勝林院 証拠の阿弥陀と保存修理事業
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昨日の記事に続いて勝林院の前まできました。「勝林院」は正式名称を魚山大原寺勝林院という天台宗延暦寺の別院です。勝林院は平安時代中期の1013年に寂源によって声明による念仏修行の道場として創建されました。
前に大原問答に向かう法然が休んだとされる「法然腰掛石」があります。
声明(しょうみょう)は法要の中で経典を歌のように唱える宗教音楽で、天台宗に伝わる声明は平安時代初期に円仁が中国から比叡山へと声明を伝えたことから始まります。魚山(ぎょざん)は中国山東省東阿県にある声明発生の地です。
約90年のちに来迎院が創建されると、二つの本堂を中心として僧坊が建立され、多くの僧侶が声明の研究研鑽をする拠点となりました。「鐘楼」は鎌倉時代の建造、江戸初期に春日局による再建、梵鐘は無銘ですが藤原期のもので重要文化財。
勝林院を創建した寂源は左大臣・源雅信の子で右少将の時に出家したので、大原入道少将とも呼ばれました。藤原氏による摂関政治の最盛期で、道長や頼通らの信仰を集めました。
平安時代末の1156年、大原に梶井門跡の政所(後の三千院)が設置され、来迎院や勝林院などを管理しました。本堂は江戸時代(1736年)に焼失、1778年に徳川家の寄進により後桜町天皇の常御所を移して再建、市の登録有形文化財です。
江戸時代には理覚坊、実光坊、法泉坊、普暁坊の4坊を有しました。明治以降、勝林院は4坊を含む総称から本堂だけの呼称となり、かっての4坊の内、宝泉院と実光院だけが支院として残りました。
常御所の建物だけあって、本堂の装飾は見事です。欄間には梅の花、鶴、雉、松などが立体的に彫られています。
その中にはめでたい鳥の山鵲(さんじゃく)とともに翁がいますが、誰だか分かりません(浦島太郎という方もいます)。
龍や波が彫刻された蟇股(かえるまた)
柱の上には、獏の木鼻
こちらに延びているのは菊と牡丹が彫刻された手挟(たばさみ)です。
本堂には本尊の阿弥陀如来、左に不動明王立、右に毘沙門天が祀られています。阿弥陀如来の手元から五色の綱(善の綱)が延びていて、参拝者が弥陀如来に間接的に触れることができます。
旧本尊は平安時代の長保・寛弘年間(999-1012)に康尚の作といわれますが、江戸時代に本堂焼失とともに焼損しました。現本尊は、翌年(1737)仏師・香雲により造立(補修)されたといわれます。
平安時代中期の1020年寂源が勝林寺で法華八講という法要を行いました。その際、天台僧・覚超と偏朮(偏求、へんく)が議論を始めました。覚超が主張するとき本尊は隠れ、偏朮のときには姿を現して支持し、以後「証拠の阿弥陀」といわれました。
平安時代後期の1186年、浄土宗の宗祖・法然(1133-1212)を勝林院に招いて宗論「大原問答」が一昼夜にわたって行われました。明遍・智海・貞慶など諸宗の高僧が用意した難題について、
法然は浄土の宗義、念仏の功徳、弥陀の本願の旨を説いて問者の本成坊がついに信伏、専修念仏が他派を論破しました。念仏により極楽往生ができるかどうかの問答のとき、本尊は手から光を放ち証拠を示したとされます。
本堂の右手に安置されている「十一面観世音菩薩像」は樟の木の一木造で、もと北野天満宮の本尊で菅原道真の本地仏とされていました。神仏分離の際に勝林院に遷されました。
本堂を出て、東の斜面にある古跡を見にいきます。
4年前に放映されたNHKBSの「歴史発掘ミステリー 京都 千年蔵 大原 勝林院」では、全国の専門家とともに蔵の中身を全部出して調査。1853点の文化財から、藤原道長から織田信長までの権力者と勝林院とのつながりが明らかとなりました。
蔵の前に平井乙麻の歌碑があります(自然石で、今では文字が読めません)。「苔の上をまろ深如く 流れゆく呂律の里の 弥陀の声明」
向かいの参道東にも歌碑があります。海道「夕ほたる 末は一つの 律呂川」、佳子「大阿弥陀 いだく魚山に 初音澄む」 丸山海道は京都在住で俳句結社「京鹿子」を主宰、妻の佳子も京鹿子の指導者でした。円山公園にも二人の歌碑があります。
ところで、勝林院の本堂は江戸時代中期に再建されてから約250年がたち、近年は礎石の沈み込みによる建物全体の傾きやシロアリなどによる虫害が深刻化しています。下は勝林院のHPからの転載です。
本来はこけら葺(ぶ)きの屋根ですが、2018年9月の台風では屋根が破損して現在はトタンで覆う応急措置を施しています(下の写真)。また、屋根を支える屋根裏の材木も、長年の雨漏りによって腐食しつつあります。
再建以来はじめての大規模改修が必要とされ、平成29年度(2017)には予備調査事業が行われ、工事計画が進められています。山の斜面には梶井門跡ら歴代の供養塔があります。
しかしながら、檀家も信徒も持たない勝林院は大規模な工事を進めていくだけの資金がありません。 鎌倉時代の正和5年(1316)の銘がある「石造宝篋印塔」(重文)
関係寺院の僧侶や研究者が中心となって2019年末に「勝林院友の会」を結成。年会費5千円で誰でも入会でき、会員は勝林院や宝泉院、実光院を無料拝観できるなどの特典ががあります。日吉山王社(左)と観音堂(右)
また本堂の保存修理事業への寄付を募っています。一口2千円として寄付をいただいた方は芳名帳に記載し、芳名帳は最終的に本尊・阿弥陀如来坐像(証拠の阿弥陀)の胎内に奉納するそうです。詳しくは勝林院のHPをご覧ください。東屋(休憩所)
最後の写真は東屋からの本堂。お帰りの際には、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。
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コメント
こんばんは。ゆーしょーです。
獏は伝説の生物ですよね。
日本では、人が睡眠中に見る
悪夢を食べるとされてますね。
ポチ♪2
投稿: ゆーしょー | 2024年11月24日 (日) 01:27