新日吉神宮 後白河上皇ゆかりの神社
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昨日の記事に続いて新日吉(いまひえ)神宮を訪れました。「新日吉神宮」は、平安時代末の1160年、後白河上皇が御所「法住寺殿」を造営し、その鎮守社として今熊野神社とともに、比叡山東坂本の近江日吉山王七神(日吉大社)を勧請したのが始まりです。
TOPは参道正面にある楼門、その左の「山口稲荷社」は素盞鳴尊の子神・宇迦之御霊神(うかのみたまのかみ)を祀り、商売繁盛の信仰があります。
初代検校(けんぎょう)職に妙法院の僧・昌雲が任じられ、新日吉神社は妙法院の管轄になりました。当初の境内は現在の智積院の南にあったと考えられています。検校職とは寺社の事務を総括する職です。
創建2年前の1158年、後白河天皇は譲位してその第一皇子・守仁親王が二条天皇となっていました。その後、後白河上皇には皇位継承権がなく、やがて二条天皇と周囲の貴族たちは二条親政派を形成、後白河院政派と対立しました。 「拝殿」
両派の対立は1159年の平治の乱で頂点に達し、二条親政派と手を結んだ平清盛が武力で後白河院政派の信頼らを撃破、院政派は壊滅しました。後白河上皇は乱の最中幽閉先を自力で脱出して仁和寺に避難しました。「祭器庫」
楼門を入った左に「京都市午砲の台座」があります。午砲とは時刻をしらせる大砲(空砲)で、正午に撃つことが多かったのでこの名があるそうです。
しかし、乱によって有力近臣たちが共倒れとなったので両派の対立は小康状態となり、国政の案件は後白河上皇と二条天皇に奏上され、前関白・藤原忠通が諮問に答える形で処理されていたそうです。新日吉社と今熊野社が創建されたのはこの時期です。
1162年平清盛の寄進により広大な境内に社殿が建立され、二条天皇によって途絶えていた宮中の祭礼・小五月祭(こさつきのまつり)が再興されました。陰暦の5月9日に競馬、流鏑馬、闘鶏が行われれ、以来勅祭となりました。「社務所」
勅祭とは天皇が勅使を遣わして奉幣(捧げもの)を行わせる祭祀で、そのような神社を勅祭社といい平安時代末には22社ありました。新日吉社は競馬や流鏑馬など武士の武芸が開催される場となり、新熊野社は、熊野詣に出発する前の精進・参籠の場となりました。
鎌倉時代になると後鳥羽上皇、後嵯峨上皇の御幸があり、競馬、田楽、獅子舞、流鏑馬などが催され、後深草天皇も度々参詣したそうです。しかしその後荒廃しました。北側の御神猿像(狛猿)は御幣を持っています。神猿(まさる)は日吉大社の神の使いです。
江戸時代の1655年妙法院宮堯然法親王により豊国廟の参道を塞ぐ形で新日吉社が再建されました。南側の狛猿は烏帽子姿で鈴と扇を持っています。これらの狛猿は1935年に安置されましたが、夜になると動き回ったので金網で囲んであるそうです。
本殿は流造で、江戸時代後期の1835年に改造されました。祭神として後白河法皇と皇居守護神の山王七柱が祀られています。山王七柱とは、大山咋命、賀茂玉依姫命、大己貴命、田心比売命、菊理比売命、大山咋命荒魂、賀茂玉依姫荒魂です。
山王七柱は日吉の神ともよばれ、山の神(比叡山、白山)、縁結びの神(出雲の神)、海の神(宗像神社)のすべての大神のご神徳にあずかることができると信じられています。
本殿の前に大黒様(祭神の一神で大己貴命、大国主尊とも呼ばれます)は縁結び、商売繁盛の神です。右は真猿(まさる)、祭神(新日吉大神と総称)の使者で、「魔去る、勝る」として悪気・災厄除けの幸福を授かるとされます(檻に入っています)。
本殿の右には双眼鏡と写真が置いてあり、そこから一体の神猿が見えます。本殿向拝柱上部に扇をもった神猿が座っています。
「豊国神社」 かっては樹下社(このもとのやしろ)といい豊臣秀吉を祀ります。江戸時代に豊国廟社が破却された際に、密かにご神体が当社に遷されたといわれています。「樹下」の名は徳川幕府を憚って秀吉の姓の「木下」から付けられたそうです。
秀吉の霊は長らく神供所に祀られていましたが、1785年になって社殿が造られ遷されたそうです。右は「愛宕社・秋葉社」、火伏の神(火雷神・迦具土神)を祀ります。
本殿の裏にあるご神木の「すだじい」 椎の木の一種で江戸時代以前からここにあり樹齢500年~800年といわれています。2004年度に京都市保存樹に指定されました。
本殿の左(北)の「飛梅(とびうめ)天満宮」は後白河天皇が菅原道真と飛梅の霊を祀ったといいます。飛梅は道真邸にあった伝説の梅です。学業成就のご利益があります。
明治時代の神仏分離令にしたがい新日吉神宮は妙法院から独立、1897年に豊国廟が再建されてその参道から現在地に再移転しました。神幸祭(いまひえ祭、5月第2日曜日)は宮中行事の「小五月会」を江戸時代の1655年に復興したものです。
1791年~1798年には御所(禁裏・仙洞・女院・中宮)より7本の振り鉾(剣鉾)が寄進され、1743年には神輿を修道組・貞教組(氏子地域)の町々に永代預けられました(神輿は神社に奉納ではないようです)。下は神社のHPからの転載です。
10月16日には秋の例大祭が行われます。他の神社のような収穫の祭ではなく新日吉神宮の創立記念日です。宮司による祝詞やお祓いに加えて、妙法院門跡の僧侶によるご法楽(読経)が行われ、般若心経を唱えます。神仏習合の珍しい祭礼です(過去の写真です)。
最後に新日吉神宮の巫女による「里神楽」が奉納されます。里神楽は神社などの民間で行われ、宮中で行われる「御神楽(みかぐら)」と区別されます。珍しい剣の舞でした。11月14日には火焚祭(秋の収穫祭)が行われます。
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コメント
こんばんは。ゆーしょーです。
1枚目の額縁構造写真がとても良いですね。
僕もこのような写真をよく撮ります。ポチ♪2
投稿: ゆーしょー | 2025年6月29日 (日) 01:08
★ゆーしょーさん こんばんは♪
室内からお庭の額縁写真を撮るときは苦労します。縁側に座っている方が立ち去るまでかなりの時間待つこともあります。
投稿: りせ | 2025年7月 2日 (水) 01:28