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2025年5月31日 (土)

禅居庵・摩利支尊天堂 2025

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日京都ゑびす神社を訪れたあと、斜め向かいにある禅居庵の摩利支天堂に立ち寄りました。TOPは大和大路通に面する西門です。

「禅居庵」は、武将で信濃守護の小笠原貞宗が元弘年間(1331-33)に創建した建仁寺塔頭で、建仁寺第23世・清拙正澄(せいせつしょうちょう、1274-1339)が開山として晩年を退隠しました。

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清拙は1274年中国元の福州に生まれ、15歳のとき出家、各地の寺で修業、住持を務めました。1326年52歳のとき鎌倉幕府執権・北条高時に迎えられて来朝、鎌倉建長寺に入り、浄智寺、円覚寺の住持を務め、「小松地蔵尊」

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建長寺山内に禅居庵を構えて退隠しました。しかし、1333年に後醍醐天皇の招きにより上洛し建仁寺第23代住持に着任、このとき、境内に十境を新成、浴室を修造しました。(参道の途中に「荒熊大権現」などの四つの祠があります。)

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3年後、勅命によって南禅寺の住持となり、その間小笠原貞宗の帰依を得て信州伊那に開善寺を創建しました。老年となり死期を悟った清拙は南禅寺住持を辞して、1339年退隠先の建仁寺禅居庵で死去しました。

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清拙は、崇敬する唐僧・百丈懐海の忌日に営む「百丈忌」の法要を日本で初めて励行したことでも知られます。懐海は叢林(禅僧の学校)の「百丈清規」を著しました。清規(しんぎ)とは禅宗の規則・規律のことです。 「三光威徳天」

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清拙はくしくも百丈忌当日の正月17日に死去し、大鑑禅師と諱(おくりな)されました、享年66歳。下2枚は狛猪で狛犬のように阿吽の姿をしています。

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猪は摩利支天の眷属(けんぞく、神の使い)で、境内のあちこちに狛猪を始め猪の像があります。猪は作物を荒らす嫌われ者ですが、その素早さが智慧の迅速さや勇敢さをあらわすと考えられたようです。

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清拙は「大鑑清規」を著し、教化された小笠原貞宗が小笠原流礼法を始めたことでも知られます。日本禅宗大鑑派の祖でもあり、わが国の禅宗に大きな足跡を残しました。

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禅居庵と摩利支天堂の堂宇は室町時代の応仁の乱(1467-1477)、1536年の天文法華の乱で焼失しました。境内のあちこちにおみくじの猪が並べられています。

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摩利支天堂は1547年織田信長の父・信秀が再建、さらに元禄、享保、安政の年に整備や大改修が行われました。明治8年(1875)に小屋組み、平成7年(1995)に屋根部分の改修が加えられ今日に至っています。

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摩利支天堂は天文年間(1532-1554)の再建とはいえ、創建時代の禅宗様仏殿の遺構が残されており、中世様式の貴重な建造物として京都府指定文化財になっています。

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摩利支天堂には清拙が中国より請来した摩利支天(秘仏)が祀られ、毎年10月20日に行われる清拙の「開山毎歳忌」に年に一度だけ開帳されます。

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秘仏の摩利支尊天像には逸話があります。渡来僧の清拙禅師は、漢王朝の子孫、劉氏の子として祖先より摩利支天を信仰していました。(「授与所」、ご朱印が頂けます。)

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清拙は日本への招請を受けて出航するために港に来ました。遥かな東の海を見て、彼の国(日本)はどのような国であろうかと不安になっていました。そのとき摩利支天が猪の背に乗って現れて以下のように告げました。(授与所の中は喫茶店のような雰囲気でした。)

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「東の国に縁あり早く纜(ともずな)を解きなさい、我も師に随って同じ海を渡り師を守って永く跡を彼の国に留めて末世の衆生を利益し国家を鎮護せん」。(門の先は建仁寺境内にある禅居庵山門への通路です。)

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清拙はその尊天の形を残したいと、手づから清浄な泥土で坐像を作り袈裟に包んで船に乗り込みました。

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海路での悪風や大浪に清拙は少しも動ぜず、一心に尊天を拝み、また同船の人にも勧めて一心に聖号を唱え、無事に尊天を奉じて筑前博多に上陸しました。(禅居庵の山門を入ったところに出ます。)

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日本各地に大きな足跡を残した清拙は、この摩利支尊天をいつもそばに祀ってきました。そして、最期の地となったこの摩利支天堂に現在も秘仏として七百年近く祀られています。 (ここから摩利支天堂に引き返します。)

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ところで、日本の摩利支天像は、三面六臂の憤怒相で一面は菩薩の相、もう一面は童女の相をして猪に乗っていることが多いそうです。秘仏となっている場合が多いようでほとんど写真が出回っていません。

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2018年に四国霊場85番札所の八栗寺(高松市牟礼町)で摩利支天像が見つかり、翌年の亥年にあやかって公開されました。こちらも三面六臂の憤怒相で摩利支天堂のも同様の姿をしていると思われます。(写真は産経WESTからの転載です)。

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6本の腕は、宝剣、無憂樹(むゆうじゅ)、弓矢、針と糸を持っています。宝剣と弓矢は悪魔を降服し怨賊を滅すため、無憂樹は摩耶夫人がこの木から花を一枝折ろうとしたときに、左脇腹からお釈迦様が生まれたことから、五穀豊穣の霊力があります。

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針と糸は、悪口や悪行をするものの口と眼を縫い合わせて、害を加えないようにするためとか。摩利支天はやはり女の神だったようです。ここから八坂通に出ます。最後の写真は摩利支天堂の南門。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
狛猪というのを初めて見ました。
和歌山の和歌浦天満宮には狛牛
があります。全国には狛鼠から
狛ライオンに至るまで、ほとんどの
動物の狛犬?があるそうですね。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2025年6月 1日 (日) 00:01

★ゆーしょーさん こんばんは♪
狛ライオンは知りませんでした。十二支全てあるのは知っていますが、私の好きなネコは見当たりません。

投稿: りせ | 2025年6月 6日 (金) 01:31

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