わら天神宮 2025
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
一昨日の記事につづいてわら天神宮を訪れました。わら天神宮の正式名称は「敷地神社(しきちじんじゃ)」といい、その起源は北山の神という山を神格化した存在でした。TOPは西大路通の東からです。
天長5年(828)の大雨と大地震の際、時の淳和天皇が北山の神に幣帛(へいはく、棒の先端に短冊形の紙垂がついたもの)を奉られた旨が『類聚国史(るいじゅうこくし)』に記載されており、その創建は平安時代以前と推定されます。
天長8年(831)この地に氷室が設けられることとなり、その夫役(農民や庶民が国や領主の命令で行う労働)として加賀国の人々が移住してきました。
彼らは移住にあたり、崇敬していた菅生石部神(すごういそべのかみ)の分霊を勧請し、御祭神をその御母、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)と定め、北山の神の西隣に祀りました。(手水舎、水盤は貴船石、踏み石は鞍馬石とか。 )
木花咲耶姫命は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の妻となり、一夜で懐妊して炎の中で次々と3人の子を産み落としたことから、安産の神と崇められています。菅生石部神は3人の子の神の総称です。中央は「舞殿」、右は「拝殿・本殿」。
境内の南に前方後円墳があり、かっては平安時代末期の平清盛(1118-1181)の墓といわれていました。しかし、大正3年(1914)に石棺が発掘され平安時代初期の墳墓と判明しました。
室町時代の応永4年(1397)三代将軍足利義満による北山第(後の金閣寺)が造営されると、人々は参拝に不便となったことから、北山の神と木花開耶姫命の両社を合祀して現在地へ遷座、社号を菅生石部神社の通称である「敷地神社」としました。
その後は応仁の乱などで一時荒廃しましたが、仮社殿を設けて御神徳を受け継ぎ、弘化4年(1847)の大補修、昭和10年(1935)の改修を経て現在に至ります。(本殿の左に「神具庫」があり、休憩所になっています。)
中に彫刻『ある日』(第21回日展作品)がありました。作者の木代喜司は昭和15年(1940)京都で生まれ、京都学芸大学特修美術科を卒業、主に人間や鳥、自然をテーマにしています。日展特別会員、京都教育大学名誉教授でもあります。
この神社が「わら天神」と称されたのは、安産の護符に藁(わら)が用いられることによります。藁は、祭神の女神に捧げる供物を包んだ編み物であり、その包みの藁を持ち帰り身に付けるのです。「拝殿」
本殿には祭神として木花開耶姫命を祀っています。無事に出産できたお礼に、拝殿には子供のよだれ掛けが奉納されています。拝殿・本殿の周囲に4つの摂末社があります。
本殿の左にある末社「綾杉明神」 樹齢千数百年ともいわれる神木綾杉の霊を祭ります。「綾」とは黒い色、木目、葉の筋目などを表しているそうです。三十六歌仙の一人で、清少納言の父である清原元輔の歌にも登場します。
「生い繁れ平野の原の綾杉よ 濃き紫に立ちかさぬべく」 友人の子の誕生に際して、綾杉のように緑(六位)から将来濃い紫(三位)に昇進できるように祈った歌だそうです。明治29年(1896)の暴風で倒壊し、残った幹を祀っています。
その奥にある末社「大山祇(おおやまつみ)神社」 大山祇神を祀り、海上、農業、鉱山の守護神です。大山祇神は娘の木花咲耶姫命に一目惚れした瓊瓊杵尊に対して、姉の磐長姫命(いわながひめのみこと)も一緒に貢ぎました。
ところが、瓊瓊杵尊は磐長姫命があまりに醜かったので返してしまいました。怒った大山祇神によって、瓊瓊杵尊の子孫である天皇と人が長寿ではなくなったと、神話では伝えられています。
本殿の屋根、上の千木(ちき、X字の部材)の先端が内削ぎ(水平)、鰹木(棟の上の水平な部材)の数が6(偶数=陰数)となっていて、どちらも祀られているのが女神であることを示しています。
本殿右の「六勝(ろくしょう)神社」 伊勢、石清水、賀茂、松尾、稲荷、春日の六柱神を祀り、平安遷都の際に平野神社の地主神として勧請され、その後西園寺家の鎮守として祀られ、古くから必勝、成功、開運、商売繁盛の神として信仰されてきました。
近松門左衛門の「女殺油地獄」の中の台詞で、博徒が六社大明神に祈願するとあるのはこの社のことです。明治6年(1873)に当神社に遷座する際に、必勝の意味を込めて六勝神社と改められました。
摂社の「八幡神社」 祭神として応神天皇、神功皇后、比売大神(ひめおおかみ)を祀り、開運、厄除、必勝のご利益があるとされます。比売大神は武神とされ、宇佐神宮でも中央に祀られ 応神天皇、神功皇后を両側に従えています。
八幡神社のそばにある大石は、前述の前方後円墳の石室の石だったそうです。手前は道標です。
「社務所・授与所」 お守り、ご神札、ご朱印などとともに、安産祈願の授与品があります。安産祈願一式(腹帯3本入り)は、・さらしの腹帯・伸縮性の腹帯・腹巻タイプの腹帯・安産御守・安産御神札・赤ちゃんの産衣・お祝いのお菓子
・安産祈祷申込書(九ヶ月九日参り)・天神宮御供米料の封筒(お札参り)がセットになっています。例祭として、4月の第一日曜日に開催される「春季例大祭」は豊作を祈願するお祭で、本殿祭の後、北山お弓祭、神輿渡御が行われます。
10月26日の「秋季例祭」は、六勝神社で収穫を感謝し、繁栄を祈願します。境内では狂言、居合抜刀術の奉納が行われるほか、呈茶席が設けられます。(上と下はわら天神宮のHPからです。この後、西大路通を南に歩き、一条通に向かいました。)
お帰りの際には、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。
★こちらを是非よろしく→ ブログ村→
-------------------------------------------------------------------
| 固定リンク
コメント