« 祇園祭2024 前祭宵々山(前半) | トップページ | 祇園祭2024 前祭山鉾巡行 前半 »

2024年7月17日 (水)

祇園祭2024 前祭宵々山(後半)

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

Ank_2262a
※写真は全てクリックで拡大します。

昨日に続いて祇園祭の宵々山の後半です。四条通から西洞院通を北にいくと「蟷螂(とうろう)山 」があります。中国の『君子』に、カマキリが自分の力のほどをわきまえず大きな車輪(大敵)に立ち向かう話があり、その勇猛さを称えた山です。

四条隆資(たかすけ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿で、後村上天皇を守るために足利軍の大軍と果敢に戦い戦死しました。その姿は「蟷螂の斧」のようであったといわれています。

Ank_2266a

永和2年(1376)四条隆資の話に感動した当町居住の渡来人・陳外郎大年宗奇が、四條家の御所車にカマキリを乗せて巡行したのが、蟷螂山の始まりといわれています。

Ank_2291a

カマキリが引いてくれるおみくじが大人気で、長蛇の列ができていました。

Ank_2277a

蟷螂山から四条通の南の鉾町に向かいます。西洞院通を南に歩き西南にある四つの山を見に行きました。その後、新町通は南向き、室町通は北向一方通行であることに注意して残りの山鉾を見て回ります。

Amg240716a

「芦刈山」 大和物語の「芦刈」を再現した山で、男が貧しさのあまり妻に去られ、寂しく芦を刈る様子を表しています。やがて女は宮仕えから高貴な主の妻になります。しかし、昔の男が気がかりで、

Ank_2299a

かって住んでいた浪花に行き、みすぼらしい風体の男に再会します。女は声をかけますが、男は身を恥じて和歌を残して消えます。授与品の粽(ちまき)は夫婦和合・縁結びのご利益があるとか。

Ank_2306a

「油天神山」 この辺りの通りは古い町家が並び、道の中央に床机がならべて近所の人が夕涼み?をしています。

Ank_2329a

古くから町内(風早町)に祀られていた天神(菅原道真)を勧請して作られた山で、油小路綾小路下ルにあるところから「油天神山」と呼ばれます。

Ank_2319a

道真とゆかりがある紅梅が鉾やグッズに付けられ、学問成就のお守りがあります。駒形提灯が油紙のような色をしています。

Ank_2322a

「太子山」 こちらも道一杯に椅子が並べられていて、地蔵盆のようです。

Ank_2330a

聖徳太子が杉の巨木で六角堂を建てたという故事にちなんだ山で、山の上には真松ではなく、唯一真杉を立てています。

Ank_2338a

授与品の粽には杉の葉が入っていて、聖徳太子にあやかって智恵が授かるという身代わり杉守もあります。

Ank_2337a

「木賊(とくさ)山」 木賊とはシダ植物の名前で、謡曲「木賊」をもとに御神体は我が子を人にさらわれて一人信濃国伏屋の里で木賊を刈る翁をあらわしています。

Ank_2346a

謡曲では、都の僧が父を尋ねたいという少年・松若を連れてその故郷信濃へ下り、木賊を刈っている老いた父と再会します。

Ank_2350a

「伯牙山」 中国春秋時代の琴の名人伯牙が友人鍾子期の死を聞いて、琴の絃を断ったという故事が由来です。伯牙が高い山に登る気持ちで琴を弾くと、鍾子期は「すばらしい、まるで険しい泰山のようだ」といい、

Ank_2363a

伯牙が川の流れを思い浮かべて弾くと、鍾子期は「すばらしい、まるで広大な長江か黄河のようだ」と言ったそうです。彼が死ぬと、伯牙は琴を弾くに値する人がいなくなったと、琴を壊して以後弾くことはありませんでした。

Ank_2365a

粽には、厄除け・災難除けの他に、お琴の名手であった伯牙にあやかり技芸向上などのご利益があります。

Ank_2366a

「船鉾」 「日本書紀」の神功皇后の新羅出船にちなんで、鉾の上には皇后と陪従する磯良・住吉・鹿島の三神像を安置します。くじ取らずで、先祭の最後の23番目を巡行します。

Ank_2378a

船頭に金色の「鷁(げき)」と呼ばれる想像上の瑞鳥(縁起がいい鳥)を飾っています(上の写真)。

Ank_2379a

船端には朱漆塗の高欄をめぐらし、艫(とも、船尾)には黒漆塗螺鈿の飛龍文様の舵(かじ)をつけています。

Ank_2382a

「岩戸山」 古事記、日本書紀に記されている「国生み」と「天の岩戸」の神話にちなんだ山で、鉾と同じような形の曳山です。

Ank_2389a

山には、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、天照大神、手力男命(たぢからおのみこと)の3体の御神体が飾られ、伊弉諾尊は屋根の上に乗ります。よく見えませんが、会所に3体が飾ってありました。

Ank_2396a

「白楽天山」 唐の詩人・白楽天が、道林禅師に仏法の大意を問うところを表す場面の山です。高僧の道林禅師は松の木の上で生活しながら仏教の神髄を極めたといいます。(もう提灯や飾りが外され、会所も閉まっていました。)

Ank_2414a

白楽天が「木の上では危ないぞ」というと、道林は「仏教を知らず心が定まらないものは地上にいても危ない」といい、仏教の神髄を聞いた白楽天が「そんなことは3歳の子供でも知っている」と反論すると、

Ank_2415a

「3歳の子供が知っていても、実行することは80歳になっても難しいのだ」と言われました。白楽天は返す言葉がなく、以後禅に帰依したといわれます。(駒形提灯の中央だけに灯りがついていました。)

Ank_2421a

午後9時半を過ぎても人通りあるのですが、そろそろ山鉾が店じまいしかけています。

Ank_2423a

向うに見えるのは「鶏(にわとり)鉾」、中国の史話で、唐堯の時代に天下がよく治まり訴訟用の太鼓(諫鼓)も用がなく苔が生え鶏が宿ったという故事にちなんでいます(近くに行ったときには提灯の灯りが消えていました)。

Ank_2427a

「綾傘鉾」 大きな傘と棒振り囃子の行列で構成され、山鉾の古い形を残しています。巡行では傘の上に金の卵を片足に持つ御神体の鶏が乗ります。 会所は町内にある「大原神社」内に設置されています。

Ank_2447a

かって、大原神社は福知山市の三和町にある大原神社の主張所で、安産のご利益があるとされます。お参りする人が外まで並んでいました。最後は烏丸四条の交差点から、函谷鉾・月鉾・郭巨山はまだ灯りがついていました(最後の写真)。

Ank_2438a

お帰りの際には、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。

★こちらを是非よろしく→   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

Ank_2458a

|

« 祇園祭2024 前祭宵々山(前半) | トップページ | 祇園祭2024 前祭山鉾巡行 前半 »

コメント

祭りは明かりがいいですね。
提灯明かりに、夜店明かり。
独特な雰囲気があると思います。
静けさや人の賑わい、いろんなものが見えてきます。

投稿: munixyu | 2024年7月17日 (水) 18:39

こんばんは。ゆーしょーです。
若くて青いカマキリとよく見かける
茶色いカマキリがありますね。
初めて知りました。
昨日テレビで放送してましたが、
凄く大勢いる中でマスクをしていた人は
4~5人しかいなかったです。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2024年7月17日 (水) 23:49

ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2024年7月18日 (木) 00:02

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 祇園祭2024 前祭宵々山(前半) | トップページ | 祇園祭2024 前祭山鉾巡行 前半 »