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2025年1月10日 (金)

正月のねねの道を歩く 高台寺石段下まで

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

「長楽館」 明治の煙草王・村井吉兵衛の別邸跡で、現在はレストラン・カフェになっています。かって京都の迎賓館とも呼ばれた洋館で、宿泊、ウエディングなどもできます。

下は向かいの長楽寺の参道で、円山公園の南を通り、沿道には様々なお店や宿があります。

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題名の「ねねの道」は豊臣秀吉の正室であるねね(北政所)がこの先の圓徳院で余生を送り、この道を通っていたとされることからこの名が付けられました。下は「大谷祖廟」の参道 お正月に墓参りをする方も多いようです。

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「京都祇園堂」平安時代中期、白川法皇に寵愛された祇園女御は、その死後阿弥陀堂を建て菩提を弔ったそうです。祇園堂はその屋敷後に建てられ、女御が信仰した阿弥陀如来を安置しています。右に「祇園女御供養塚」が建っていましたがありません。

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建物も「管理物件」となっていました。祇園堂のHPはそのままになっているのでまだ状況が分かりません。下の「大雲院」は安土桃山時代(1587年)正親町天皇の勅命により、織田信長、信忠父子の菩提を弔うために貞安上人が開山した浄土宗の寺です。

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大雲院はかって高島屋に隣接して建っていて、高島屋の拡張工事のためにこちらに移転しました。下の「圓山地蔵尊」は昭和48年(1973)に堂宇の落成を祝って「京都自治経済協議会」などから奉納されたものです。

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ねねの道は東からくる「高台寺北門前通」に突き当り右に曲がります。その交差点南東に「レンタルきもの岡本 祇園高台寺店」があります。天保元年(1830)「岡本織物店」として創業、観光でのレンタル着物の発祥店です。

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店舗内にある「芭蕉堂」は、江戸時代中期、俳聖松尾芭蕉をしのぶため、加賀の俳人・高桑闌更(らんこう)が芭蕉にゆかりの深いこの地にお堂を建てたのが始まりです。

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鎌倉時代初め、諸国を旅して自然を友とした西行が、この地に住んでいた僧・阿弥陀房の庵を訪ねて「柴の庵と聞くはくやしき名なれども よにこのもしき住居なりけり」(山家集)と詠みました。

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芭蕉は、西行を心の師として慕い旅の生涯を送りました。この地で、上の西行の歌を踏まえ「しばの戸の月やそのままあみだ坊」(小文庫)の句を詠みました。芭蕉堂には蕉門十哲の一人、森川許六が刻んだ芭蕉の像を安置しています。

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大雲院の「山門(南門)」 一旦西に曲がったねねの道はここから再び南に向かいます。山門の向こうは本堂の建物で、左にある墓地には、織田信長・信忠の慰霊碑や石川五右衛門の墓があります。

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「京料理 花咲 萬治郎」 お昼には、生湯葉や生麩など京都美味を凝縮させたお手頃な「麸麺点心」やミニ会席「ねね御膳」があります。築120年の店内は落ち着いた雰囲気で、昼・夜の懐石料理は坪庭がある個室で頂くことができます。

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「元奈古(もとなご)」 旅館の名は万葉集の中からとった言葉で、古い都、あるいは高貴な人々が集い憩う社交場の名称だったといわれています。夜は会席料理、朝は湯豆腐を頂けます。右が高台寺北門前通です。

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左に見える塔は「祇園閣」で、昭和3年(1928)に大倉喜八郎の別邸に建立され、昭和48年に別邸跡に移転してきた大雲院の所有となりました。金閣、銀閣に次ぐ「銅閣」とも呼ばれ、この辺りのランドマークになっています。

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「岡林院接待所」 約150年前の数寄屋造りの建物で、カラフルなふろしきや小物が置いてあります。岡林院は左奥にある高台寺の塔頭で、かってはここで年末年始には濃茶ラテの接待があったそうです。

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左は高台寺塔頭「月真院」 江戸時代初め元和5年(1619)津和野藩二代藩主亀井茲政の寄進によって、上の岡林院と同様に久林玄昌が建立しました。

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新選組から分かれた伊東甲子太郎ら15名の「御陵衛士の最後の屯所」跡で、鉄道先覚者「谷暘卿(たにようけい)」の墓もあります。谷暘卿は新橋-横浜間の鉄道建設を建議した人物です。布袋さんの触れ仏もあります。

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この門の中には「三面大黒天」があり、高台寺の「掌美術館」の入口、高台寺塔頭「圓徳院」の出口でもあります。また、京ゆば料理の「高台寺羽柴」や茶店・土産物店もあります。

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お堂は京都御所からの移築で、祀られている三面大黒天は、秀吉が出世の守本尊として念持仏です。

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「三面大黒天」正面に大黒天(福)、左に毘沙門天(勝利・子宝)、右に弁財天(学問・芸術)の顔を持ち、一度拝めば三つのご利益が得られるとか。(お堂の前の看板です。)

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三面大黒天の向かいの建物には、「野村佃煮」、「ゆりや」、「豆政」、「義定刃物」、「山田松香堂」、「舞扇堂」などが入っています。

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「歌仙堂」ねねの兄・木下家定の長男・勝俊を祀ります。勝俊は秀吉に仕えて出世しましたが、関ヶ原の戦で豊臣秀頼の命に反して伏見城の守りを放棄して失脚しました。ねねの嘆願により命だけは救われて隠棲しました。

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この階段の上は「掌(しょう)美術館」。掌(たなごころ)のように小さくささやかな美術館という意味で、ねねが愛用した品々を通して桃山文化の極みに触れることができるそうです。

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「甘味処 乃あん」 各種スイーツやぜんざい、ドリンクなどがあり、店先には暖かそうな甘酒もありました。

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京・洛市「ねね」 圓徳院境内にあり雑貨や土産物店、喫茶店、ギャラリーなどがあります。あられこぼしの道を通って石塀小路にある「夢珈琲」にも行けるようです。最後の写真は高台寺石段前にある入口。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
正月の寧々の道ですが、人通りが少ないですね。
夕方になって観光客は帰ったのでしょうか。ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2025年1月11日 (土) 01:18

★ゆーしょーさん こんばんは♪
夕方になるとねねの道はお店の閉まるので人通りが少なくなります。少し南の二年坂、一年坂はもう少し遅くまで人通りがあります。

投稿: りせ | 2025年1月12日 (日) 00:24

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