

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「久世駒形稚児」の列が来ました。久世駒形稚児は、綾戸国中神社の祭神・素戔嗚尊の荒御魂(あらみたま)を象(かたど)った駒形を胸に掛け、神の化身として祇園祭では特別な権限を持っています。

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「中御座神輿」 八坂神社主祭神の素戔嗚尊を乗せ、担ぐのは三若神輿会(しんよかい)の皆さんです。神泉苑通の三条にあった三条台村が中心となって男衆を組織して、かっては3基の神輿の全てを担いでいたそうです。

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「東御座神輿」 素戔嗚尊の妻・櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)が乗り、東山三条の人々が中心の四若神輿会が担ぎます。

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「西御座神輿」も来ました。素戔嗚尊の8人の子供・八柱御子神(やはしらのみこがみ)が乗り、錦神輿会が担ぎます。

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八坂神社の石段下で差し上げ、差し回しを行います。この後、三基の神輿は八坂神社の正門の南楼門に向かいます(最後の写真)。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
1等場所で撮影したのですね。
素晴らしいです。ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2025年7月25日 (金) 00:15

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