南禅寺 水路閣と亀山天皇
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
先日の記事に続いて南禅寺境内にある水路閣を訪れました。以下では水路閣周辺をめぐりながら、この場所に琵琶湖疏水工事で当初計画になかった水路閣が建造された経緯と当時の水路閣をとりまく状況を紹介します。
法堂の横から水路閣に向かう途中に宮内庁の「後嵯峨天皇皇后姞子・粟田山陵 亀山天皇分骨所」という看板があります。西園寺姞子(きつし、後嵯峨天皇皇后)は亀山天皇の実母です。
鎌倉時代の文永元年(1264)、亀山天皇はこの地に離宮・禅林寺殿を造営しました。その後、禅林寺殿の一部が焼失し、その跡地に上の御所(松下殿)を建てます。焼失を免れた部分は下の御所と呼ばれるようになります。
亀山天皇は文永11年(1274)に譲位して上皇となり院政を開始します。亀山上皇は弘安10年(1287)に上の御所に持仏堂・南禅院を建立しました。
亀山上皇は正応2年(1289)に出家して法皇となり、正応4年(1291)には離宮を寄進して禅宗寺院の禅林禅寺とし、無関普門を開山とし て迎えました。これが南禅寺の始まりです。(石段の上に南禅院の勅使門が見えます。)
勅使門の前から右にある石段は、水路閣に流れる直前の琵琶湖疏水(分線)を通り、南禅院の裏山(借景の山)に続いています。蹴上から疏水分線に沿う散策路があり、蹴上疏水公園からここまで歩いてくることもできます。
疏水分線を見下ろす場所に南禅院の鐘楼があり、その向うに姞子の粟田山陵があります(下は過去の写真) 。南禅院の境内には、亀山上皇が利用したと思われる粟田山陵への墓参道があります。
亀山上皇は嘉元3年(1305)崩御し、墓は天龍寺境内に亀山陵、亀山公園に火葬塚があり、ここ南禅院には遺言により分骨埋葬された「亀山天皇分骨所」があります。
ところで、今では名所となっている水路閣ですが、琵琶湖疏水の当所の計画では山の中をトンネルで水路を通す予定でした。(南禅院は屋根葺き替えのため、昨年12月4日から来年にかけて拝観停止になっています。)
そのトンネル工事は難工事ではなく、計画は順調に進んでいました。ところが、着工直前にトンネルの上に亀山天皇の分骨所がある事が判明して、宮内庁からストップがかかかりました。
下はGoogleMapで、疏水分線が左下から南禅院を迂回して右上に流れていき、東西の部分が水路閣です。当初は直線的にトンネル(水路)で結ぶ計画でした。
当時は最新の洋風建造物で周囲と調和しているとはいえないものでした。南禅寺をはじめ住民からも反対運動がおこり、教育や社会活動に没頭していた福沢諭吉も激しい言葉で計画を批判したそうです。(水路閣にそって上流を見に行きました。)
そこで、急遽浮上したのが谷に橋をかけて水路を通す現在の水路閣の案です。結局は、宮内庁や近代化の御旗には勝てず水路閣は完成しました。(塔頭の最勝院の前で疏水分線はトンネルになります。)
しかし、この対立は裁判に発展し、南禅寺が琵琶湖疏水分線と水路閣を管理する京都府(後に京都市)を訴えた裁判は、平成24年(2012)にようやく京都地方裁判所での判決が出ました。それは以下の通りです。
被告(京都市)が有する地上権(水路閣)は、原告(南禅寺)の境内地が国有地であったときに、国と被告との間で琵琶湖疏水が存在する限り消滅しないことを前提として設置されたとして、原告の請求を棄却しました。
水路閣は平成8年(1996)国の史跡に指定されました。現在ではレトロな建造物としてこのあたりの景観になくてはならない存在になり、南禅寺の見どころの一つにもなっています。
水路閣は映画やドラマのロケ地としても使われています。特にサスペンスの撮影が多いのでサスペンスドラマの聖地ともいわれています。例えば、『科捜研の女Season21の1話』、『未解決の女 警視庁文書捜査官~緋色のシグナル~』
『anego -アネゴ- 8話』、『初雪の恋 ヴァージン・スノー(日本・韓国合作)』、テレビ朝日『松本清張 黒革の手帖』、『鴨川ホルモー』、劇場版『きのう何食べた?』、東宝『クローズド ノート』などです。
平成20年(2008)7月に水路閣の橋台で長さ4メートルの亀裂が見つかり、京都市上下水道局はレンガなどが剥がれ落ちる危険があるとして防護工事を行いました。南禅院への階段の西側で、その部分は立ち入りができないようになっています。
調査したところ、倒壊の危険はなく大規模な改修の必要もないとのことでした。現在は定期的にひび割れの状態を監視しているそうです。このことは、当時の設計・施工の優秀さを裏付けているともいえます。(この2枚の写真は過去のものです。)
「波気都歌(はけつか)」 昭和44年(1969)京都表具共同組合が建立。刷毛(はけ)は、絵画、染織、表具その他多くの作品、工芸品の製作に用いられてきました。
多くは動物の生毛を利用しているので、その回向と刷毛への感謝をささげて毎年8月1日を供養の日としているそうです。
結局、亀山上皇がこの地に骨を埋めよと遺言したおかげで、水路閣やこの景観が生まれたということができます。このあと、紅葉の名所の塔頭・最勝院を訪れました。
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コメント
こんばんは。ゆーしょーです。
この付近へは行ったことがないので
一度は行きたいと思っていたところです。
投稿: ゆーしょー | 2024年12月10日 (火) 22:07
★ゆーしょーさん こんばんは♪
最近では水路閣が南禅寺の見どころの一つになっています。
投稿: りせ | 2024年12月21日 (土) 00:11