大原念佛寺 尊雲法親王と地蔵菩薩
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
先日大原の三千院を訪れたあと、参道の石段まで戻ってきました。石段下に「一福茶屋」があります。
こちら側ではお土産物を販売していて、左の来迎院への道側は麺類のお店になっていいます。里芋が入った「福そば」、「とろろそば」、「三千院そば」、丼物などがあります。
ここで呂川を遡って来迎院に行くか坂道の参道を下るという選択肢もありましたが、この日は魚山橋を渡って旧道の方に行きました。左に大正13年(1924)創業の料理旅館「魚山園」がありましたが、2018年に廃業しました。
右手前の建物は 「来迎院町集会所」、その向うは「三千院前有料駐車場」で、今から訪れる念佛寺の経営のようです。
こちらに来た理由は、しばらく訪れていなかった復興途中の念佛寺(右の建物)が気になっていたからです。
「大原念佛寺」 かっては、お地蔵さんの寺として知られその由緒は分かりませんでした。数年前に「後醍醐天皇の皇子で、後の天台座主・尊雲法親王によって、三千院の塔頭寺院として開山された」という記事を見つけました。
尊雲法親王は護良(もりよし)親王の幼名です。「護良親王」は鎌倉時代の延慶元年(1308)に生まれ、6歳の頃に剃髪して「尊雲法親王」として梶井門跡(後の三千院に)入りました。(庫裏・寺務所、本堂を兼ねています。)
17歳の時(1325年)には門跡を継承して梶井門主となります。 大原念仏寺を建立したのはこの時期だと思われます。この頃の梶井門跡は、市中に寺院を持つ一方、大原にもお堂や(塔頭)寺院があったことが分かっています。
19歳から22歳の間に2度にわたり天台座主となりました。この頃大塔宮と呼ばれたのは、東山岡崎の法勝寺九重塔(大塔)付近に門室を置いたからです。(本堂には護良親王の護持佛の阿弥陀如来を祀り、右の窓口ではご朱印が頂けます。)
親王は武芸を好み日頃から鍛練を積み、後醍醐天皇の鎌倉幕府討幕には還俗して参戦、戦う天台座主ともいわれました。さらに、鎌倉幕府滅亡後の後醍醐天皇による「建武の新政」では征夷大将軍に任じられました。
しかし、もう一人の討幕の功労者、足利尊氏とは相容れず、父の後醍醐天皇とも不和となります。状況を変えようとした護良親王は、令旨を発して兵を集め尊氏討伐に乗り出します。
尊氏がこの令旨について後醍醐天皇に詰め寄ると、天皇はあずかり知らぬことと護良親王を突き放しました。結局、護良親王は皇位簒奪(資格がないものが皇位を奪うこと)を企てたとして、役職を追われ捕えられました。
戦乱の中で護良親王は殺害されてしまいました、享年28。近世まで護良親王は皇位簒奪を企てた逆賊とみなされてきましたが、現在では事件は濡れ衣とされ、尊氏討伐には後醍醐天皇の密命があったという説もあります。「妙音弁財天」
大原念佛寺は文化14年(1814)に火災に遇い、ことごとく焼失して再建したので詳しい由緒が不詳だそうです。再建された堂宇も昭和9、10年(1934、1935)の台風により倒壊、流失してしまいました。
その後の再建の際に、高橋三広氏によって等身大石仏(上)が造られました。そして上野の浄名院の八万四千体地蔵尊の内、第五万四千九百四十二番が勧請されました。境内にある多くの石仏も再建の過程で安置(奉納)された地蔵のようです。
かっては境内のあちこちにお地蔵や石造物が置かれていましたが、今回訪れたときには整理されてお地蔵は等身大の石仏の両隣に並べられていました。
また、境内の南西には砂利が敷き詰められ、置石や植栽が施されて端正で開放的な庭園になっていました。
以前に訪れたときには工事中だった建物(おそらく地蔵堂)が完成していました。小さいながらも立派な寺院建築です。
中には合掌している地蔵菩薩と左に釈迦の生誕仏、右に千手観音像が祀られていました。
念佛寺では「幽玄な里山を一望できる地蔵信仰の山寺」としてお地蔵さまにちなんだ「身のお守り」が授与されます。また、天台宗では草木や国土にいたるまで全ての物に仏の心を有しているといわれ、間伐材を用いた納経帳もあります。
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コメント
こんばんは。ゆーしょーです。
最後の間伐材を用いた納経帳、
こんなのがあれば一つ買いたいです。
納経帳も10冊近くたまりました。
たまに見るのが楽しみなのです。
ポチ♪2
投稿: ゆーしょー | 2024年12月 3日 (火) 01:05
★ゆーしょーさん こんばんは♪
熱心な巡礼者ですね。私は多くの寺社をまわっていますが、写真を撮るだけで、御朱印をいただくことあまりありません。
投稿: りせ | 2024年12月 9日 (月) 23:52