天性寺と中将姫
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本能寺の南の寺町専門店会商店街に天性寺(てんしょうじ)があります。「天性寺」は、山号を曼茶羅山、院号を當麻院という浄土宗総本山知恩院の末寺です。
天性寺は、安土桃山時代の天正5年(1577)大和当麻寺の眼誉道三により、「中将姫」の遺徳をしのんで創建されました。当初当麻町(上京区曼茶羅町)にあったとされます。(境内が東に低くなっているのはかって鴨川の河原だった名残だそうです。)
この寺の由緒となった中将姫(ちゅうじょうひめ、747-775)は、奈良の当麻寺に伝わる当麻曼荼羅(国宝)を織ったとされる伝説上の人物で、その物語は平安時代中頃から世間に広まり、様々な戯曲の題材となりました。「庫裡」
藤原鎌足の曾孫の右大臣藤原豊成とその妻の間には長い間子どもができず、桜井の長谷寺の観音に祈願して中将姫を授かりました。しかし、母親は娘が5歳の時に亡くなり、7歳の時に豊成は橘諸房の娘である照夜の前を後妻に迎えます。「玄関」
中将姫は美貌と才能に恵まれ、9歳の時には孝謙天皇に召し出されて百官の前で琴を演奏して賞賛されます。13歳の時には三位中将の位を持つ内侍となりました。「本堂」には本尊として阿弥陀如来を祀っています。
しかし、継母に憎まれるようになり、盗みの疑いをかけられて虐待されました。「曼荼羅山」という扁額は知恩院第73世の名誉学天大僧正の筆です。名誉学天は「勧学の諭達」を発し、宋学と学侶教育の充実を勧告、佛教大学が創建されました。
14歳の時、豊成が諸国巡視の旅に出かけると、照夜の前は家臣に中将姫の殺害を命じました。しかし、亡き実母への供養をして極楽浄土へ召されることを祈り読経を続ける中将姫を殺すことができず、雲雀山の青蓮寺 (宇陀市)にかくまいました。
翌年豊成が見つけて連れ戻し、中将姫は1000巻の写経を成しとげたそうです。16歳の時、淳仁天皇より後宮へ入るように望まれるが断り、その後二上山の山麓にある当麻寺に入り尼となり、法如という戒名を授かりました。「弁財天社」
26歳のとき、長谷観音のお告げで当麻曼荼羅を織り上げました。仏行に励んだ徳によって仏の助力を得て一夜で蓮糸の当麻曼荼羅(観無量寿経の曼荼羅)を織ったとされます。
29歳で亡くなりますが、阿弥陀如来を始めとする二十五菩薩が来迎して生きたまま西方極楽浄土に向かったといわれています。以上が中将姫の伝説ですが、藤原豊成は実在の人物で、その娘や実母、継母の存在については様々な説があるそうです。
開祖眼誉は、当麻曼荼羅を複製して浄土の世界を示し釈迦の教えを説いたといいます。墓地の入口に延命地蔵大菩薩や石仏を祀る小屋があります。
墓地には中将姫の供養塔(中央)があります。墓は奈良県葛城市の當麻寺の北側の共同墓地内にあります(十三重塔)。ならまちの徳融寺の境内にも墓があるそうです。
「日本真鍮祖神 藤左衛門翁之墓」 近江に生まれた藤左衛門(生没年不明)は、1593年、信心していた甲賀の広徳寺の本尊・庚申尊から針丹(亜鉛)を混ぜる合金の法を授かったといいます。後に京都に出て真鍮吹きを始め、巨万の富を築きました。
江戸時代の画家・原在中一族、四条派画家・横山清暉の墓などがあり、右が原在中の墓です。原在中(1750-1837)は京都の酒造家に生まれ、絵は石田幽汀、円山応挙につき、山本探淵に仏画を学びました。有職人物画を得意にし、
御所障壁画制作に応挙らと参加、常御殿の杉戸絵、相国寺方丈障壁画などを描きました。土佐派、円山四条派、岸派、古狩野などを融合して精密な装飾画風の原派を興しました。
本堂の前に鐘楼があります。
梵鐘には天女が描かれ、「梵聲猶雷震(ゆらいしん) 八音暢妙響(はっとんちょうみょうこう) 」と書かれています。梵鐘の音は雷鳴がとどろくようで、八音(清浄な仏の声)が響き渡るという意味だそうです。
本堂の横に平賀紅寿の柳碑「碁盤目に 世界の京として 灯里(あかり)」。紅寿(1896-1991)は「京都番傘川柳会」を設立、他に「母の日の母と見上げるつばめの巣」、「猫じゃらし すすきあだしの 鳥辺山」などの川柳があります。
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コメント
こんにちは。ゆーしょーです。
和歌山県にも中将姫にまつわる伝説が
数多く残されています。和歌山県の
恋野地区には今も中将姫ゆかりの場所が
数多く残されており、中将姫の伝説に
触れながらたどることが出来ます。
投稿: ゆーしょー | 2024年8月 1日 (木) 15:52
ポチ♪2
投稿: ゆーしょー | 2024年8月 2日 (金) 01:39
★ゆーしょーさん こんばんは♪
恋野の地名は中将姫が母を恋しがって詠んだ歌にちなんでいるのだそうですね。初めて知りました。
投稿: りせ | 2024年8月 6日 (火) 23:57