智積院 密厳堂とアジサイ咲く学侶墓地
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
昨日の記事につづいて、大師堂から石段を上った高台にあるお堂を見て回ります。ここは修行の中心となる場所でいつもは閉ざされていて、今回初めて立ち入ることができました。
「運敞蔵(うんしょうぐら)」 智積院第7世運敞僧正の著作や研究した書物、資料などを収蔵、1673年僧正自らの発願により建立されました。現在ではその威徳を偲び僧正の坐像も祀り、9月10日の運敞忌には開扉して法要を行います。
江戸時代前期になると運敞(うんしょう)僧正が宗学をきわめ、智山教学を確立しました。そして、智積院には学侶が多く集まり学山智山とも称され、優れた学僧を輩出しました。「白山大権現」「天満宮」「愛宕大権現」
「藤森天王社」 この辺りの地主神社で、牛頭天王を祀っていたと考えられます。灯籠は江戸時代の建立でかっての神仏習合時代の名残をとどめています。
「興教大師覚鑁の碑」 昨日の記事で紹介したように、1130年、興教大師覚鑁(かくばん)が高野山に大伝法院と密厳院を建て、荒廃した高野山を復興、真言宗教学の振興に努めて、中興の祖となりました。
「第三行堂」 かっての学寮の遺構です。
「密厳堂」 真言密教の修行の中心となる建物です。密厳とは密教の究極の境地を表す言葉であり、ここで僧侶たちが日々の修行を積んでいます。
密厳堂は開山堂、覚鑁堂とも呼ばれ、中興の祖である興教大師覚鑁の尊像を祀っています。
「求聞持堂」 空海が若き日に修した虚空蔵求聞持法にちなんで建立されたお堂で、本尊は虚空蔵菩薩、お前立ちは不動明王。空海は室戸岬で明星が口に飛び込む神秘体験をしたと伝えられ、智慧と記憶力の向上を祈願します。
「拝殿」 総本山智積院では真言宗智山派の檀信徒の総菩提所・総祈願所として、各種法要や祈祷が行われる重要な建物です。。毎月12日の月並報恩講、21日の月並御影供などの定期的な法要が営まれ、多くの信徒が集まります。
「三社壇」 右に春日大明神、中央に三部権現社、左に九社明神社の五社が相殿として祀られています。神仏習合の精神を表し、日本古来の神々と仏教が調和する智積院独特の信仰形態だそうです。
この場所でも何組かの外国人を見かけましたが、いずれも年配の方で一般の観光客ではないかも知れません。ここから金堂の裏に下りていきます。
途中に、「永代 常光明真言」の碑、光明真言は大日如来の御真言です。その右手は「當山化主 不生位」と刻まれています。知恩院では住持を化主と呼び、不生位は位牌のことです。その向うは「光明殿」、納骨堂で8月10日には納骨埋葬法要が行われます。
江戸時代を通じ、智積院は学問を尊重する教学の府として名を博し、今で言う「大学」のような存在でした。仏教は勿論、天文学や地学など理系の学問を含め、幅広い分野を学ぶことができました。向うは「学侶墓地」。
そのため、他の宗派や一般の人々も集まるようになり、800から1000人以上の学侶がこの寺で学び、江戸時代中期の元禄・宝永年間には1600人以上が所属しました。
当時は智山派の僧侶になるため20年間の修行をする必要があり、そのうち4年間は智積院で学びました。学侶たちの「朝食の粥をすする音が七条大橋まで聞こえてきた」といわれています。金堂の裏に下りてきました。
その頃智積院で修業し、志(こころざ)し半ばで亡くなった方々は裏山の地蔵山に葬られました。その墓石群をこの地に移転して聖域として整備したのが現在の学侶墓地です。
智積院では、僧侶による毎日の諸堂参拝の折にこの墓地に参拝して、学侶らの霊を弔うとともに、自らの修行成就を祈念しているそうです。
一番高いところに、僧侶納骨供養塔と檀信徒納骨塔があります。
この日は何組もの山伏や僧侶の集団に出合いました。おそらく6月15日に開催される「青葉まつり」のために全国から智積院を訪れている方々だと思います。
弘法大師は宝亀5年(774)6月15日、興教大師は嘉保2年(1095)6月17日に生まれ、二人の誕生を祝う行事を緑の美しい季節にちなんで「青葉まつり」と呼んでいるそうです。
下は過去に行われた青葉まつりで、朝から「お練り行列」、「慶祝法要」があり、その後、金堂前の斎場で「柴燈(さいとう)大護摩供法要」が行われます。
護摩とは、古代インドの「ホーマ」を音写したことばで、「清らかな火を焚き、その火中に供物を投じてご本尊さまに供養する」という意味、柴燈護摩供は野外で行われる護摩供だそうです。
「明王殿」 1947年の火災により方丈殿が焼失した際に、四条寺町にあった浄土宗の名刹・大雲院の本堂の譲渡を受けた建物です。不動堂とも呼ばれ、本尊は不動明王、京都十三仏霊場めぐり第1番、近畿三十六不動の一つです。
「真言宗智山派宗務庁」 1926年に日吉町に京都市立絵画専門学校・美術工藝学校として建造された建物です。関東大震災を教訓にした鉄筋コンクリート製の校舎で、現在ではレトロ建築として注目されています。
この後、最後の写真の「宿坊智積院会館」にあるレストランでお昼をいただきました。お帰りの際には、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。
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コメント
こんばんは。ゆーしょーです。
沢山のアジサイですね。
青、白、ピンクなど色んな色の
アジサイが植えられていますね。
それにとても大きいですね。
投稿: ゆーしょー | 2025年6月21日 (土) 22:01
ポチ♪2
投稿: ゆーしょー | 2025年6月22日 (日) 00:02