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2024年11月28日 (木)

三千院 秋の諸仏をめぐる

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事に続いて、有清園から次の高台に上ります。坂道の途中にに京の七福神の一つ「妙音福寿大弁財天」と「宇賀神」が祀られています。宇賀神と弁財天は神仏習合によってより功徳を増すといわれ、宇賀神は下の檻の中に蛇の姿をしています。

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散策路は3番目と4番目の高台から、律川を下って再び弁財天の横に戻ってきます(左回り)。今日は、途中にある様々な仏たちを見て回ります。

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「金色不動堂」 護摩祈祷を行う祈願道場として平成元年に建立され、本尊として智証大師作と伝えられる秘仏「金色不動明王」(重文)を祀ります。毎年4月に行われる不動大祭期間中の約1ヶ月間、秘仏が御開帳されます(秘仏なので写真はありません)。

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金色不動堂の右手にある石段を上ると、一番高い4段目の高台に「観音堂」があります。平成10年(1998)に建立され、身丈3メートルの金色の観音像が祀られています。こちらも撮影はできません。

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観音堂の両側に「小観音堂」がいくつも建っていて、奉納された小観音像が安置されています。こちらは右の小観音堂の一つです。左の小観音堂の横に美しい姿の「聖観音像」が立っています。

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石仏彫刻家・長岡和慶師の平成22年(2010)の作品です。石彫家として初めて三井寺や三千院から大仏師の称号を受け、石仏の文化財あるいは信仰の対象としての価値を高めたと評価されています。永観堂阿弥陀堂前の「やすらぎ観音」も師の作品です。

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造園家・中根史郎作庭の「二十五菩薩慈眼の庭」 斜面に配置した25の石を菩薩に見立てて補陀落浄土を再現しています。中根史郎は昭和の小堀遠州といわれた中根金作の子息で、京都市立芸術大学非常勤講師、日本庭園協会理事・評議員です。

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いままでは再び金色不動堂の横に下りて律川の方にある「あじさい苑」に向かっていましたが、観音堂から下らずに直接あじさい苑にいく道が整備されていました。律川にかかる上の橋の向こうに、勝手神社の本殿が見えます。

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上流に見えるのは勝手神社の橋です。「勝手神社」は平安時代の天治2年(1125)、良忍上人が多武峰(とうのみね)から勧請した「勝手明神」を祀り、三千院、勝林院、来迎院などの守護神で、この地域に住む人々にも信仰されてきました。 

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橋を渡って律川に沿って下ると、左に石仏が並んでいます。

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数年前から、ここには「おさな六地蔵」という6体のお地蔵さんが置かれでいます。以下のお地蔵さんの名前は通称で正式名称ではないかも知れません。「お花地蔵」

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おさな地蔵は、宮崎県日南市在住の彫刻家・橋口弘道氏の作品です。橋口氏は昭和13年(1938)宮崎県都城市鷹尾町で生まれました。 「笑み地蔵」 

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都城泉ヶ丘高校美術部で野口徳次に学び、東京芸術大学彫刻科に進学。その後、インドなどでの海外放浪を経て日南市にアトリエを構えました。「良寛地蔵」 

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インドでの体験を元に、様々な素材を用いた仏像と仏画の制作をライフワークとして創作活動をしています。くしくも、昨日のわらべ地蔵の作者・杉村孝氏と同年代の人です。 「鳥地蔵」

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平成2年(1990)には都城市立美術館前に宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を意識した不軽菩薩というブロンズ像を制作しました。橋口氏は宮崎市の「森のこども園」の園長でもあります。「スマホ地蔵」、誰かが頭に紅葉が載せていました。

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いわゆる「六地蔵」とは、全ての生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すという、仏教の六道輪廻の思想に基づいて、六道にいる人々を救う菩薩です。ただし、おさな六地蔵が六道輪廻にもとづいているのか分かりません。「猫地蔵」

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現代の身近な姿をしていることから、様々な人々に安らぎを与え、心に救いをもたらそうとしていることは確かなようです。こちらの2体のお地蔵さんの由来は分かりません。

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祠の中は鎌倉時代中期に念仏行者たちによって作られた阿弥陀如来像。かってこのあたりで炭焼きが行われ、その製造・販売に従事する人々にちなんで「売炭翁石仏」ともいわれています。当時の浄土信仰を物語る貴重な遺物とされています。

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寂然法師「炭竈の たなびく煙 ひとすじに 心細さは大原の里」。下の写真は以前にも特集した私のお気に入りの笠地蔵、作者はいまだに不明です。

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律川にかかる下の橋の上から、枝の先端の葉だけが紅葉しています。

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ここから散策路は弁財天の方に戻ります。途中に人だかりがしていました。

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板敷きの見晴らし台が造られていて、ここから2番目の台地にある有清園が一望できました。大きなパノラマ写真です。

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往生極楽院の前、今まで見たことがない風景で三千院に来る楽しみが増えた気がします。

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往生極楽院の前に下りて、西門から境内を出ます。西門を出た右には昨日紹介した「円融房」があります。

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西門から石段を下りた正面は「円融蔵」。お守りやお香などのショップになっていて、展示室には現存最古と言われる往生極楽院の「舟底天井」を原寸大で再現し、創建当時の天井画も復元されています。最後の写真は石段から。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
♪ 京都~大原 三千院~~
この歌大好きなのですよ。
と同時にこの付近の風景も
大好きです。

投稿: ゆーしょー | 2024年11月28日 (木) 23:22

ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2024年11月29日 (金) 00:31

★ゆーしょーさん こんばんは♪
「女ひとり」の歌は大原観光に大きな影響がありましたね。

投稿: りせ | 2024年12月 9日 (月) 23:35

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