一条通を歩く 北野下ノ森協同組合商店街
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
一条通の散策の続きです。前回は大将軍商店街(妖怪ストリート)の東端のお店まで紹介しました。ただし、振興組合に加盟しているお店のことで、今日の一条通の南側は大将軍商店街の範囲です。TOPは北にある「京都府警北野待機宿舎、北野寮」(跡地)。
下は仏具店の「平田尚栄堂」、御戒壇(仏壇)仏具の製造・販売、寺院の荘厳、仏壇仏具の修復、各種・特注品の製作を行っています。本門佛立宗専門店でもあります。
「ONO」 看板には「COUTUNE ET BOUTIQUE」(クチュールとブティック)と書いてあり、洋服の仕立てとブティックのお店のようです。
「吉田マンション」 築1989年、5階建ての賃貸マンションです。戸数や間取りの情報はありません。1階にカフェの「Pinnata (ピナータ)」が入っています。
「医療法人藍整会 なか整形外科 京都北野本院」 手術・入院設備を備えた整形外科専門クリニック。外傷、運動器の痛み、骨粗鬆症などに対する日常診療から整形外科専門手術と手術前後のリハビリテーションまで、一貫した診療が可能です。
「京都信用金庫ATM北野出張所」 手前はコンセプトが運営するコインパーキング「北野ONEパーキング」です。
一条通の北側に長屋があり、いくつかのお店が営業しています。ここは正式には「北野下ノ森協同組合商店街」といい、全体で200坪ほどの小さな商店街です。左は茶舗の「山崎銘茶」、右は衣料品店の「藤田商店」です。
「下の森」はこの辺りの地名の通称で、北野天満宮の森がありました。かっては花街で、北側の茶屋街として始まった「上七軒」に対して付けられた名称と思われます。下は大正元年(1912)に描かれた古地図で中央左の三角形の地域が下の森です。
花街が誕生した年代は不明ですが、文献によると上七軒同様に茶屋街から出発したときには既に存在していたようです。江戸中期に最盛期を迎え幾度の取締りを経て、上七軒の傘下に置かました。
明治期には上七軒、五番町の一部となり繁栄を続けてきました。ラーメン屋の「誠養軒」
一条通と中立売通に京都電気鉄道(後の京都市電堀川線)の開通と貸座敷取締規定の改正により、昭和元年(1926)頃に花街は消滅したと思われます。中立売通との交差点北西にある「七味屋」
堀川線は京都駅前から北野天満宮前までを結んでおり、「北野線」とも呼ばれました。下は昭和2年(1927)の地図で、左上の「北野」駅から南東(中立売通)に下り、「下の森」駅で一旦東に向きを変えます。右に「北野車庫」が見えます。
大正7年(1918)京都市が京都電気鉄道を買収、京都市電となりました。中立売通に面して「加藤商店」、日用雑貨のお店のようです。
昭和36年(1961)京都市電の全線が廃止され、北野線は市営バス50号系統に転換。北野車庫も廃止されました。下は現在の地図(GoogleMap)です。
「ベラジオ雅び北野白梅町」 築2024年、5階建、27戸、1LDKの新築マンションで、入居者募集中です。この辺りから東は「北野商店街」になります。
最後の写真はかって北野線が走っていた中立売通、突き当りは北野天満宮です。お帰りの際には、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。
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コメント
こんばんは。ゆーしょーです。
なか整形外科 京都北野本院は
正面の2階建てだけですか?
それとも左の4階建ても含むの
ですか? ポチ♪2
投稿: ゆーしょー | 2025年2月 5日 (水) 01:57
★ゆーしょーさん こんばんは♪
なか整形外科は2階建の建物ですが、奥行きがあるようです。左の建物は最後から2つめの写真のマンションです。
投稿: りせ | 2025年2月 9日 (日) 00:12