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2024年12月 9日 (月)

金閣寺 高台の史跡と北山大塔

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

今日は金閣寺の最後で、北部の高台にある史跡やお堂を見たあと、最近発見された幻の北山大塔を紹介します。金閣寺の拝観エリアは高さが異なる3段になっていて、1段目の鏡湖池や金閣から山裾の坂道を上り2段目にきました。

下で見た「金閣寺垣」に囲まれた道(通行禁止)が2段目まで続いています。この垣は、間柱に丸竹の立子を一列に配し、下部は半割竹の押縁が立子を挟み込み、上部に3本の半割竹の玉縁が渡されています。

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「安民澤(あんみんたく)」は、日照りの際にも水が涸れず、現在でも鏡湖池の水源地となっています。隣に石仏があり、ここにも沢山のコインが投げられています。澤は「沢」の旧字ですが、いわくがあります。

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戦時中陸軍が兵器の名に難しい漢字が使われると若い兵士が読み書きできないので、尋常小学校4年までに習う漢字959字に漢字276字を加え、兵器の名に使える漢字を定めました。戦後、この漢字を基に常用漢字が定められました。

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澤は戦時中の兵器だけでなく、戦後も常用漢字からはずれ、あまり目にしなくなりました。中央の多宝石塔は「白蛇の塚」で基部に四面仏が彫られています。西園寺家は鎮守として弁財天を祀ってようで、白蛇はその使いとされます。

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安民澤の南東はちょっとした展望台になっていて、真横から金閣が眺められます。右奥の山は衣笠山です。

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さらに石段の坂道を上った3段目の高台に茶室「夕佳亭(せっかてい)」 があります。1680年後水尾天皇の逝去にともない、当時の住持が金森宗和に命じて建立したといいます。

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幕末の1868年に焼失、1874年に再建。夕佳とは夕日に映える景色が佳(よろし)いという意味だそうです。境内の一番高い場所にあるので見晴らしがよく、右下に窓を開け放った写真があります。

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「富士型の手水鉢」 室町幕府8代将軍足利義政の遺愛といわれています。義満の没後しばらくして北山殿は禅寺(鹿苑寺)となりました。義政はしばしば鹿苑寺に参り、東山殿(後の銀閣寺)造営の参考にしたといわれています。

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「貴人榻(とう)」 昔高貴な方が座った石とされ、室町幕府から移譲されました。榻(しじ)はもともと、 牛車から牛を外したとき、車の轅 (ながえ) の軛 (くびき) を支える台のことで、乗り降りに際しては踏み台としたそうです。

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夕佳亭の横から2段目の高台に下ります。こちら側には〇△▢の窓がありますが、急な石段の横にあるので気づく人はほとんどいません。

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2段目の台地にはいくとかのお堂や売店の他に、臨時のテントも出ていました。途中にお茶席があり、茶菓つきの抹茶(¥500)がいただけます。

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「不動釜茶所」 こちら抹茶を注文して、部屋の中でもいただけます。左の売店には銘菓「金閣」があります。あん入りの和三盆製糖で大徳寺納豆入り、千本玉寿軒製です。金閣寺の外では販売していないそうです。

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「不動堂」 当初は西園寺家の別荘に造られ、鹿苑寺の時代にも存続、安土桃山時代の天正年間(1573-1592)に中納言・宇喜多秀家によって再建されました。(左は「納経所」です。)

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本尊の「不動明王立像」(重文)は弘法大師作とされる秘仏で、「石(いわ)不動」「北山不動」ともいわれ、節分と8月16日に御開帳されます。前には木造の「不動明王像」が安置され、どちらかの不動明王が西園寺家の時代の本尊だったと考えられています。

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足利義満の山荘・北山殿の、金閣を中心とした庭園・建築が極楽浄土をこの世にあらわしたとされ、一休禅師の父である後小松天皇も招かれたといわれます。一休さんの絵馬もあります。

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不動堂の横に外国語のおみくじの授与機がありました。

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拝観エリアの出口の門の横に「茶枳尼天(だきにてん)」が祀られています。梵語では「ダーキニー」といい、大黒天所属の夜叉神でしたが、日本では中世以降稲荷神と同一視され、繁盛の神として信仰されてきました。

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2012年から2014年にかけてこの坂道の下(境内の東北)で発掘調査が行われ、「北山大塔」のものとみられる金属製飾り「相輪」の破片が発見されたと発表がありました。

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相輪は塔の最上部から突き出た装飾部分で、輪が9つ重なる九輪の破片3個が見つかりました。金メッキが施され、復元すると相輪は直径約2.4mと巨大なものです。発見場所は売店の裏です。

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「鹿苑寺 売店」 最近できた大きな売店で休憩所も兼ねています。数珠やお土産、スナック菓子、飲み物、アイスなど様々なものがあります。金閣にあやかり、金箔茶や金粉入り抹茶プレミアムソフトもあります。右奥に大きな駐車場があります。

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義満は相国寺に七重大塔を建立、高さ約109mで国内の歴史上最も高い木造建築物だったといわれています(東寺の五重塔は55m)。下は相国寺に建てた七重大塔の復元図(復元考証・冨島義幸、CG作成・竹川浩平)で日本経済新聞社のHPからの転載です。、

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しかし相国寺の七重大塔は落雷で焼失、義満は北山殿で1404年から北山大塔の建築を始めまたことが分かっています。北山大塔も同規模とみられていましたが、その場所や完成したかどうかも不明でした。

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塔があった基壇跡は、このあたりの広場の西にあるほぼ長方形の高まりではないかと推定されています。この時代の特徴を考えると、屋根の勾配は法観寺の五重塔(八坂塔)のように緩いものだったと想定されるそうです。

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また、相国寺の塔跡や金閣寺からは土の瓦は出土していないので、重量軽減のために木の瓦が使われていた可能性が高いと想像できるそうです。それでも高さ110mの塔の一層から七層までの中心を貫く心柱がどのようなものだったかが不明です。

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出雲大社の棟持柱のように、複数の木材をひと組にしてつないだ可能性もあるそうです。相輪が基壇跡から離れた場所で見つかったので、北山大塔が完成した可能性が高まったようです。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
ものすごくきれいな紅葉ですね。
野点傘に赤い毛氈を敷いた長椅子
素晴らしく良い雰囲気です。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2024年12月10日 (火) 00:18

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