宝泉院 秋の額縁庭園
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
昨日の記事の勝林院は大原における天台宗の中心的道場で、その門前の道を西に行くと宝泉院があります。TOPは「山門」、その左に拝観受付があります。
「宝泉院」は勝林院の僧坊および天台声明(しょうみょう)の道場としてとして創建されました。 山門の正面は客殿の前庭で、右に大原問答に臨んだ「法然衣掛け石」があります。
宝泉院の創建時期は平安時代前期の仁寿年間(851-854)、中期の1012年、後期の寿永年間(1182-1185)など諸説あり、宝泉院では約800年前としています。山門の右手にある庫裡から入ります。
庫裏の玄関の前に小さな池があり、奥の滝組から水が流れ込んでいます。
建物に入ると廊下の天井に駕籠がつるされています。郊外や山里の寺でよく見ることがあり、住持やお客が使用したものと思われます。
廊下の右手にある「囲炉裏の部屋」 炉の周囲に陶板をあしらい、右隅に花が生けられ、床の間には寺宝が飾られています。四季を通じて趣のある山荘のような部屋です。
正面の庭は「鹿野苑」といい、斜面の滝から水が流れてきます。この日は、左奥にある明治時代に建てられた茶室「日新庵」が特別公開されていました(別途拝観料が必要です)。
廊下の左の「鶴亀庭園」 江戸時代中期の作で、池の形が鶴、築山が亀、左奥の山茶花の古木を蓬莱山とみるのだそうです。左の奥の隅に樹齢300年の沙羅双樹があります。
中庭に面して、庫裡と客殿に外縁が設けられ、その角に蹲(つくばい)があります。庫裏の外縁には毛氈が敷かれてお茶席になっていました(上の写真)。
客殿に上がって、鶴亀庭園はこちらの格子窓から見るのが一番よいとされています。
拝観料にはお茶券(若狭屋の茶菓子付き)がついていて毛氈の上でいただきます。この庭は「盤桓園(ばんかんえん)」といい、盤桓とは立ち去りがたいという意味だそうです。
こちら側の中央は、近江富士を型どった樹齢700年の五葉松。京都市指定の天然記念物で、市内にある3つの著名な松の一つです。あとの二つは、金閣寺の「陸舟の松」と善峯寺の「遊龍の松」です。
西の方は、かっては下の大原の里が眺められ、現在は竹林が借景になっています。宝泉院の庭は「額縁庭園」とされ、部屋の奥から額縁のように眺めるのが美しいといわれています。
以前、ご住職の藤井宏全(こうぜん)さんが客殿におられることがありました。その時は、参拝客を部屋の中央に座らせて額縁庭園の鑑賞法を説明されていました。
西庭の縁の右端に「理智不二(りちふに)」と名付けられた珍しい二連式の水琴窟があります。竿の先に耳をつけると軽やかな音色が聞こえます。
付書院に花が添えられています。額縁庭園は参拝客で遮られていましたが、大勢の方が大原まで来られたことがちょっと嬉しくなりました。
室内のいたる所に花が飾られています。客殿の廊下の足元にもきれいな花がありましたが、気付く方はほとんどいません。
山門の左に、平成17年(2005)に園治(えんや)庭園企画創作所の山岸満多朗氏により作庭された「宝楽園」という新しい庭園があります。
園治は長野県の造園会社で、宝楽園は平成時代の京都で作庭された現代日本庭園の中で最も前衛的で、別名を「仏神岩組雲海流水花庭」というそうです。西に向かって園路があり、その先の鎮守社から折り返して下に降ります。
中央が谷底のような低地になっていて、谷底は白砂で、その上に置石、立砂、蹲、石橋、樹花 などが配置されています。心の内なる広大な仏、神の世界を表わし、美しく宝の如くそのままそこにある楽園の境を創作したものだそうです。
いわゆる仏教的な神仙思想に結びつく三尊石や蓬莱山に見立てた石はあるものの、宗教的な思想よりも更に昔の太古の創世と原初の海を想像して作られたそうです。(谷底に面白い形の蹲踞があります。最後の写真も)。
藤井宏全さんは昨日の勝林院の住職も兼任していて、こちらでは様々な新しい試みを行っているようです。園路は一旦谷底に下り、対岸から石橋を渡って入口に戻ります。
宝泉院では11月9日から12月1日の期間『秋の夜灯り』として夜間特別拝観が行われています。
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コメント
こんばんは。ゆーしょーです。
縁の上に敷かれた赤い毛氈に座って
紅葉の庭園を眺めながら飲むお茶は
最高の気分になりますね。
ポチ♪2
投稿: ゆーしょー | 2024年11月25日 (月) 03:07