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2025年1月15日 (水)

金攫八幡宮 衣笠小北山の産土神

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日は西大路通から一条通に行ってきました。先日から記事にしている寺之内通はもう少し続きますが、その西端近くに当たります。 西大路通のわら天神のバス停前に、小さな神社があります。

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「金攫(きんかく)八幡宮」は、江戸時代の貞享2年(1685)正月に山城国石清水八幡宮から分霊し、この地山城国葛野郡衣笠村字小北山(おぎたやま)に祀ったのが始まりです。

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当初は小北山八幡宮とも呼ばれ、この地域の産土神(うぶすながみ)として人々に崇敬、加護されて今日に至っています。小北山は西陣の端にあるこの辺りの旧地名で、現在ここは北区平野桜木町と名称が変わっています。

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西大路通に面している鳥居の横に「皇太子殿下御成婚 記念事業完成」の石碑があります。数年前に訪れたときにはまだ工事中でしたが境内の整備が完了したようです。

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ところで、神社名にある難しい漢字は、「攫(さら)う」と書いて「残らず自分のものにする」という意味だそうです。一攫千金の熟語にも使われ、当時の人々の素朴な願望が神社名になったようです。 「手水舎」

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長方形の境内の北に、拝殿と幣殿を兼ねた社殿があり、中の「本殿」には祭神として応神天皇が祀られています。

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小さい神社ながら、狛犬は均整が取れた姿で迫力があります。

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応神天皇は、仲哀(ちゅうあい)天皇と神功(じんぐう)皇后の皇子として生まれ、諱(いみな)も含めて大鞆和気命(おおともわけのみこと)、誉田別尊(ほんだわけのみこと)、胎中天皇(たいちゅうてんのう)など様々な呼び名があります。

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応神天皇は、全国に4万以上あるといわれる八幡宮の祭神(八幡神)として祀られ、国家鎮護、勝運招来、殖産興業、延命長寿の神として崇敬されてきました。本殿は、昭和42年(1967)の秋に桧皮葺屋根から銅葺屋根に改修されたそうです。

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本殿の右に「稲荷社」があります。

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本殿の左には祭器庫と思われる建物があります。可愛いニャンコがいました。境内には数か所にクロガネモチが植えられています。

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境内の東には大木があり、北区の区民の誇りの木になっています。クロガネモチは「黄金(こがね)持ち」に通じるとして、縁起のよい木とされています。 枝一杯に赤い実をつけていました。

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神社が創建されたころは、田畑の中に人家が点在するような土地で、この八幡宮が人々が集まる場所だったことが想像できます。現在は大通りやビルに囲まれてしまいました。(境内の周囲は神社の建物が囲っています。)

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それでも、十月下旬には秋祭りが行われ、宵宮では境内に灯りがつき、神輿が氏子地域を巡行し、子供神輿もでるそうです。現在でも地域の人々のより所になっているようです。(本殿の前から西大路通の一筋西の通りに出ることができます。)

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この八幡宮は令和4年(2022)京都市から京都市市民憲章推進者として表彰されました。(前の通りは昨年の記事に何度も登場した鷹ヶ峰から始まる鏡石通です。)

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京都市市民憲章は昭和31年(1956)に市民により制定され、永年にわたり熱意と志を持って、地域の諸活動や文化伝統の継承に取り組んできた方を表彰します。こちらから入ると、先ほどのクロガネモの大木が正面に見えます。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
7枚目の社はあまり大きくないですが
狛犬さんはものすごく立派ですね。ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2025年1月16日 (木) 01:07

★ゆーしょーさん こんばんは♪
確かに小さい神社です。私も見過ごしていましたが、調べるといろいろな歴史があることが分かりました。

投稿: りせ | 2025年1月22日 (水) 01:31

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