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2025年1月27日 (月)

平等寺(印旛堂) 特別公開

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日は京の冬の旅で13年ぶりに特別公開されている平等寺に行ってきました。平等寺は山号を福聚山という真言宗智山派の寺院で、印旛堂ともよばれます。洛陽三十三所観音、京都十二薬師霊場、京都十三佛霊場でもあります。

四条通から3筋南の高辻通を烏丸から東に入ると、南側に本堂の屋根が見えます(TOPの写真)。こちらは本堂の裏で、左に最後(3番目)の特別公開の場所があります。右から正面に回り込みます。

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下のGoogleMapで中央が平等寺です。正面の通りを「不明門通(あけず)」と呼ぶのは、南にあった五条院の御所(後述)に遠慮して、当時は常に南門を閉じていたからです。この通りは「もん」を読まないのが普通だそうです。

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平安時代の長保5年(1003)、橘行平(ゆきひら、生没年不詳)が因幡賀留津の海中から引き上げた薬師如来をこの地に祀ったのが始まりといわれています。『因幡堂縁起』によると逸話があります。

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橘行平は敏達(びたつ)天皇の子孫で、従四位上中納言の貴族でした。天徳3年(959)行平は村上天皇の命で因幡国(現鳥取県)一宮に赴きました。下は不明門通から南門、写真は平等寺のHPからの転載です。

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そこで神事を済ませ帰洛の途中、行平は急病になりました。平癒を神仏に祈り続けていると、ある夜、夢に異形の僧が現れこう告げました。「因幡国賀留津の海中にある浮き木を速やかに引き上げて供養しなさい。」 「本堂」

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「そうすれば必ず病気は治る。さらに一切のあらゆる願いが成就するだろう。」 行平は正夢に違いないと思い、早速人々を集めて大網をもって海底を探らせたところ、お告げの通り一つの浮き木が上がりました。「行平像」、最後の公開場所にあります。

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よく見ると身の丈五尺余り(165cm)の薬師如来の尊像でした。行平は喜んで供養する草堂をこの浦に建て薬師如来像を祀りました。これが「因州高草郡大字菖蒲浦(現鳥取市)の座光寺」です。

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その後、行平の病気は平癒して無事に京に帰ることができました。ところが帰京した行平にまたある夜、一人の異形な僧から夢告があります。「我は西の天より来て、東の国の人々を救おうとやってきた。」

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「あなたには宿縁(前世からの因縁)があるかもう一度やってもらいたいことがある。」  行平が夢から覚めると丁度、屋敷の西門に来客があると家人が呼びに来ました。左は「馬頭観音」。

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行平が尋ねると「因州の僧だ」と返答がありました。行平は驚いて西の門を開けさせたところ、あの薬師如来の尊像が立っていました。驚いた行平は屋敷を改造してお堂を作りこの尊像をまつり、因幡堂と名付けました。

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その後、この霊験譚は平安京の人々に広く知られ、一条天皇(在位986-1011)は8ヶ所の子院を建立して皇室の勅願所としました。「賓頭盧尊者のなで仏」

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歴代の天皇も尊崇が厚く、即位ごとに祈祷し、また「薬師もうで」として勅使の月参りもあったそうです。源平争乱の時代、高倉天皇が因幡堂のすぐ南の東五条院に住まいし、承安元年(1171)「平等寺」と命名され勅額を贈られました。

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その後、室町時代には足利将軍家の参籠が相次いだといいます。応永年間(1394-1428)には天台宗に属し、園城寺(三井寺)僧兵襲撃に備えて住民、侍所の軍が因幡堂を警護しました。下は第1の拝観場所「収蔵庫」で、本尊の薬師如来が安置されていました。

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本尊・薬師如来像(重文)は、善光寺の阿弥陀如来像、清涼寺の釈迦如来像とともに「日本三如来」の一つとされています。また、京都十二薬師霊場第一番、京都十三佛霊場第七番です。

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薬師如来像が納められた厨子にはすぐに運び出せるよう4つの車輪があり、度重なる火災の際には人々によって運び出され難を逃れてきました。また、その頭には運び出すときの緩衝用の頭巾を被っており「ずきんのお薬師さん」として知られています。

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室町時代の狂言「鬼瓦」では、 裁判のため長期に渡り京都に単身赴任の遠国の大名が、訴訟に勝ったお礼に因幡堂の薬師如来に参篭します。第2の特別公開の場所は境内の南西にある「観音堂」で、洛陽三十三所観音霊場第27番札所です。

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観音堂の本尊である2体の十一面観音菩薩像等は、鎌倉時代と江戸時代作。北野天満宮から東寺観智院を経てこの観音堂に祀られました。(仏像の写真は京の冬の旅のしおりやガイドブック、平等寺のHPからの転載です。)

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観音堂の右手(本堂の左)に、手前から「歓喜天」、「和娯地蔵尊」、「十九所権現」を祀るお堂があります。さらにその向うにはご神木、石造の閻魔天(焔魔天)、毘沙門天、大日如来、平等寺と書かれた鬼瓦などが安置されています。

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本堂は元治元年(1864)の蛤御門の変で焼失しました。その後、明治15年(1882)から再建が始まり、明治19年(1886)に本堂や他の堂宇も完成、現在に至ります。下は閻魔天(焔魔天)、右奥に大日如来が見えます。

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本堂の裏門から出て、最初に通った第3の特別公開場所の「印旛堂伝承館」に入ります。こちらには先ほどの『印旛堂縁起』や仏像などが安置されています。

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「釈迦如来立像」(重文) 玉眼を嵌め込まれたヒノキ材で造られた寄木造、建保元年(1213)作。嵯峨清涼寺の本尊釈迦如来像を模した「清涼寺式釈迦如来像」です。面長で幅の狭い目、丸みのある体躯と衣紋から穏やかさを感じます。

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「如意輪観音像」(重文) 鎌倉時代作、木造、古色、玉眼で金泥塗・截金が施されています。表情はやや厳しく、薄い胸、細い手に、右に僅かに頭をかしげて座り、優美で女性的なほっそりとした体躯です。

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本堂の裏は「審正館弓道場」になっています。このあと、北の高辻通に戻り仏光寺の方に向かいました。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
可愛い干支のお菓子ですね。
トラが可愛いです。
こんな寅なら怖くないです。
今年の巳も可愛いです。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2025年1月28日 (火) 00:06

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