萬福寺 境内の3塔頭
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
昨日までの記事で萬福寺の主要な伽藍と仏像、遺跡などを紹介しました。萬福寺は明治維新後の神仏分離令や上知令を乗り越え、現在でも19の塔頭を有しています。今日は境内にある3塔頭を紹介します。TOPは三門前の南北の参道。
三門前の南に「天真院」があります。江戸時代の寛文13年(1679)日本人僧・了翁道覚(りょうおうどうかく)により建立されました。道覚は、自ら体を傷つけるなど厳しい修行をしたことで知られています。
土木事業や図書館、学校、薬屋の建設など社会活動に力をつくしました。晩年の修業の場として建立したのが天真院です。幕末に土蔵、表門以外を焼失して、明治39年(1906)に再建されました。現在、普茶料理「銀杏庵」を経営しています。
三門から総門の方に向かって歩くと、右手(北)に「黄檗二代木庵老和尚塔所」という石標が立っていて、萬福寺の第2代・木庵性瑫禅師ゆかりの二つの塔頭があります。
木庵禅師は中国福建省の出身、16歳で出家してから28歳の時には金粟山の費隠通容の許で維那(庶務の役職)になりました。その後も、浙江省の紹興や天台山等を遍歴しました。(道の左に塔頭「紫雲院」の入り口があります。)
1648年には、天童山の費隠(びいん)の許に行こうとするも戦乱のために果たせず、黄檗山に登り隠元隆琦からその法を受けます。1650年から1653年まで剣石の太平寺の住持を務めました。
先に来日していた隠元に招かれ、明暦元年(1655)に来日して長崎の福済寺の住持となります。万治3年(1660)に摂津国の普門寺、翌年にこの萬福寺に入り、寛文4年(1664)に隠元の法席を継いて2代目となります。
翌年、幕府から呼び出しがあり初めて江戸に下り、4代将軍徳川家綱に謁見して黄檗山住持になった挨拶をしました。江戸城では老中稲葉美濃守、将軍の生母桂昌院などに法語を書いて示したそうです。(丸い門があり、奈良街道に面しています。)
寛文7年、将軍家から2万両と南海地方の木材チークが下賜され、仏殿を建てることになりました。摂津国麻田藩の第3代藩主・青木重正が黄檗山内に不二庵を新築して留まり、工事の監督にあたりました。元の道に戻ります。
大雄宝殿を始め主要な伽藍が完成した寛文9年江戸に下って建物が竣工した御礼を幕府に言上。江戸では黄檗山開創に大功があった大老・酒井忠勝の法要を行い、老中・稲葉公を始め諸大名の私邸に招かれました。表門は明治25年(1892)の建立です。
関東地方で黄檗宗は日に日に拡がり、江戸に紫雲山瑞聖寺を初め10余寺を開創し、門下も50余人に及びました。寛文9年に将軍より紫衣を賜り、そのお礼に江戸に赴き瑞聖寺に逗留したときは、参詣者は引きも切らず1日1万人といわれました。
延宝8年(1680)黄檗山の法席を第3代の慧林性機(えりんしょうき)に譲り、この紫雲院に隠退しました。その間、寛文10年(1670)に紫雲院を建立しています。(この日は山門から中には入れませんでした。)
萬寿院は木庵禅師の塔所として建立されました。木庵禅師は、貞享元年(1684)に病により亡くなりこの萬寿院に葬られました。享年74でした。 萬寿院の現在の庫裏は文政12年(1829)に建立されたもので京都府指定文化財です。
表門の屋根が低いので、上に乗っている想像上の生物・摩伽羅(マカラ)がよく見えました。インド神話に登場する怪魚で、ヒンドゥー教のシンボルとなり門や装身具の装飾に用いられているそうです。
象やワニのように尖った鼻と足を持ち、尾がとぐろを巻く怪魚や、ワニとライオンの合成獣として表現されるそうです。水を操る力を持つため、マカラの棲むとされる川や湖、海が崇拝の対象となったそうです。
木庵禅師は、能書家としても知られ、隠元、即非とともに黄檗三筆と称されています。即非如一(そくひ にょいつ)は、隠元に招かれて来日し、長崎の崇福寺の伽藍を整備してその中興の開山となったた僧侶です。(元の参道に戻ります。向こうには放生池。)
三人の書は、中国人ならではの「唐風」あるいは「黄檗風の書」として珍重され、隠元は「穏健高尚な書」、木庵は「雄健円成の書」、即非は「奔放闊達な書」と評されているそうです。
上の写真は総門の近くにある「学生寮」、黄檗宗の末寺の子息たちが、寺の勉強や手伝いをしながら大学に通うための寮だそうです。下は、総門の横にある「看門寮」、文字通り門衛の詰め所です。
このあと、総門を出て奈良街道沿いにある個性的ないくつかの塔頭を訪れました。最後の写真は紫雲院の丸い門で、人の顔のように見えます。
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コメント
こんばんは。ゆーしょーです。
萬福寺でも結婚式の前撮りをしていますね。
和歌山でも和歌山城の周辺で前撮りをして
居るのをよく見かけませすが、京都なら
前撮りの場所が沢山あるのでよく見かける
でしょうね。
投稿: ゆーしょー | 2024年11月11日 (月) 22:58
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投稿: ゆーしょー | 2024年11月12日 (火) 01:07
ポチ♪2
投稿: ゆーしょー | 2024年11月12日 (火) 02:24
★ゆーしょーさん こんばんは♪
観光地でよく前撮り撮影を見かけますが、最近では寺社が写真の会社と提携して境内を貸すケースもあります。
投稿: りせ | 2024年11月14日 (木) 02:50