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2024年12月 7日 (土)

金閣寺 門前商店街から拝観入口へ

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

市内の紅葉がまだ見頃ということで、昨日は金閣寺に行ってきました。西大路通から鞍馬口通のお店を見ながら金閣寺の拝観受付まで歩きます(TOPの写真)。

下は「よーじや 金閣寺店」、あぶらとり紙など化粧雑貨のお店で、全国に19店舗、京都に9店舗、カフェが京都に2店舗あります。最近閉店したお店もありますが、こちらは元気なようです。

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「GALLERLY KIOKU」(株)記憶の音(Kioku Note)が展開するブランドANOMALY STRUCTURE(アノマリーストラクチャー)のギャラリーで、革製品の小物やアクセサリーを制作・販売しています。

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「隣鹿苑(りんろくあん)」 1946年創業の和雑貨のお店で、デザイン手ぬぐい、アクセサリー・髪飾り、お茶・お菓子、人形・置物、布雑貨などをそろえています。右はたこ焼きの「ゴールデンアワーズ」。

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「京都ふらんすや」 2021年2月にオープンしたフランス屋製菓が運営するチョコレート専門店で、豪華なパッケージの「京都 生チョコ」から、チョコレートアイスの、すくすく、うきうき、わくわく、ころころなどがあります。

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「忍びくん」 2020年にオープンした忍者・侍グッズのお店で、模造刀や戦国武将フィギュア、Tシャツや小物などをそろえています。2階にカフェ「ZIP COFFEE」があります。旅行者のために大きな荷物を預かってくれます。

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金閣寺の表門の前まで来ましたが 、左(南)にお店が2軒あるので横断歩道を渡ります。

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「やまざき庵」 京の甘味処で、抹茶やイチゴを使ったソフトやスムージー、かき氷、パフェなどがあります。ほかに、コロッケや唐揚げ、たい焼きなどもあります。

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「北麓亭」 うどんやそばなどのなど麺類のお店です。特に、きつねうどんやにしんそばが人気だとか。

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このあたりの鎮守の「大日堂小祠」

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金閣寺の前の通りは「鏡石通」で、北は先日記事にした鷹峯街道に至ります。向うに大北山と南斜面の左大文字が見え、金閣寺はこの山裾にあります。

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金閣寺の「表門」は黒門とも呼ばれ拝観入口はもっと先にあります。この日は観光客よりも修学旅行生が目立ちました。

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「金閣寺」は、正式名称を「鹿苑寺」、山号を北山という臨済宗相国寺の境外塔頭です。右は、拝観エリアの出口からの道です。

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鎌倉時代の公卿・西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、1394年に北山殿(北山弟)を造ったのが始まりとされています。 こちらは参道の左(南)側で苔地に様々な木が立っています。

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義満は1358年足利二代将軍義詮(よしあきら)を父に、石清水八幡宮検校通清の娘良子を母として生まれ、幼名を春王と呼ばれました。(日当たりのいい場所のカエデは綺麗に紅葉していました。)

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「馬繋(うまつなぎ)」 木杭に馬をつなき、駐車場ならぬ駐馬場だったところです。清水寺にも同様の馬留(うまどめ)があります。ベンチには「先生方のチェックポイント」?と書いてあります。

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「世界遺産記念碑」 金閣寺は1994年に「古都京都の文化財」としてユネスコの世界遺産に登録された17の寺社・城郭の一つです。

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義満3歳の時、南北両朝の抗争のなか楠正儀、細川清氏らに大挙して攻められ父・義詮は近江へ逃れ、義満は従者に抱かれ建仁寺の蘭洲良芳(らんしゅうりょうほう)のもとに逃れました。(下は天皇家から下賜されたという「総門」です。)

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総門をくぐって拝観受付までの途中に、舟形の「一文字蹲踞(つくばい)」があります。かっては馬が水を飲むための水槽で、総門近くの馬繋にあったといいます。

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建仁寺の良芳和尚は義満に僧衣をかぶせて5日間かくまい、ひそかに播州白旗城の赤松則祐のもとに送り届けました。そして翌年義満は無事京都に帰還しています。

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1367年、義満は天龍寺において時の住持春屋妙葩(しゅんおくみょうは)より受衣(じゅえ)しました。受衣は禅宗で師の法を受け継ぐことです。そしてこの春屋妙葩とその弟弟子義堂周信は義満にとって終生の変わらぬ精神的支えとなりました。「鐘楼」

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この年、父義詮は病没し、翌年義満は11歳で将軍職を継ぎます。「庫裡」禅宗特有の様式の建物で、明応・文亀年間(1492-1504)の建物とみられています。ここで写経が行われ、外国人の方も多くて賑やかな雰囲気だそうです。

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その後、義満が金閣寺を創建するまでの歴史は明日の記事で紹介します。正面は方丈の「唐門」で、左に拝観受付があります。

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拝観入口は個人と団体が分かれています。お帰りの際には、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
金閣寺へははるか昔一度行った
ことがあるのですが、
そのほとんどを忘れました。
正式名称の「鹿苑寺」より
「金閣寺」の方がよく知られてますね。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2024年12月 8日 (日) 00:09

★ゆーしょーさん こんばんは♪
金閣寺は観光客にはよく知られていますが、京都に住んでいる人はあまり訪れていないかも知れません、

投稿: りせ | 2024年12月10日 (火) 00:16

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