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2024年10月 1日 (火)

北嵯峨を歩く 広沢池

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

一昨日の記事の印空寺を出て、広沢池に向かいました。一条通(きぬかけの路)と山越通との交差点に「千代の古道(ふるみち)」という石標があります。千代の古道は平安貴族が北嵯峨(大覚寺)に遊行に出かけるときに通った道です。

TOPの石標の右面には後嵯峨院の歌が刻んであります。「子の日せし千代の古道跡とめて 昔を恋ふる松も引かなん」

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印空寺の向かいから西にかけて「植藤造園」の敷地が広がっています。天保3年(1832)以来植木職人・佐野藤右衛門として御室御所(仁和寺)に仕え、明治からは造園業を営み、欧米にも造園や造園材料の販路を広げています。

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14代目からは滅び行く桜を憂い、各地の名桜の保存に努めて現在約200種を育てています。エクステリア(建物の外観)、和風庭園、洋風庭園などの設計から施工まで行っています。(敷地には多数の庭石や石造品などが無造作に置いてあります。)

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京都御所周辺の剪定工事や街路樹の植栽工事なども行い、個人の庭でも年間管理の契約をすれば一年中きれいな状態を保つことができるそうです。(置いてある石は施工する庭に用いるのだと思います。)

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「三晃金属工業 嵯峨野寮」 三晃金属工業は、金属屋根、外壁、建材の開発、施工、販売から改修・塗装、メンテナンスまでを担う金属屋根開発施工販売のリーディングカンパニーです。

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「岡田茂吉記念館」 世界救世教の教祖・岡田茂吉の書画の展示や、平安郷(へいあんきょう)庭園の四季の情景などを紹介しているそうです。開館日は9月上旬の数日に限られていて、それ以外は予約が必要のようです。

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「平安郷」 世界救世教の聖地として昭和27年(1952)から広沢の池の畔で庭園整備が始まり、現在では桜と紅葉の名園として知られるようになりました。春には一般公開がありました。

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平安郷では毎月7日に春秋庵で月次祭を、毎月25日に研修センターで感謝奉告祭を斎行しています。昨年夏からは、月次祭において全国の信徒の前日からの宿泊型祭典奉仕の受入れを始めたそうです、

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「広沢の池」は、嵯峨野を開拓した渡来系の氏族・秦氏が、灌漑用として開削したといわれています(異説もあります)。向うは愛宕山。

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平安時代になると、観月や花見の名所として貴族が訪れ、多くの歌が詠まれました。源三位頼政「いにしへの人は汀に影たえて 月のみ澄める広沢の池」。

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西の山には五山送り火の「鳥居形」が見えます。送り火の日には遍照寺の灯籠流もあり、池の東岸は大勢の見物客でにぎわいます。

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北西の方角には「嵯峨天皇嵯峨山上陵」への参道石段が見えます。嵯峨天皇(786-842)は桓武天皇の第二皇子で、退位後も離宮・嵯峨院(後の大覚寺)に住み、朝廷内で大きな力を持ち続けました。(石段の下が大覚寺を囲む森です。)

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「池の茶屋」 このあたりでは唯一の茶店です。右手に広い前庭があり、様々な石造美術品が置いてあります。暑い日だったのでここで一休みしてアイスクリームを頂きました。

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茶店の先の石碑には「名とともに朽ちぬいさをか残れよと ひらきけらしな千代の中道」という歌が刻んであり長い間謎でした。GoogleMapのストリートビューで道路側の面を見ると、

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「右 文徳帝御陵・鳴瀧停留場近道」とあります。ここから東へ文徳天皇陵前を経て鳴瀧停留場(現・嵐電鳴滝駅)に至る道路の竣工記念に建立され、歌はおそらく工事費を寄附し建碑した井上政次郎の自作と思われるそうです。

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池の南の湖畔にある「澤乃屋」、下は離れの座敷で、母屋は向かいにあります。以前は、完全予約制で、しゃぶしゃぶが名物の懐石料理の料亭で1日2組限定といわれていました。

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しかし、コロナ禍に加え高齢になられたこともあり一旦休業、知り合いに頼まれた時だけ鍋をされていたそうです。令和3年(2021)からお店を再開してうどんや丼物、てんぷらなどが頂けます。お鍋は要予約だそうです。こちらが母屋。

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広沢池は東西、南北ともに約300mで面積13ha、周囲12㎞あります。池の北にある「遍照(へんじょう)山」は嵯峨富士ともいわれています。その名は、かって池の西にあった広大な「遍照寺」に由来します。

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「廣澤の池」の石標、右側の面に松尾芭蕉の句が刻まれています。「名月や池をめぐりて夜もすがら」、芭蕉が43歳の時に名月を詠んだ代表作で、高弟・向井去来が営んだ落柿舎に滞在したときに広沢池を観て詠んだといわれています。

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池の西近くに松本章男(1931-)の歌碑「山の名のしめすことくに 月よいま偏(かたむ)く 照らせ広沢の池」。松本章男は京都の歌人で、京都の地誌、古典などの著作が多数あります。

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歌碑の右の看板は「松本章男撰 広沢月詠」で20首の歌があります。そのうちの2首を、西行「宿しもつ月の光のををしさは いかにいへども広沢の池」、藤原定家「散る花に汀のほかの影そひて 春しも月は広沢の池」

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池の西端に来ました。ここから南(左)に曲がり、遍照寺に立ち寄りました(最後の写真)。

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コメント

「池の茶屋」
暑い日に食べるアイスクリームは、格別ですよね。
アイスクリームというと、家の近くの駄菓子屋さん
を思い出します。20mもないぐらいのところにあったので、
よくいきました。

投稿: munixyu | 2024年10月 1日 (火) 17:12

こんばんは。ゆーしょーです。
大沢の池へは数回行ったことがあるのですが
広沢の池へは1回しか行ったことがないのです。
どちらの池も名月で有名ですよね。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2024年10月 2日 (水) 00:57

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