京の蛇たち1 新年おめでとうございます。
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
明けましておめでとうございます。今日の記事は今年の干支にちなんで京都で見かけた蛇(巳)をお届けします。最初の3枚は暮れに訪れた京都御苑の西にある「護王神社」、毎年のように大絵馬の写真を撮りにいっています。
この神社は桓武天皇に平安遷都を進言した和気清麻呂を祀ります。清麻呂は皇位を奪おうとする道鏡の野望をくじき、その刺客に足を傷つけられて猪に助けられたといわれています。その伝説から、猪が神社を護り足腰のご利益があると信じられています。
下は下鴨神社の一回り前(2013年)の大絵馬です。リアルな蛇が苦手なので遠くからしか撮っていません。
一方、同じ年の絵馬はカワイイ姿でした。
干支としての蛇(巳)は、その年以外に神社であまり見かけません。そんな中で「下鴨神社」の本殿の前には「干支の社」があり、それぞれ自分の干支の社にお詣りできるようになっています。(下は恒例の参道での焚き火です。)
現在は中門の中では撮影禁止になり、下はそれ以前の写真です。おそらく左端の社だと思われます。本殿の横では十二支の絵馬が授与されます。
数年前の舞殿には、書家・吉川壽一氏の「舞殿ぐるっと四周囲 新しい日本を寿(こと)ほぐ迎新展」の作品が飾ってありました。それぞれの干支の書には、下鴨神社(河合神社)とゆかりのある鴨長明の和歌が添えられていました。
哲学の道にある「大豊神社」は狛鼠を祀っていることで知られていますが、それ以外にも狛狐、狛鳶も祀られています。2012年に翌年の干支にちなんだ「狛巳(み)」が本殿の左に置かれました。座禅を組んで黙想にふけるようにとぐろを巻いた黒い石の彫刻です
全国各地の社寺仏閣を巡るグループ「菊桜庵」が奉納したもので、作者は美術教師で彫刻家の粟津謙吾氏です。
小川通の寺之内通下ルにある「報恩寺」は室町時代創建の浄土宗知恩院派の寺院です。秀吉が聚楽第に持ち帰った掛け軸が、夜になると虎が抜け出し吠え回わり、やむなく返したという「鳴虎図」があることで知られています。下の「客殿」には
鎌倉時代から南北朝時代にかけての重要文化財の仏像をいくつも安置しています。ご住職に伺うと、屋根に上ってみて初めて鬼瓦が蛇であることが分かったそうです。すると、棟瓦は蛇の胴体あるいは波を表しているかも知れないとのことです。
北大路堀川の西に「玄武神社」があります。平安時代前期、不運な生涯を送っていた惟喬(これたか)親王を慰め、王城の北方の守護のために、親王寵愛の剣をこの地に祀ったのが始まりといわれます。
本殿には祭神として惟喬親王を祀り、方除、厄除、疫病除けなどのご利益があるとして信仰されてきました。社名の玄武とは、青竜、白虎、朱雀とともに王城を守る四神のひとつで、当社が平安京の北にあることから北面の守護神として名付けられました。
玄武は足の長い亀に蛇が巻き付いた形で描かれることが多く、亀は「長寿と不死」、蛇は「生殖と繁殖」の象徴で、陰陽が合わさる様子とされます。また、北にある冥界と現世を往来して、冥界で亀甲占いの神託を受けて現世に持ち帰ると信じられました。
京都市勧業館の東にあるモニュメント「悠久」 平成元年に市制100周年記念として建立、四方に平安京を守る四神が描かれています。下2枚は四神のなかで北にある玄武です。
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コメント
こんばんは。ゆーしょーです。
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。ポチ♪2
投稿: ゆーしょー | 2025年1月 1日 (水) 00:59
こんばんは。ゆーしょーです。
和歌山は穏やかな元日でした。
ポチ♪2
投稿: ゆーしょー | 2025年1月 2日 (木) 00:44
★ゆーしょーさん こんばんは♪
遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
投稿: りせ | 2025年1月10日 (金) 00:22