初詣 平安神宮
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
昨日は初詣に行ってきました。最初に訪れたのは平安神宮です。「平安神宮」は平安遷都1100年を記念して明治28年(1895)に創建され、当初は平安遷都を行った桓武天皇を祭神として祀りました。
上の応天門(重文)の左にある「手水舎」は自動式で手をかざすと水がでます。
明治時代初期の京都の衰退ぶりは目を覆うものがありました。幕末の戦乱で市街地は荒廃し、首都が東京へ遷ったことで人口が減少・経済が沈滞し、人々の心も大きな打撃を受けました。
東京遷都では、公家だけでなく、商人や職人なども大挙して東京に移住してしまい、京都の人口が半減したと推定されています。正面は本殿にあたる「大極殿(だいごくでん・外拝殿)」(重文)、ここにお詣りします。
そのような京都を復興させるため、琵琶湖疏水を始めとする近代化事業と、古き良き時代の京都の伝統産業や文化の再興に力が注がれました。平安神宮はそのような京都復興のシンボルでもあります。「額殿」(昭和15年建造、 国登録文化財)
いわば、平安神宮は京都の氏神でもあり、できるだけ毎年初詣に出かけることにしています。額殿ではは甘茶の接待(有料)をしていました。温かい日でしたが、とりあえず甘茶を頂きました。
額殿の前にお札やお守り、おみくじを頂く行列ができていました。机の上にある「みくじ筒」を振って、出てきたおみくじ棒の番号のおみくじを頂きます。右奥に見えるのは「白虎楼」(重文)、対称の位置に「青龍楼」(重文)があります。
昔からこの場所で営業している写真屋さんがいます。手持ちの携帯でも写真を撮ってくれるようです。
ところで、平安神宮神宮の創建には佐野常民が中心的な役割を果たしました。佐野常民は明治時代の政治家で日本赤十字社の創設者として知られています。
佐野常民は、京都の美しい自然環境の保全と伝統文化財の維持保存を第一に心がけることが、京都のみならずわが国の繁栄の根本であり、人々に豊かな潤いの心をもたらす源であると考えていました。(左近の橘に実が成っていました)。
平安神宮では今年の令和7年(2025)鎮座130年の式年を迎え「平安神宮百三十年祭」を行います。「西歩廊」(重文)に神苑の入口があり、拝観する人も多いようです。)
令和8年3月15日(日)には「記念大祭」が斎行されます。また、記念事業として創建当時社殿(重文)の朱塗り塗替工事、昭和15年増築社殿(国登録文化財)の朱塗り塗替工事、京都市交通局二号電車(重文)の保存整備工事が行われます。
総事業費16億円、そのうち市民などからの奉賛予定額が4億円だそうです。記念事業の一環として「大極殿」の塗替工事が行われていますが、いつも通り内部の参拝は可能でした。
中央の石段から入り、左右が出口になっています。内部では混雑するので撮影が禁止です。
右の出口に絵馬所があり、様々な国の方が願い事を書いています。平安神宮の絵馬は地味で、片面は無地で「祈願」と書かれた面にお願いことを書きます。様々な国の方が書かれた絵馬があります(名前の部分は消してあります)。
「東歩廊」(重文)の途中に祈祷の受付と入口があります。平安神宮の社殿は明治の建物で、しかも平安京の朝堂院の8分の5の模造なのに重要文化財に指定されたのは異例なことです。
平安神宮は文献資料を基にした過去の建造物の縮小復元で、元の建物の歴史的意義、その意匠や建造技術を再現した価値が認められたようです。 額殿と対称の位置にある「神楽殿」(昭和15年建造、国登録文化財)は結婚式場になっています。
楼門の東の脇門には御朱印の授与所があり、長い行列ができていました。
楼門を入った右に青龍(東)の手水鉢があります。先日紹介した都を護る四神の一つ青龍の像が載っています。こちらは水がでないようになっています。
対称の位置に西を守る白虎の手水鉢が見えます。この後、参道の露店や街中の正月風景を眺めながら八坂神社の方に向かいました。
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コメント
こんばんは。ゆーしょーです。
平安神宮も初詣の人で
賑わったことでしょう。
平安神宮へは30歳の頃
行ったきりですので、
60年も行ってないですね。
ポチ♪2
投稿: ゆーしょー | 2025年1月 4日 (土) 01:58