出世稲荷神社 2024秋
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
先日、大原の念佛寺を訪れたあと、山沿いの旧道を南に歩きました。この道は三千院の裏参道(車参道)でもあります。下はおやつ処「玄印」 京わらび餅、ずんだ餅、黒豆大福、栗きんとん餅など餅菓子のお店です。
喫茶「IRORI(いろり)」 喫茶を利用すると、駐車場を終日無料で利用することができるそうです。しば漬けの「志ば久」さんも、ここに駐車することをお勧めしています。ここで、山の斜面に沿って少し右に曲がります。
同志社大学 大原農家キャンパス「農縁館」 現在では少なくなった茅葺(かやぶき)の建物です。左に「京都大原里づくり協会」の看板がかかっています。
この道や三千院周辺の寺院は高野川の河岸段丘の上にあり、はるか向こうの対岸の段丘にもかって茅葺屋根だった民家が見えます。高野川は出町で賀茂川と合流して鴨川と名を変えますが、実際は賀茂川よりはるかにスケールの大きな一級河川です。
山側に鳥居がありますが、地図の上では神社は見当たりません。ちゃんとした石段があり、いつも気になっているのですがまだ行ったことがありません。
「愛宕大神」と刻まれた石灯籠があり、このあたりでは愛宕信仰が盛んだったと思われます。愛宕灯籠、あるいは愛宕常夜灯ともよばれ、街灯の役割をしていたようです。
この石垣はいまから訪れる出世稲荷神社まで続いています。
「出世稲荷神社」天正15年(1587)に豊臣秀吉が聚楽第を造営するときに、邸内に日頃信仰していた稲荷神を勧請したのが始まりです。(左に社殿・授与所がありますが、最初に坂を上り奥の宮に向かいます。)
翌年、後陽成天皇が聚楽第に行幸して稲荷社に参拝したときに、立身出世を遂げた秀吉にちなんで「出世稲荷」の号を授けたとされます。のちに、秀吉が関白職を甥の秀次に譲り、聚楽第はその邸宅となりました。
聚楽第が取り壊された後も、出世稲荷は元の場所に鎮座していましたが、江戸時代前期の寛文3年(1663)に二条城西の千本通沿いに遷座しました。
この狛犬は表情が可愛くて「笑う狛犬」として人気があるようです。その奥には一対の狐が社殿を護っています。
「奥の宮」には出世稲荷大神(稲倉魂命)が祀られ、開運出世、衣食住、地位名望、衆人愛敬、農工商その他一切の生業に大繁盛、延命長寿と病気平癒、千客万来、武運長久、善知識、金銀財宝をもたらす10種類のご利益があるとされます。
千本通では開運出世の神として大名や公家から庶民にいたるまでの崇敬を受け、江戸時代後期には庶民が寄進した300本を超える鳥居が立ち並んでいたといいます。(一番奥の「水天宮」には、子供の守護、水難除けなどのご利益があります。)
奥の宮の左の「三石大神」(右から福石、寿石、禄石) かっては博徒相場師が信仰しており、現在では勝負の神として強運祈願が行われます。狛犬は江戸時代後期の町火消で侠客の新門辰五郎の奉納。
辰五郎は文政4年(1821)の浅草花川戸での火災現場で纏を掲げて屋根に上り、遅れてきた柳川藩の大名火消しを落として負傷させ、両陣営が大喧嘩となりました。当時は屋根で幟を掲げた一番乗りの火消が、その消火活動を仕切る習わしでした。
鎮火後に辰五郎は単身で柳川藩藩邸に乗り込み、下手人は自分であるため好きにしろと啖呵を切るも、柳川藩は処分できませんでした。この事件は世間の評判となり、を組の火消の辰五郎は江戸の町で名を上げました。
明治以後には千本通界隈が映画興行の街として繁栄し、映画俳優や監督らが鳥居を寄進しました。下は牧野省三・尾上松之助等の寄進で向拝が新築された記念碑で、かっての社殿の前に建っていました。現在では遥拝所になっているようです。
近年、千本通がビル街となり氏子も減少、狭い境内を駐車場にして社殿を維持してきました。「大神宮」には伊勢神宮内宮と同じ天照大御神を祀ります。
しかし、老朽化した社殿の全面的な修復費用が工面できず、平成24年(2012)7月に境内地を売却して大原のこの地に移転しました。
宮司さんは「苦渋の決断だが、場所が変わっても出世稲荷神社を残すことが一番と考えた」とおっしゃったそうです。社殿・授与所はかって旅館だった建物を利用しています。
社殿には、清水焼陶工・六代目清水六兵衛作の御神体を安置しています。下は5年前の冬に特別に撮影させていただいた写真で、中央の厨子の中に御神体があります。(現在は撮影禁止になっています。)
室内には堂本印象が奉納した「雲龍図」をはじめ、様々な奉納品が安置されています。かっては旅館の受付だった建物の入口は授与所になっています。
御朱印や二対の鈴からなる「出世鈴」が人気で、二つの鈴は神様と自分に出世を誓うのだとか。また、節分に魔除けや厄除けに柊鰯(ヒイラギいわし)を玄関に飾る風習がありますが、鰯の代わりに出世鈴を飾った「ひいら木」があります。
堂本印象がこの旅館を愛用していたことが後に分かり、三千院の客殿が聚楽第の資材を利用したこともあり、宮司さんはこの地に不思議な因縁を感じているそうです。ここから、少し遠いですが最後の目的地の寂光院に向かいました。
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コメント
こんばんは。ゆーしょーです。
京都もわらび餅が名物?なのですね。
数年前に奈良へ行った時、二月堂の
近くで食事をしましたが、その時
わらび餅が一皿ついてきていました。
聞けば奈良はわらび餅が名物との
ことでした。 ポチ♪2
投稿: ゆーしょー | 2024年12月 6日 (金) 00:30
★ゆーしょーさん こんばんは♪
京都の甘味処には必ずといっていいほどありますが、奈良のわらび餅の方が古いかも知れません。
投稿: りせ | 2024年12月10日 (火) 00:10