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2024年10月28日 (月)

裏寺町通を歩く その2

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日に続いて裏寺町通を南に歩きます。六角通との交差点の南西角に「つるかめ 六角」があります(TOP)。一昨日の記事の寺町四条上るに本店があるラーメン屋さんで、魚介醤油スープのつけ麺が人気です。

同じ建物の2階の「Pub Kar」はインドネシア人が店主の居酒屋で、カレーやナシゴレン、生ハム、自家製ピクルスが美味しいそうです。昼間からクラフトビールが飲めるお店でもあります。

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裏寺町通はここからしばらくお寺が並んでいます。道の両側がほとんどお寺で、街中ではなかなか見られない風景です。下のGoogleMapで上の東西の通りが六角通、中央の南北の通りが裏寺町通、左右が新京極通と河原町通です。

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「長仙寺」は浄土宗西山深草派の寺院で、かっては誓願寺の塔頭でした。このあたりの寺院は1864年の蛤御門の変による大火で焼失、長仙寺は明治2年(1869)に再建されました。

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さらに、明治6年(1873)に同じく誓願寺の塔頭、真如庵と見松院とも合併して、長仙寺という寺名が残りました。現在の本尊・阿弥陀如来坐像や束帯姿の「安倍晴明坐像」は廃寺となった宮川町の清円寺から遷されものです。

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植えられている「未開紅(みかいこう)の梅」は八重咲で、蕾の頃は濃紅色、開花するとかすかに紅を帯びた白い花弁になるという珍しい品種です。かつては誓願寺境内にあったといわれ「新京極の七不思議の一つ」です。

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向かいに裏門がある誓願寺が浄土宗西山深草派の総本山です。 寺町通と裏寺町通の寺院は、秀吉の都市改造によって他の土地から強制的にこの地に移転させられました。裏寺町通の寺院のほとんどは、山門が閉じられていて拝観はしていません。

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「頂源院」 山号を竹林山という浄土宗西山深草派の寺院です。小林善仁『明治初期の境内地処分と旧境内地の開発 ──新京極を事例に──』(佛教大学総合研究所共同研究成果報告論文集 第3号)では、この通りのいくつかの寺院の変遷が調べられています。

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先述の長仙寺と同様に、明治6年に誓願寺塔頭の竹林院と随心院が合併、頂源院に吸収されました。「ムラサキシキブ」の実が色づいていました。

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頂源院は京極の水子供養寺とよばれ、永代供養墓もあるそうです。山門から催乳をしているような観音像が見え、彼岸の水子供養の卒塔婆が建てられていました。

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「大善寺」 こちらも浄土宗西山深草派の寺院で、本尊は阿弥陀如来、笑福亭円笑の大善寺寄席は江戸時代から続いているそうです。豊後岡藩初代藩主・中川秀成の正室・虎姫の肖像画を所蔵、虎姫は織田信長の重臣・佐久間盛政の娘です。

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上の論文によると、大善寺もかって誓願寺の塔頭で、明治13年に同じく塔頭の洞仙院、松吟院、江岸院が合併して大善寺に吸収されました。

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明治政府は明治4年(第一次)と明治8年(第二次)上知令を発し、最小限の境内地をのぞく大寺院の領地を没収しました。大寺院は山林や田畑を小作人に、人の集まる土地を縁日の業者に貸していました。更に、神仏分離令後の廃仏毀釈により檀家が減少、

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収入源を断たれた大寺院では塔頭の統廃合をせざるを得ない状態でした。「ラウンドワン河原町店」 このあたりで最大級のアミューズメントスポットです。大型スクリーンがあるボウリング、

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ソファとマッサージ機のあるカラオケルーム、最新機種をはじめメダル・カードゲームもあるアミューズコーナー、ダーツやビリヤードコーナーもあります。こちらはラウンドワンの裏口ですが、河原町通から人の流れができています。

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「イージー自転車パーク河原町」 終日¥150/8時間、24時間ごと最大¥300です。看板に「コインパーキング用地求めています。貸地、ガレージ、2台~お貸しください」と書いてあります。運営会社はフルーツ・パークで、昨日の記事にも駐輪場がありました。

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上の駐輪場の土地はどちらかの寺院の所有だと思われます。「光明寺」 こちらも浄土宗西山深草派の寺院で、山号は紫雲山、本尊は阿弥陀如来、洛陽四十八願寺の第30番札所になっています。

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札所本尊は常磐華地蔵で、江戸時代初期の寛文年間(1661‐1673)の作。僧・宝山により、洛外の六地蔵以外で霊験あらたかな洛中四十八カ寺の地蔵菩薩の一つとして選ばれました。

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「宝蔵寺」 弘法大師空海の創立と伝えられ、文永6年(1269)如輪上人により元西壬生郷に開基(堂宇が建造)され、天正9年(1581)玉阿律師が中興、天正19年(1591)に豊臣秀吉の都市改造により現在地に移転しました。

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天明の大火(1788)と禁門の変(1864)で全焼し、現在の本堂は昭和7年(1932)に建立されました。本尊・阿弥陀如来像は、元禄13年(1700)の作です。

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伊藤若冲(1816-1800)の菩提寺で、若冲が建立した父母の墓石、末弟・宗寂と次弟・白歳の墓碑が残っています(本堂の裏に墓地がありますが、こちらは本堂の前です)。

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拝観はしていませんが、伊藤家のお墓の参拝や御朱印は受付ています(庫裏です)。若冲40代前半頃に描かれた作品「竹に雄鶏図」と「髑髏図」、白歳筆の「羅漢図」を所蔵しています。

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「竹に雄鶏図」は若冲生誕300年をひかえ、宝蔵寺が若冲に詳しいミホ・ミュージアム(滋賀県)の岡田秀之学芸員に鑑定を依頼。落款や筆遣いから真作と判断されたものです。商人から画家に転身した若冲の初期の作品だそうです。

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若冲の誕生日ににあたる2月8日には毎年伊藤若冲生誕会を催し、併せて所蔵の書画を一般公開しているそうです。今日はここまでです。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
駐輪場ですね。
8時間で150円は安いです。
誰か管理人が居るのでしょうね。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2024年10月29日 (火) 01:10

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