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2025年2月 9日 (日)

佛光寺周辺を歩く

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

佛光寺を訪れたときに、その周辺を見て回りました。あわせて、塔頭のいくつかを紹介します。TOPは高倉通と仏光寺通の交差点南西にある「下京警察署仏光寺交番」。

「仏光寺通」は平安京の五条坊門小路にあたり、東は鴨川右岸堤防から西は佐井西通まで、綾小路通と高辻通の間を走ります。下のYahoo!Mapで上の東西の通りが仏光寺通、中央の南からきた高倉通は仏光寺通で少し西にずれます。

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通りの名称は、天正14年(1586)に移転してきた佛光寺の北に面することに由来しますが、近世までは現在の高辻通を仏光寺通と呼び、仏光寺通を旧称の五条坊門通と呼ぶこともあったそうです。

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仏光寺通を少し西に歩くと、左(南)に「真宗佛光寺派宗務所」の格調高い門があります。

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さらに西に歩くと、仏光寺の塀の北西角にも門があります。表札に「渋谷」とあるので、中に門主の渋谷真覚氏の住居があると思われます。ここから、北にある建物を見ながら仏光寺通を引き返します・

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向かいに「京都市立洛央小学校」があります。市内中心部の生徒数の減少により、平成4年(1992)に5つの小学校が統合されて豊園小学校跡に建てられました。それらは番組小学校からはじまった格致、豊園、開智、修徳、有隣小学校です。

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「豊園水」 豊臣秀吉は天正15年(1587)に聚楽第を築城し、合わせてこの地(五条坊門高倉)に別荘として龍臥城(りゅうがじょう)を造営しました。邸内には秀吉が茶の湯に使った名水・豊園水がありました。

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この地にあった豊園小学校の名称はこの井戸にちなんでいます。豊園水は小学校の開校以来、町衆によって守られてきましたが昭和43年(1968)に涸れてしまい、平成18年(2006)に小学校内に復元されました。

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「瑞晃ビル」 1階は美容院の「commune-oopshair」、2階は洋風レストランの「欧食屋 Kappa」、3階はマッサージ・整体の「R2(アールアール)」が入っています。

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「常行寺(じょうぎょうじ}」 真宗佛光寺派の寺院ですが、由緒は分かりません。掲示板に書かれた標語が簡明で、いつも記録しているサイトがあります。その中から一つ「人を責める心で自分を責め 己をゆるす心で 人をゆるせ」

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ちなみに、ご住職の橘専昭氏は、平成26年度に「京都府仏教連合会住職永年勤続表彰」として50年住職を務めて知事表彰された5名のうちの一人です。

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「PEN京都市下京区西前町パーキング」 運営の三菱地所パークス株式会社は、駐車場運営事業に関する総合的なコンサルティングをはじめ、コイン駐車場や施設型駐車場の運営・管理などのサービスを行っています。

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「classlobe(クラスローブ)」  京町家をリノベーションしたパフェ専門店です。フルーツは土作りからこだわり、無農薬・減農薬の環境で育て、ソフトクリーム界のフェラーリと呼ばれるミルキーで濃厚な「カルピジャーニ」を使用しています。


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「cafe marble」 こちらはかって材木商だった築100年の町屋を改装したカフェです。ヨーロッパを中心とするアンティーク調のインテリアを配し、自慢の手作りタルトは評判でリピーターも多いそうです。

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「大行寺(だいぎょうじ)」 真宗佛光寺派に属し、佛光寺の山内寺院(塔頭)。幕末の文政4年(1821)権少僧都信暁学頭が、佛光寺高倉西奥之町の月見御殿(豊臣秀吉が月を賞した御殿)跡に創建。嘉永6年(1853)現在地に移転。

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信暁学頭は、佛光寺版教行信証、御勧章の開版に尽力、著書も多く特に「山海里」36巻は有名だそうです。本尊は鎌倉時代初期の快慶晩年の作で、国の重要文化財。下の仏足跡は、安政3年(1856)信暁学頭によって建立されました。

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高倉通まで戻ってきました。ここから佛光寺の御影堂門前の門前通りに向かい、昨日の記事で登場した佛光寺六坊のうちの幾つかを紹介します。

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「光薗院(こうおんいん)」 本堂安置の木造「阿弥陀如来立像」(重文)は、胎内に鎌倉時代前期(1219年)の「造立結縁交名帳」が納められています。安阿弥様(あんなみょう、快慶の作風に影響を受けた仏像様式)で寄木造、玉眼入。

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上品下生の来迎相で左足を一歩踏み出し衆生済度を表しています。ちなみに、安阿弥様は快慶の法名・安阿弥陀仏(あんあみだぶつ)にちなんでいます。寺宝として六道、四界、地獄界が描かれた「十界図地獄絵」を収蔵しています。

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「昌蔵院(しょうぞういん)」 七代目小川治兵衛作庭の庭園があります。寺宝の「光明本尊」は中心に九字名号、左に六字名号と七高僧、右に十字名号と先徳像が描かれています。裏面には3回の修復の記録がかかれています。

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最も古いのは応永27年(1420)、願主・釈道妙、画工・理円筆。2回目は永正18年(1521)願主・釈妙福尼、画工・勝筆、3回目は永正18年(1521)願主・光徳寺宗順となっています。2,3回目の願主は角房(昌蔵院)の末寺です。

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まだ二つの有力寺院が残っていますが、今日はここまでです。最後の写真は門前通りの突き当りの柳馬場通です。お帰りの際には、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
8枚目・・・立派な水槽ですね。
ホテイアオイでしょうか。
青々育ってますね。
こういう水槽でメダカを飼いたいです。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2025年2月10日 (月) 00:03

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