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2024年11月 5日 (火)

萬福寺 祝!国宝指定

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日は黄檗の萬福寺にいってきました。江戸時代の寛文元年(1661)中国からの渡来僧・隠元隆琦(いんげんりゅうき)は、幕府から寺領地を得て黄檗山・萬福寺を開創しました。TOPは「総門」(重文)。

屋根の中央が高く2段になっているのは中国風で、上に乗っているのは摩伽羅(まから)という想像上の生物、額「第一義」(重文)は5代・高泉の書です。今日は中央の伽藍と祀られている仏像を紹介します。

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「三門」(重文) 延宝6年(1678)建立の三間三戸の二重門です。三間三戸は門の正面の柱間が3間でそのすべてが通路になっているものを指し、日本の禅宗寺院の三門は「五間三戸」が一般的だそうです。

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正面の上の額「黄檗山」と下の額「萬福寺」は隠元の書です。

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今年の10月18日の文化審議会は萬福寺の3棟を国宝に指定することを文部科学大臣に答申しました。正式には官報告示を経て国宝となりますが、既にマスコミ等で情報解禁となっています。

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三門に羅怙羅尊者(らごらそんじゃ)の顔はめパネルがありました。羅怙羅は出家前の釈迦の子といわれ、「人はその心の中に必ず仏の心を宿す」という教えを伝えるために、自分の胸を両手で大きく切り開い中にある釈迦の顔を見せています。

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萬福寺は中央の一直線上に主要な伽藍が並び、それらは両側から回廊で結ばれています。その回廊沿いには様々な建物が配置されています。今日はとりあえず、中央の伽藍を見て回ることにします。

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「天王殿」 今回国宝に指定された建物の一つで 、寛文8年(1668)に建立され、本堂の手前にあり日本では珍しい中国式の伽藍配置だそうです。×型の組子を入れたたすき匂欄も日本で珍しく、中国で使用されているデザインだそうです。

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天王殿の中央に片膝を立てた布袋座像が祀られています。布袋は弥勒菩薩の化身とされ、萬福寺では弥勒菩薩像と呼んでいるそうです。布袋は参拝する人の口から煩悩を吸い込み、最後に参拝するとき袋から徳を取りだして授けるのだそうです。

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布袋の周囲を四天王が囲んでいます。四天王は仏土守護の神像で、東西南北の方位に配置されます。「広目天」、西方を護り、筆と巻物、戟(げき、ほこ)と槍を持っています。

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「多聞天」 北方を護り、宝塔と三叉の戟を持っています。中国の四天王は琵琶・傘・剣・蛇などを持っているとされ、萬福寺の四天王は明風ではあるも、日本人の作だと考えられています。

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「増長天」 南方を護り、刀・剣・戟 金剛杵を持っています。

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「持国天」 東方を護り、刀・槍・戟 金剛杵を持っています。持国天は明風を学んだ日本人仏師の友山・香浦作と見られているそうです。

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布袋像の後ろの「韋駄天像」 韋駄天は増長天の八将の一神で、伽藍を守る護法神とされ、中国の禅寺では四天王、布袋とともに山門や本堂前に祀られるのだそうです。

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「大雄宝殿(だいゆうほうでん)」 寛文8年(1668)に建立された本尊を祀る建物で 日本の寺院の「本堂」や「金堂」にあたります。こちらも国宝に指定されました。上層の額「大雄寶殿」は隠元書。

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大雄は釈尊のことで、本尊が釈迦仏の場合に用いられる名称だそうです。 萬福寺で最大の伽藍で、日本では唯一最大のチーク材を使った歴史的建造物です。

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正面に香炉があり、いい香りの中華線香がたかれています。下層の額「萬徳尊」は木庵書。

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中央は本尊の釈迦三尊像。脇侍は阿難(左)と迦葉(右)で、釈迦が亡くなったあと、長老の彼らが教えを受け継いだとされます。三尊像は范道生の指導のもと、京の大仏師兵部が1669年に制作したものです。

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本尊両側には十八羅漢像を安置しています。釈迦の命によって、教えを説き民を導く悟りを開いた弟子たち(十六羅漢)に、慶友と賓頭廬(びんずる)を加えたものです。片側に九体ずつあります。

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この羅鑑像は隠元が中国から連れてきた范道生(はんどうせい)作で 彫りの深い顔立ちに、いきいきとした表情、緻密な模様が刻まれた衣裳は日本の仏像に見られないものです。

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「法堂」 大雄宝殿の後にあり、寛文2年(1662)に建立されました。禅寺における主要伽藍のひとつで説法を行う場所で、内部には須弥壇のみを置きます。上堂や住持の晋山式などに使われます。こちらも国宝に指定されました。

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法堂正面の勾欄は、卍及び卍くずしの文様になっています。これらはすでに奈良時代の法隆寺などの南都寺院に使われていますが、江戸時代初期にあらためて黄檗を通じてもたらされたものです。

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法堂の右手の「東方丈」(重文) 襖や壁には池大雅の代表作「五百羅漢図」、「虎渓三笑図」、「西湖図」などがあります。その背後に住職が居住する「甘露堂」があります。

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法堂の後ろには徳川歴代将軍を祀る「威徳殿」がありますが、一般公開していません。

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「西方丈」 日中友好書道展がおこなわれていました。最後の写真は法堂に行く回廊向こうの建物は「慈光堂」(祀堂)、結婚写真を撮っていました。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
萬福寺は中国からの渡来僧・隠元隆琦が建てた寺だけに
名前も萬福寺と中国の感じがする寺ですね。
素晴らしいお寺です。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2024年11月 6日 (水) 00:05

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